現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

男の子を主役にした成長物語

2018-04-16 08:38:55 | 考察
 他の記事で繰り返し述べましたように、現在の児童文学の読者はほとんどが女性(女の子だけでなく若い女性や自分では若いと思っている女性たちも含めて)です。
 そのため、従来の「現代児童文学」の典型例であった成長物語(物語を通して主人公が何らかの自己変革を遂げて成長する作品)でも、主人公が女の子だったらまだ一定の需要はあります。
 しかし、主人公が男の子の場合は、一般的には出版はかなり難しいでしょう。
 現在の出版状況では、ルックスや性格などにおいて、女性読者を満足させるような男の子を登場させないでないと読んでもらえません。
 普通の男の子を主役にした成長物語。
 これが、現在の児童文学界ではもっとも出版しにくい作品かもしれません。

ふしぎなふしぎな子どもの物語~なぜ成長を描かなくなったのか?~ 光文社新書
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光文社
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きたやまようこ「くまざわくんのたからもの」

2018-04-15 10:24:53 | 作品論
 人気絵本シリーズの4作目です。
 くまざわくんは、たからものにしていた石をいつの間にか落としてしまいました。
 石はいぬうえくんにひろわれて、ひもがつけられました。
 くまざわくんは石を返してほしいのですがうまくいえないうちに、いぬうえくんに「しばらく」貸すことになってしまいました。
 くまざわくんが「しばらく」を待ちきれなくて、何とか返してもらおうとしますがうまくいきません。
 逆に、いぬうえくんに「いぬうえくんのなまえ」を貸してもらい、ますます困惑します。
 最後は、いぬうえくんに無事に石を返してもらえますが、それまでのやりとりは気のいいくまざわくんらしく、読者はやきもきさせられます。
 この作品でも、おっとりしていて気のいいくまざわくんと、しっかり者で少しずうずうしいいぬうえくんの個性の違いが、すれ違いを生み、お話をおもしろくさせています。
 大事な物を共有すること、目に見えない宝物もあることなど、幼い読者にいろいろな大事なことがらを教えてくれます。
 やはり教訓臭さが拭えないのですが、どうやらそれは、いぬうえくんの上から目線のしゃべり方や態度にあるようです。
 この作品の場合、主人公はくまざわくんなので、読者はくまざわくんの気持ちに寄り添って本を読みます。
 その場合、いぬうえくんは先生や親のようというよりは、ちょっと生意気な優等生の友達という趣です。
 そういう友達がありがた迷惑なことが多いのは、現実と変わりません。

くまざわくんのたからもの (きたやまようこの幼年どうわシリーズ)
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あかね書房
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バベット・コール「トンデレラ姫物語」

2018-04-13 08:52:34 | 作品論
 題名は「シンデレラ」のパロディのようですが、お話は「かぐや姫」や「かえる王子」のパロディです。
 もっとも、原題を直訳すると「うぬぼれ姫」ですから、「シンデレラ」とは全く関係ありません。
 ストーリーはそれほどぶっ飛んでいるわけではありませんが、コミック風の絵がなかなか魅力的です。
 けっきょく姫は誰とも結婚しないのですから、フェミニストで独身主義者の訳者(上野千鶴子)には、ぴったりだったかもしれません。

トンデレラ姫物語
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ウイメンズブックストア松香堂
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宮沢賢治学会イーハトーブセンター「宮沢賢治研究Annual Vol.21 2011」

