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歴史模擬授業(第17回 安土・桃山時代)②-3

2010年11月14日 08時03分42秒 | 歴史☆模擬授業

今回は昨日に引き続いて

歴史模擬授業17回目、安土・桃山時代の続きです。(詳細は、おとといの記事をご覧ください)

戦国~安土・桃山時代は好きな方が多いので

「実際はちがう!」とか「この人はもっと素晴らしい人で・・・」などと

思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、これは数多くある1つの話なんだ、

と思って頂けると幸いです。

ではでは、安土・桃山時代の授業の続きを行います。

ーーーーーーーーーーー

「では、織田信長の意志を継いだ豊臣秀吉のお話。」

「信長の意志って、戦争(内乱)をなくして強い日本に~、ということなのかな?」

「そうね。それを達成するには、全国統一が必須条件だった。

      信長によって、ほぼ全国統一は完成しつつあったんだけど、まだまだ反対する勢力もいてね。」

「そうだよね・・。信長のときもそうだったんだから・・。」

「秀吉は山崎の戦いで明智光秀を倒した後で、着々と全国統一をなしとげていって、

 ついに1590年に小田原(神奈川)の北条氏を滅ぼして、全国統一を果たしたの。」

「全国統一を果たしたのは、豊臣秀吉なんだね。」

「そうなの。この全国統一を果たす間に、秀吉は大阪城を築いているの。

   この大阪城は、石山本願寺(いしやまほんがんじ)の跡につくったんだ。」

「ん?石山本願寺って何?」

「一向宗の総本山の寺なの。」

「あの、一向一揆の一向宗ね。」

「その石山本願寺の跡に大阪城をたてて、秀吉は天下統一を成し遂げていったの。

     1585年には関白、その翌年には太政大臣になったの。」

「あれ?関白とか太政大臣って朝廷側のものだったよね。なんで、武士側のトップの将軍じゃないの?」

「これは秀吉の出身が武士ではなく、バリバリの農民であったことが大きいみたい。

      武士の一族ではないので、将軍にはなれなかったから、かわりに・・ということみたい。」

「今みたいに、どんな身分でも総理大臣になれる時代ではなく、

    下剋上の実力主義の時代とは言え、出身が関係するとは・・。」

「ちなみに、秀吉は関白を養子に譲ったあとで自らを太閤(たいこう:太政大臣の別称)と名乗ったそうよ。」

「太閤って聞いたことある!名古屋駅の裏、新幹線口のことを太閤通り口っていうよね!」

「そう!あの太閤通り口の太閤はそこからとったんだろうね。

    秀吉の出身地の中村区側に裏口はあるからね。」

「ほえー。(愛知県名古屋市の)中村区出身なんだ、秀吉さんは・・・。」

「実際に、中村区にある中村公園に秀吉出生の地があるそうよ。」

「へー。一度行ってみようかな~。」

「話をもとに戻すね。

   天下統一を成し遂げたあとで、秀吉はもう二度と戦争がおきないようにしようと

   色々と政策を実行するの。

   その中で有名な2つが、刀狩太閤検地。」

「なんで、その2つで戦争がおきないの?」

「それは戦国時代になぜ戦争がおこり続けたのかを考えるとわかるよ。」

「えーと、たしか、戦国大名たちは将軍の言うことをきかずに好き勝手やって、

   大名同士で領地の取り合いをやったり・・・、土一揆や国一揆もおこって・・・。」

「そうだったね!信長&秀吉が戦国大名と戦って、自分たちの言うこと聞かせることに

     成功したね。秀吉の言うことを聞いた大名・武将たちは地位や領地を与えたので、

     反乱は企てることはないだろうとひと安心。

     あと、問題は土一揆や国一揆をおこした地侍や農民たち。

    土一揆・国一揆は鎮圧したんだけど、武将たちに領地などをあげたように、

    農民たちに何かをあげるわけにはいかない。」

「そうだよね・・。そうしたら、また惣をつくってたてこまれたら、意味ないもんね。」

「だから、反乱をおこさないように、武器をとりあげちゃおう!っていうことにしたの。

     それが刀狩。」

「そうなんだ。」

「農民らから刀や鉄砲などの武器を、差し出させたの。これでもう一揆はできないでしょ!

     武器がなきゃ戦えない。

 

