重要なお知らせ〈p〉
この元記事を書いた時点で、現在の教科書での記述と異なる点がありましたので、
2014年9月に訂正させて頂きました。(士農工商・慶安のお触書、という言葉を削除し、文章を変えました。)
記事作成から5年ほど経ち、教科書も改訂されたり、歴史での新しい発見(訂正)などがあるため、
このような事態がおきてしまい、申し訳ありませんでした。
他の記事も順次、確認をして訂正すべきと判断したものは訂正されて頂きます。
(ただ、育児中と精神的に現在不安定な部分があるため、時間はかかるかもしれません。)
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〈p〉 今回は歴史模擬授業18回目、江戸時代初期です。(詳細は、前の記事をご覧ください)
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「さて、今日からは江戸時代。江戸時代は長いので、3つに分けて覚えましょう!」
「はい!」
「江戸幕府の成立から鎖国の完成までを初期、
4代将軍(5代将軍)~寛政の改革あたり&文化を中期、
大塩平八郎の乱・異国船打払令~江戸幕府の滅亡までを後期(幕末)としましょう。」
「はーい。」
「では今日は、江戸幕府の成立までやるね。」
[この前は、豊臣秀吉の時代までだったね。」
「そうね。2回目の朝鮮出兵中に豊臣秀吉は病死しちゃうんだ。」
「え?そうなると、次はだれが秀吉の跡を継ぐの?秀吉の子供?」
「子供はいたんだけど、まだ子供だったから、秀吉は亡くなる直前に、
自分の部下に子供が大きくなるまで、かわりに政治をしてくれ、と言ったの。」
「そうなんだ。」
「その部下のトップが、徳川家康でね。5人で力を合わせてがんばろうという話だったのに、
家康1人で勝手に政治をするようになった。」
「うわー、じゃあ、他の4人はそれで文句を言わなかったの?」
「もちろん、言うさ。秀吉の意志を継がぬ独裁者の家康め!とね。
それで家康の政治に不満を持つ人たちと家康が対立するようになり、
ついに戦争がおこった。」
「うわー。」
「それが、天下分け目の戦いである、関ヶ原の合戦(1600年)。」
「関ヶ原の合戦って聞いたことがある!」
「おそらく、一番有名な戦いかもしれないね。
関ヶ原の戦いで、徳川家康の軍(東軍)は、
豊臣氏をもりたてようとした石田三成たち(西軍)を負かすの。」
「つまり、秀吉の意志を継がなかった家康が勝ったということだから、天下は家康のものになるのね。」
「じゃあ、秀吉の子供はどうなったの?」
「まだ生きてるよ。おそらく当時の人々は、自分の部下の地位争いをしているだけで、
秀吉の子供が大人になったら家康は政権を返すだろうと思っていたんだ。」
「そうなったの?」
「それが、家康は1603年に、徳川家康は征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く。
さらに、すぐに自分の息子である徳川秀忠に将軍職を譲っちゃうの。それって何を意味するかわかる?」
「?」
「自分の血のつながった子に将軍職を継がせるってことは、
そのあと、征夷大将軍につくのは永遠に徳川一族だって
ことを示すわけよ。
豊臣秀吉の子が大人になったときに、その子に譲らない!ということに。」
「うわ、それじゃあ、豊臣家はどうなっちゃうの。」
「そのあとで、徳川家康は豊臣家を滅ぼすの。1615年に大阪城を攻めて。
そのことを、大阪冬の陣・大阪夏の陣と言うの。」
「2回に分けて行われたんだね。」
「冬の方が最初なので、順番を気をつけてね。この大阪の冬&夏の陣はあまり入試では用語そのものは
でないんだけど、正誤問題などで出たりするので一応覚えておきましょう。」
「はい!」
「さて、では、1603年に徳川家康は、東京に江戸幕府を開いたので、
江戸幕府の仕組みを見ていきましょう。
徳川家康(その後を継いだ子孫の将軍たち)は
再び戦国時代のような内乱状態(戦争状態)がおこらないように、
豊臣秀吉以上に徹底的に政治改革をしていくの。3代かけて平和な国日本をつくっていくのよ。」
「3代かけて、つくっていくとしっかりした基盤ができるって前に習ったものね。」
「さて、再び内乱がおきないようにするためには秀吉はどうしたんだっけ?」
「刀狩をして、兵農分離をしたよね。」
「そうそう。農民と武士の身分を分けたね。
江戸幕府も、同じように身分を分けたの。
武士・百姓(ひゃくしょう)・町人、という身分制をね。
この時代は、身分によって住む場所・就く職業がほぼ決められていた、と思ってね。」
「今は、身分もないけど、住む場所や職業も自分で選べるものね(希望が叶うかは別だけど)。