2018-04-12 11:46:15 | 参考文献
 2012年に宮沢賢治学会イーハトーブセンターから送られてきた、「宮沢賢治研究Annual Vol.21 2011」に、強いショックを受けました。
 「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」を紹介する記事で書きましたが、私は会が発足したのを知ってすぐに二年間だけ会員になったことがあったので、手元に1994年と1995年のAnnualがあるのですが、どちらも300ページ近い厚さの立派なものでした。
 ところが、2012年に受け取った「宮沢賢治研究Annual Vol.21 2011」は、半分ぐらいの薄っぺらいものでした。
 内容も、大半は2010年のビブリオグラフィー(その年に出版された参考文献目録)と以前のビブリオグラフィーの補遺で、論文類は三本しか載っていません。
 以前のAnnualには十本以上の論文類が掲載されていて、かなり読みでのあるものでした。
 確かに、ビブリオグラフィーは研究のためには基本的で重要な資料です。
 しかし、こんなに論文の本数が減ってしまっていては、論文誌としての価値は激減してしまいます。
 年二回送られてくる会報も前より薄くなっていたので嫌な予感はしていたのですが、心配は的中してしまいました。
 やはり「宮沢賢治学会イーハトーブセンター」を紹介する記事で心配したように、会員数が減って学会は経済的にピンチなのでしょうか?
 それとも、会員の研究自体が低調で、Annualに載せるに値する投稿論文が大幅に減ってしまったのでしょうか?
 確かに、2011年は東日本大震災で学会の本拠地である岩手県も大きな被害を受けましたし、前に述べたように会員は岩手県を中心に東北地方の方が多いので、この年は特別だったのかもしれないと思ったのですが、その後も状況は改善されていません。
 やはり、賢治に限らず、文学研究活動全体が、完全に衰退期になっているようです。


宮沢賢治―驚異の想像力 その源泉と多様性
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朝文社


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児童文学における動物の取り扱い

2018-04-11 08:49:57 | 考察
 児童文学には、1950年代に現代児童文学がスタートする以前から、動物がよく登場してきました(椋鳩十、戸川幸夫など)。
 おそらく、子どもと動物の組み合わせは親和性が高いので、物語を構築しやすいのでしょう。
 登場する動物も、かつては野生の動物(鹿、熊、野鳥など)が中心でしたが、それが家畜(犬、猫、牛、馬、鶏など)に変わっていき、今ではペット(犬、猫、モルモット、ハムスター、ウサギ、小鳥、熱帯魚など)が中心になっています。
 同じ犬や猫でも、家畜時代は番犬やネズミ取りといった役目を持って主に室外で飼われていましたが、今では愛玩を目的にした小型の室内犬や猫に変わってきています。
 それにつれて、物語にもペットロスを取り扱う作品(例えば、江國香織の「デューク」(その記事を参照してください)など)が増えてきています。
 学校や学級で飼っている動物の出てくる話も多いですが、校内でのトラブルのリスクを極端に恐れる現在の学校の状況を考えると、物語作りは難しくなってきているかもしれません。
 
大造じいさんとガン (偕成社文庫3062)
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偕成社


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トゥルーマン・ショー

2018-04-10 15:11:08 | 映画
 一人の男性の生活を、隠しカメラで誕生から30年間も24時間放送している人気テレビ番組という設定です。
 主人公以外はすべて俳優やエキストラで、まわりの街や自然もセットということになっています。
 製作された1998年当時としては最新の技術を用いて、よくできたつくりになっていますが、かなりご都合主義な設定やストーリーで、三十年続いたというには矛盾が多くリアリティにもかけています。
 コメディなのですから、そのあたりは目くじら立てないで楽しむべき作品なのでしょう。
 当時、典型的なアメリカ青年を演じさせたら右に出るものがいなかったジム・キャリーが、あまり賢くはないが明るい好青年をユーモアたっぷりに演じています。

トゥルーマン・ショー [Blu-ray]
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パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
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辻原登「たそがれ」Yの木所収

2018-04-08 08:19:13 | 参考文献
 中学生の男の子と、年の離れた姉とのふれあいを描いた作品です。
 男の子は優秀な長距離ランナーですが、家庭の経済的状況のために、夢であった駅伝の強豪校への進学をあきらめ、就職して駅伝部のない夜間高校に進むことを決心しています。
 姉は苦界に身を沈めて、一家を経済的に支えています。
 これらは、事故で左腕を失って自暴自棄になった父親による家庭崩壊のためです。
 昔の話ではありません。
 なぜなら、二人が久しぶりに一緒に出掛けた場所はUSJだからです。
 辻原ならではの鉄道や南紀やUSJの詳しい描写や、二人の人柄をさりげなく描くエピソードの積み重ねにより、この苦境が決して彼ら自身のせいではないことを鮮やかに浮かび上がらせています。
 不当な格差社会、貧困の拡大と連鎖、風俗産業しか若い女性のセーフティネットがない政治や行政の貧困といった、現代の日本社会の問題を静かに告発しています。
 