     また、それ以外に、村に住んで、農民たちと身近にいた武士たちがいたんだけど、

   その武士たちを城下町に住ませて、自分たちの配下に置いたの。

   それで農民と武士を身分をはっきりわかれさせることに成功した

   それを兵農分離(へいのうぶんり)と言うの。」

「今までは、武器もあって、農民と地侍たち(武士)が入り混じっていたから、反乱がおこっていたもんね。」

「ただ、兵農分離して反乱をおさえるのが本来の目的なんだけど、

    そんなことを言ったら農民たちが言うこと聞くはずないよね。」

「そうだよねー。」

「だから、名目上は、方広寺(ほうこうじ)での大仏建設のための

    釘などに使うから武器をほしい、ということにしたの。

    そうすれば、みんなの心の平安をもたらす大仏がつくられるからいいでしょ!ということで・・。」

「そっか。武器は金属からできてるから、いったん武器を溶かして・・ということね。」

「うわー。すごい理由・・。」

「刀狩で武士と農民と区別したよね。

    そして、もう1つ、検地というものがあるんだけど、

    これは、上の支配する側からしたら年貢を一定の収入を得るため、

    農民側からしたら余分に年貢を払わなくてよいように、ということで、

    全国の田畑の面積や等級(良し悪し)を調べ、年貢の基準を定めたの。

    そして、耕作者と石高(こくだか:生産高)を記したの。」

「あ、これで、武士とは分かれちゃったけど、

       農民も不当に年貢を差し出させられることはされなくなったんだね。」 

「そうね。秀吉が行った検知を特別に太閤検地と言います。」

「ああ、太閤秀吉がおこなった検地だから太閤検地ね。」

「そういうこと。他にも、秀吉は、ますやはかりなどの統一もしていってね。」

「色々な量や目盛りの統一をしていったんだね。」

「これは、1人の人が「これが正しい目盛りだ!」と言って、みんなが言うこと聞かないと

       うまくいかないから、天下統一しないと、できないことだったんだろうね。」

「そうだね。ここまでだったら、秀吉の行った政策は悪いものではなかったんだけど・・。」

「え?何かやっちゃったの?」

 「これが、今の国際問題に起因するものでもあってね・・。」

「??」

「秀吉が、自分の言うことを聞く部下に領地を与えて、味方を増やしていったのは

      さっき話したよね。でも、だんだんともうあげられる領地がなくなっていったの。」

「ありゃりゃ。」

「そこで、海外を征服して、そこの領地を部下に与えよう!と考えてね。」

「日本統一したら、次は海外侵略戦争?!」

「そう。皮肉よね。内乱という名の戦争を終わらせたら、次はまた侵略と言う名の戦争へ。」

そうだよね。」

「秀吉は、中国(明)を征服しようとして、その道すじにあたる朝鮮にまず戦争を行うの。

     それを朝鮮出兵と言ってね。

     1592年文禄の役1597年慶長の役、という2つの

   出兵があるんだけど、2度とも失敗に終わってね。

   でも、日本側も朝鮮側も多くの死者を出して・・。」

「うわー。それが今の朝鮮半島の国々と日本の外交問題をうんだんだね。」

「そうね。もちろん、このあとの明治~昭和の外交が一番の問題だったけど、

    その最初の発端がこの朝鮮出兵だったとも言える。」

「うーん、難しいね。」

「君たちは、秀吉が悪い!といって「正義感」をもって怒るのではなくて、

   その朝鮮出兵を知らないで国際社会に出るのははずかしいことだと思ってくれれば、そして

   そして、反省し二度と同じ過ちをおかさない、と誓って行動してくれればいい。」

「そうだよね。1つの悪い面を見て、あの人がやったことはすべておかしい!と

 他人事にするのではなく、このような失敗を自分もしないようにしよう!と学ぶのね。

 それが歴史を学ぶ意味なのね。」

「英語がしゃべれたって、歴史や社会情勢をしらなければ、

   ただ外国人と友達になるだけでおわるだけだもんね。

   色々なことを知って、英語というツールで国際社会に羽ばたいて

   国際社会に貢献することが大切なんだね。

   そのためには社会もたくさん勉強しないと!」

「みんな、色々と言ってくれてありがとう!」

「えへへ」

 

 

「あとは、文化について話すね。戦争をしている間は、大きな文化は生まれない。

    だから、主に全国統一が成し遂げられるころあたりから、

      つまり織田信長・豊臣秀吉(とくに秀吉)の時代に文化ができる。

     そのような文化を桃山文化と言います。」

「どんな文化なんだろう。」

「まずは、仏教勢力を弱め南蛮貿易をしていた時代だから、南蛮文化の影響を受けていたの

    また、天下統一というでっかい夢にむかっていた時代だから、豪華で雄大な文化だったそうよ。」

「どん!って感じだっただろうね。」

「金色にかがやく甲冑など、いろいろ派手だったみたいね。」

「へー。」

「桃山文化で有名なものは3つ。1つはお城。」

「この時代っていうと城を築いて政治を~という感じだから、お城のデザインにも力が入ったのかな?」

「有名な城が、秀吉の築いた大阪城・伏見城。あと、もう1つが世界遺産にも登録されている・・。」

「あ、地理で習った!たしか・・・姫路城!」

「そう!姫路城!この城は別名、白鷺城(しらさぎじょう)と言われるほど、うつくしくてね。」

「鳥の白鷺のように、まっしろできれいなんだろうな~。」

「しかも、大阪城などはもう焼けちゃってしまったのだけど、(現在の大阪城は再建されたもの)

     姫路城は、昔のまま残っていてね。

   当時のお城の状態がよくわかるのよ。」

「へー。」

「兵庫県にあるので、一度行ってみると、世界観がかわるわよー。

     (ちなみに、時期によっては修復作業中の場合があるので、行く際は調べてから行くと良いかも?)」

「はーい。」

「あと、びょうぶ絵(びょうぶに描く絵)でも有名な絵師がいてね。

     その1人が、「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)」を描いた狩野永徳(かのうえいとく)。」

「あ、「唐獅子図屏風」を見たことある!すっごく力強い絵だよね。」

「びょうぶ絵は城の内部にあったびょうぶを華やかにしてくれたのかな~?(予想)」

「あと、最後に、茶道(さどう)が千利休(せんのりきゅう)によって大成されたの。」

「あ、茶道って、茶室でお茶を・・・というやつ?」

「そう!」

「いかにも日本らしいよね!」

「茶室の入り口ってすごく小さいでしょ。

   それって、刀を持ったままだと入れないから、

  茶室に入るときには武器を捨てて、

  茶を楽しんでいるときは戦争のことを考えるな、という

  意味合いもあったという説があるわ。」

「うわー、かっこいい!」

「ではでは、今日はここまで。次は江戸時代に入りますね。

     では起立!礼!」

「ありがとうございました!」

ーー

おわり。

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

とくに国際問題には細心の注意を払って記述しておりますが、

不快に感じた方がいらっしゃったら

大変申し訳ありません。