江戸時代は、生まれた瞬間に、ある程度の未来が決まっていたんだ(もちろん、例外はあります。)。」
「では、武士・百姓・町人のそれぞれの暮らしはどうだったか?をそれぞれ見ていきましょう。
まずは、百姓から。
百姓(厳密に言うと違う点はあるが、百姓はいわゆる農民のこと)
は村に住んで農業を行います。そして、年貢を出すことになっていました。
さらに五人組という、5つの家(5戸)を1組にして、年貢や犯罪について共同責任を負わせたりね。」
「どういうことなのかな?」
「たとえば、A・B・C・D・Gという家で1つの組だとすると、その中の1人のBが犯罪を犯したら、
のこりのA・C・D・Gも、Bの犯罪を止められなかったから共同責任だ!と言って罰せられるの。」
「ええええー。」
「なぜそうやったかというと、共同責任をとらせることで、お互いに悪さしないように見張るように
なるからね。結果的に、誰も幕府に反乱おこしたりしなくなるし、年貢もしっかり入ってくるでしょ。」
「たしかに・・・。」
「次は町人。町人は、町に住んでました。
町人は、お店で物を売ったりする商人や、大工などのモノを作る職人などで構成されています。」
「ほえー。」
「残る武士について。
武士は高い身分とされました。
そして、政治関係(治安維持や行政・裁判)を行いました。」
「現代とはちょっと違うけど、
農民が百姓、会社の社長やサラリーマンや職人さんが町人、政治家が武士、ということね。」
「そうね。まあ、今は、身分差別も昔よりはないし、
どの職業にも自分の努力と運次第で就ける可能性はある、という
違いはあるけれどね(職業によっては、希望をしても就けない職業もありますが・・)
「では、次は武士の身分のトップたちのことを見ていきましょう。
まずは中央機関のこと。
幕府のトップはもちろん征夷大将軍(将軍)。こちらは徳川一族が継ぐと決まっていたの。」
「そうだよね。だから家康はいち早く息子に将軍職を譲ったんだものね。」
「これは自分の一族が天下を握るという意図だけでなく、内乱を防ぐ意味合いもあるのよ。」
「そうなの?」
「ほら、今までの歴史をよく思い出してごらん。内乱ってどういうことがきっかけでおこったの?
たとえば、壬申の乱とか応仁の乱とか。」
「壬申の乱は天智天皇の死後に大海人皇子と大友皇子のどちらが天皇になるかの後継者争いだったね。」
「応仁の乱は、管領の跡継ぎ争いを発端として、いろいろな跡継ぎ争いなどがあいまっておこって・・・。」
「あ!わかった!内乱の元は後継者争いだから、あらかじめ誰が後継者になるかを
はっきりさせておけば反乱はおこらないんだ!」
「そういうこと!」
「でもさ、もし将軍が子供ができなかったらどうなるの?
またお兄さんより弟の方が優秀だったら弟が継ぐの?」
「そう思うよね!家康はそれも徹底させたの。
まずは、能力の有無にかかわらず絶対に長男が継ぐ。
そして、万が一、将軍の直系の子供がいなくなれば、
あらかじめ決めておいた順番で徳川一族から将軍職を出すようにしたの。
徳川氏一族とは、水戸の大名家、尾張の大名家、紀伊の大名家で、
将軍職に就くのにちょうどよい男性が水戸にいなけりゃ尾張、尾張にいなきゃ紀伊から出すとしたの。」
「すっごい徹底ぶり!」
「実際に、それで将軍になった人物が、中期・後期で出てくるので楽しみにしててね。」
「尾張って愛知だよね?!愛知って徳川一族だったんだ・・・あ、だから
大曽根駅近くに、徳川美術県っていうのがあるの?」
「そうなの。家康所蔵のものや尾張徳川家の宝物がたくさん所蔵されていて、
おそらく愛知県の中で一番常設展が充実している美術館よ。」
「ほえー、今度行ってみよう!」
「では、次。将軍の補佐をするのが老中。老中は数人いるの。
それで、もし緊急事態になったときに老中内で意見がわかれてなかなか決められないといけないから、
臨時で大老(1人が受け持つ)という役職が出現し、その大老が取り決めるの。」
「そうだよね。外国に攻められているときに、会議している場合じゃないもんね。」
「ちなみに君たちはこれから習う老中はこれから何人か出てくるんだけど大老は幕末で1人だけだよん。」
あとは、史料に色々と役職(機関)が出てくるけど、京都所司代を除けばほとんど聞かれない。」
京都所司代は鎌倉の六波羅探題のようなものね。
江戸幕府は東京にあるから、京都の朝廷は監視しておかないとね。」
「じゃあ、将軍・老中・京都所司代以外は覚えなくてよいですか?」
「覚えるに越したことはないけどね・・。
まあ、よくきかれるのは、この中で江戸時代のものは何か?という問題で。だから、鎌倉・室町の役職を
全部覚えていれば、覚えていないのが江戸と予想しても良いしね。」
「予想して考えて解くんだね。」
「そういうこと。社会って丸暗記で覚えてないとできない、と思う人も多いんだけど、予想して考えて解くもの