Yの木
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文藝春秋
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辻原登「母、断章」父、断章所収

2018-04-07 09:05:33 | 参考文献
 前の年に亡くなった母(この作品が書かれたのは2006年なので亡くなったのは2005年)の記憶について書かれたノンフィクションタッチの作品ですが、「父、断章」よりもさらに小説的脚色がされています。
 また、母の記憶というよりは、家族の記憶に重きが置かれています。
 辻原にとっての母とは、父親のような乗り越えるべき障壁ではなく、幼少のころの家族全体の象徴なのでしょう。
 これは、大半の男の子たちにとっても同様だと思います。
 作品は、家族旅行とその背景にある両親の夫婦としての危機(それは辻原や弟を含めた家族全体の危機でもあります)が描かれています。
 汽車の石炭粒を目に入れてしまい苦しむ辻原の様子が、この家族旅行の危うさと苦さを象徴しています。
 母に棄てられた夢を見て泣き、その涙であれほど取れなかった石炭粒が取れます。
 そのなおった目で見た、母が深夜に素裸で人魚のように川を泳ぐ美しいラストシーンは、家族の和解と危機からの脱出を象徴していて鮮やかです。
 現代の子どもたちは、辻原の幼少時代よりもさらに家庭の崩壊の危機にさらされています。
 私の息子たちはすでに成人していますが、彼らの世代でさえ家庭崩壊に苦しむ友達がたくさんいました。
 現在では、その状況はさらに深刻さを増しています。
 そういった子どもたちの力になるような作品が生み出されない現在の児童文学の出版状況には、私自身の非力さも含めて忸怩たる思いがしています。

父、断章
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新潮社
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鶴川健吉「乾燥腕」すなまわり所収

2018-04-06 08:23:17 | 参考文献
 2010年に文学界新人賞を受賞した作品です。
 新入社員(後に会社を辞めることになりますが)の若い男と自殺未遂の老人を中心に、特にストーリーはなく、かといってシュールでもなく、なんとなくエロとグロが交錯する作品です。
 特に目新しさは感じられなかったのですが、審査員はどのあたりを評価したのでしょうか?
 若い純文学作家志望者(この賞をもらった時には鶴川はまだ二十代です)に中途半端に賞をあげると人生を狂わせることになるのになあと、他人事ながら心配になります。
 児童文学の世界でも、ストーリーのない作品(例えば、岩瀬成子の「あたしをさがして」(もっとシュールで面白い作品ですが)など)がかつては出版されましたが、売れ行き重視の現在では、こういった実験作は出版されないでしょう。
 その意味では、一般文学の方がまだこのような作品を出版する余地があるのでしょう。
 
すなまわり
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文藝春秋
 
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半村 良「おさせ伝説」雨やどり所収

2018-04-05 08:09:08 | 参考文献
 1975年に第72回直木賞を受賞した、短編集「雨やどり」の巻頭作品です。
 設定ばかり大げさで、ストーリーも文章も荒っぽい、最近のエンターテインメントばかり読んでいると、たまには小説にも職人技がいきていた時代のこのような作品を無性に読みたくなります。
 新宿のバーのマネージャーの眼を通して、客、ママ、ホステス(懐かしい言葉ですね)、バーテンダー、パトロンなどを活写した人情話です。
 細かい個所にまで、下積みの長かった苦労人の作者ならではの確かな観察眼が行き届いていますし、文章も滋味深いです。
 ただ、今度四十年ぶりに読んでみて驚いたのは、登場人物の年齢の若さです。
 主人公は36歳で独身(今では普通ですが、当時は珍しかったと思います)ですが、とてもその年齢には思えないほど老成しています。
 新しい店のパトロンである成功した建築士は41歳で、その母親でどんなにまじめな客でも口説かせてしまう伝説のホステス(戦争中の事故の影響で30歳から年を取らなくなっているという設定になっています)が60歳です。
 今の感覚で言うと、どの登場人物も5歳から10歳は年長に思えます。
 私自身も含めて、現代の人間は寿命が延びた分だけ成長が遅れているようです。
 もっとも、この本をリアルタイムに読んだ時は私は20歳を過ぎたばかりでしたから、年齢設定に違和感を抱かなかったのはそのせいもあるかもしれませんが。

