現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

セントオルリーグの熱戦

2016-11-03 09:24:06 | キンドル本
 中学生の主人公は、教室の後ろの席から奇妙な音が聞こえてくることに気づきます。
 そこは、最近転校してきたトオルの席です。
 休み時間に主人公が問い詰めると、小さなルーレットを使って、野球ゲームをやっているのだと言います。
 ルーレットをまわして出た数字によって、それに対応する野球のプレイ(三振、ホームランなど)の表を使って、セントラルリーグの野球を再現しているのです。
 主人公は、トオルの名前を冠したその「セントオルリーグ」の、ただ一人の観客になります。
 トオルは、「セントオルリーグ」のためにスポーツ新聞まで発行します。
 その唯一の読者も主人公です。
 トオルは、授業も何もかもなげうって「セントオルリーグ」に打ち込んでいます。
 主人公は、そんなトオルを応援しています。
 こうして、二人は急速に仲良くなっていきます。
 そんなある日、トオルがまた転校して姿を消してしまいます。 
 主人公に送られてきたトオルの手紙に入っていたものとは?

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セントオルリーグの熱戦
クリエーター情報なし
平野 厚

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松田司郎「<掟>と<シンボル>の意味」日本児童文学1974年10月号所収

2016-11-03 09:03:57 | 参考文献
 佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」と共に、一般的には1959年に始まったと言われる現代児童文学の出発を飾った、いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」についての論文です。
 ここで、「掟」というのは二つあり、ひとつは小人たちの生は人間が毎日ミルクを運び続けることによって成立することであり、二つ目はいったん約束を破ったら七十七日の間もう一度ミルクを出し続けることにより小人たちを呼び戻すことができるということです。
 また、「シンボル」とは、小人たちがそれを守る人間たちの「美しい心」のシンボルだということを指します。
 松田は、小人たちの若い世代が、旧世代とは違って、「掟」には頼らずに外の世界へ向かっていく姿勢を評価して、最後まで掟に縛られている人間たちに否定的な評価をしています。
 たしかに、「木かげの家の小人たち」は、「だれも知らない小さな国」と同様に、戦争を経ても守り続けた大事な物(松田の表現を借りると「美しい心」)を描いたという人間側のドラマを中心に語られることが多かったと思われます。
 それは、多くの評者が佐藤やいぬいと同世代かそれより上の年代の人たちなので、「戦争」に対してそれ以降の世代よりも大きな意味を共有していたからでしょう。
 しかし、、「木かげの家の小人たち」と「だれも知らない小さな国」の本来の魅力は、図らずも両作品に登場した小人たちの世界を生き生きと描くところにあったのではないでしょうか。
「だれも知らない小さな国」の場合はコロボックルの国の建設にあったでしょうし、「木かげの家の小人たち」の場合は若い小人たちと外の世界との交流にあったと思われます。
 いぬいの場合は、たしかにノートンの「借り暮らし」シリーズ(「床下の小人たち」など。ジブリの映画「借りぐらしのアリエッティ」で一躍有名になりました)という明確な下敷きはあったものの、ハトの弥平やアマネジャキなどの魅力的なキャラクターの創造と共に、従来の日本にはなかった骨組みのしっかりしたファンタジーを生み出したことは、もっと評価されていいと思います。

日本児童文学 2014年 12月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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