もおおいので、、思考力も必要な科目なんだよね。」
「そうだよね~♪」
「では次は、地方をどのようにわけて地方のトップたちをどうしたか、を見ましょう。
まずは、幕府直属の領地を設定する。その領地を天領(てんりょう)と言います。
天領になったのはは、重要な都市や港、鉱山がたくさんある地域。」
「つまり、幕府以外の人たちがそのような重要な場所を持っていると、
お金などを稼いだりして幕府より強い力を持つ可能性があるから、
大切な場所は幕府のものにしたんだね。」
「お!よくわかってるね!」
「えへへ。」
「そして、将軍から1万石以上(1石:1人が1年で食べる米の量)の領地を与えらた武士を大名と呼び、
その大名が治める領地(およにしくみ)を藩というの。
さらに、その大名を内容で3つに分ける。
1つは、徳川一族で場合によっては将軍職も選出する、親藩(しんぱん)。」
「あ、さっき言ってた、水戸・尾張・紀伊のこと?」
「そうそう。ちなみに水戸(茨城)、尾張(愛知)、紀伊(和歌山)を総称して御三家(ごさんけ)と言います。
時々、親藩の地域はどこか、と聞かれるので覚えておいてね。」
「はーい。」
「あと、2つは譜代大名(ふだいだいみょう)と外様大名(とざまだいみょう)。
この2つは明確な違いがある。」
「何だろう?」
「譜代大名がおかれたのは、幕府のある江戸の近くや重要な地方で、外様大名は江戸から遠いへき地に。」
「譜代大名のほうが良いところにおかれてるね。」
「なんで、なんだろう。」
「これは譜代大名の方が信用できるってことだよね。つまり、信用できるかそうでないか、とはどこで決まるのか?」
「うーん。」
「ヒントは1600年天下分け目の戦い!」
「あ・・関ヶ原の戦い!」
「そう。関ヶ原の戦い以前から徳川氏の味方だった人って信用できるんじゃないかな?
だって、当時は豊臣方が中心だったのだし、徳川氏が勝てるとはわからなかったから、
そのころから徳川氏についてくれるのは信用に値するはず。」
「そうだよね!ということは、譜代大名が、関ヶ原の戦い以前から徳川氏の味方だった一族ってこと?」
「うん、そういうこと。」
「逆に、外様大名は関ヶ原の戦い以降から徳川氏の味方になった一族ってことだね。」
「そうそう。この譜代大名と外様大名の違いはよく記述で聞かれるので、よく覚えておいてね。」
「関ヶ原の戦い以前から徳川氏の味方だったか、そうでないか、ということね。」
「そうね。では、大名たちのきまりをみましょう。」
「きまりも出来たんだね。」
「そのきまりは、2代将軍の徳川秀忠のときにできた。
きまりの名は、武家諸法度(ぶけしょはっと)。
かなり大名に厳しいきまりで、もし武家諸法度に従わなかったら、その大名から領地を取り上げたりも。」
「うわー厳しい。」
「たとえば、どんなきまりがあったの?」
「城を勝手に改修しちゃならん!勝手に結婚するな!どっちも幕府の許可を得ろ!とか」
「えー、なんで?」
「だって、城を勝手に補強したり、戦争するために大きくしたりしたら困るでしょ。
結婚だって、婚姻関係を結ぶことで軍事同盟が結ばれたり、徳川氏の脅威となる一族が誕生したり
することだってあるわけで。」
「ほんとうにすごい徹底ぶりだ!徳川氏による政治で内乱をおこさないようにするんだね。」
「この武家諸法度は、将軍がわかるごとに改正していくんだ。
それで、3代将軍の徳川家光のときに
さらに、新しい制度が武家諸法度に組み込まれる。
それが参勤交代という制度でね。」
「また厳しい制度なんだろうなぁ。」
「うん、厳しい。
大名の妻と子は人質にして江戸に住まわせて、
大名自身は1年ごとに江戸と自分の領地に行き来する、というもので。」
「家族を人質?!つまり、それって、将軍(幕府)の言うことを従わなかったら、家族がどうなっても
しらんぞ!というおそろしい脅しだよね。」
「そうなのよ。さらになぜ、大名は1年ごとに江戸と領地に住むようにさせたかの理由がよく入試で聞かれるの。」
「理由?」
「行き来するだけでお金がかかるでしょ。移動する際の移動費・食事代・宿代など。」
「たしかに・・。」
「だから、参勤交代を定めた理由は、「大名の経済力を弱めるため」です。
お金が旅費で多く使われるから、幕府に反乱するための武器を買ったりできないだろ、ということ。」
「しかも人質がいるから、言うこときくしかないもんね。」
「すっごく厳しいけど、それで反乱はおこらなくなったから、江戸時代は長く平和が続くことになるの。」
「多くを望まなければ、平和で暮らせるってことだもんね。」
「平和な世の中をつくるには・・ということを色々と考えさせられるね。」
「そういうことね。難しいわね。」
「では、次は鎖国をば。」
ーーーーーーーーー
続く。