雨やどり (集英社文庫)
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集英社
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舞城王太郎「四点リレー」短編集五芒星所収 群像2012年3月号 

2018-04-04 11:20:37 | 参考文献
 非・連作短編集の第三作です。
 四角い部屋の四隅に四人の人が立ちます。
 それを仮にABCDとすると、AがまずBのいる角に向って走っていってタッチします。
 タッチされたBはCのいる角に向って走っていってタッチします。
 タッチされたCはDのいる角に向って走っていってタッチします。
 タッチされたDはAが元いた角まで走りますが、Aはすでに次の角に行っているので、直角に曲がって二辺分を走って、Aにタッチします。
 これを続けると、DCBAの順に二辺を走らなければなりません。
 この四点リレーを真っ暗闇の中でやると、いつの間にか一人増えて二辺を走らなくなるという怪談です。
 この作品では、なぜ二辺を走らなくなるかについて、いろいろと仮説を持ち出します。
 そして、「グルグルと回って混乱している中からポン、と在り得ないはずの、しかし必要とされているものが出現する、というような……物語は、時にこういう力を持つんだよな」と、最後に作者は語ります。
 この作品には、作者の物語観が示されているのですが、登場人物が多くごちゃごちゃしていて、正直言ってあまり楽しめませんでした。
 ファンタジーなどの非現実を扱う児童文学の世界観を構築するときにも、本来はこの作品のような周到な考察が必要なのですが、大半の作品は考えるまでもないたわいのない世界観にすぎません。

群像 2012年 03月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
講談社
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市川宣子「きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは……」

2018-04-02 08:20:44 | 作品論
 児童文学研究者の宮川健郎は「声をもとめて」という論文(その記事を参照してください)の中で、「声が聞こえてくる」幼年文学のひとつとして、この作品をあげています。
 長い題名「きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは……」の通りに、おとうさんがあっくんに遅くなった理由を説明するお話が四つ入っています。
 悪い夢を見て地震をおこすなまずにいい夢を見せるために穴を掘ったり、雷さまに迷子の子どもと水を届けて夕立をよんだり、星の掃除をするアライグマと野球をやってホームランをかっ飛ばしたり、緑色の帽子で花を咲かせる熊をたすけて春をよんだりと、おとうさんは毎晩大活躍です。
 どの話も軽快な語りと時には歌まで聞こえてくる、宮川が指摘したとおりに「声が聞こえてくる」幼年文学です。
 これらはおとうさんが遅くなった言い訳にあっくんにした「ホラ話」なのかもしれませんが、それぞれ次の日曜日などに、散歩、ボートこぎ、キャッチボール、木登りをすることを、おとうさんはあっくんに約束してくれます。
 ある意味、若い父親と幼い息子の理想形が繰り返し語られることになります。
 私も、息子たちが幼かった頃にいっしょに遊んだことを思い出して、ほのぼのとした気分を味わえました。
 2010年に初版が出たことを考えると、やや古い(親子のあり方や作者の野球の知識(もうテレビではナイターはほとんどやっていません。ドーム球場が増えたのでこんなに天気を気にしません))感じもしますが、親子(特に父と息子)で読むのには適しています(マーケットが小さいのであまり売れないかもしれませんが)。

きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…
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ひさかたチャイルド
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