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歴史模擬授業(第18回 江戸時代初期)②-2

2010年11月21日 14時22分13秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業18回目、江戸時代初期の続きです。(詳細は、昨日の記事をご覧ください)

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「さて、今回は江戸初期の外交をみていきましょう!」

「はい!」

「ここで復習をば。安土・桃山時代に行っていた貿易って・・・。」

「南蛮貿易だったよね。スペイン人やポルトガル人と貿易していたんだよね。」

「そうそう。じゃあ、そのスペイン人が伝えたものを1つ。」

「キリスト教だったね。」

「そうなの。

織田信長が、旧来の仏教勢力を抑えるためにキリスト教を保護していたという話はしたよね。

しかし、秀吉は途中まではキリスト教を大切にはしていたんだけど、途中から対応がかわるの。」

「えー、なんで?」

「色々な説はあるけど、ここでは2つの説を説明するね。

1つは、キリスト教信者がどんどん増えていったので、

キリスト教徒の力をおそれてキリスト教を禁止するようになった、というもの。

これじゃあ、反乱を起こす可能性のある信者が一向宗からキリスト教にかわっただけじゃん!と。」

「たしかに・・・。」

「もう1つの説は、イエズス会の伝えたキリスト教のシステムの問題。

イエズス会が伝えたキリスト教の宗派はカトリックという宗派なんだけど、

これは、ローマ法王を頂点とする宗派だった。

・・ということは、日本人のキリスト教(カトリック)信者は、

秀吉や天皇にでなく、遠い外国にいるローマ法王に従うことになっちゃうでしょ。」

「あ・・そうすると、信者が一致団結して秀吉に従わなくなったら大変だね。」

「そうなのよ。それで、豊臣秀吉の政権を引き継いだ徳川氏の江戸幕府も同じ気持ちで、

だんだんとキリスト教に対する対応が厳しくなっていくの、

キリスト教の宣教師や信者をきびしく取り締まったり、

外国船の来航を禁じ、海外にいる日本人の帰国も禁止したりしたの。」

「えー、じゃあ、帰れなくなった日本人もいるんじゃないの?」

「うん、多くいたそうよ。

正しいことをしている信じ外国に行って日本に知識や良い物を持ち帰ろう思ってたのに・・、という

悲しい思いをした人はいたそうで、その人たちはほとんど現地(外国)にとどまり亡くなった。」

「そうなんだ・・・。」

「では、国内に話を戻すね。

そういうキリスト教への弾圧に対し、ついにキリスト教信者が爆発するの!」

「そうだよね。今まで信じていいよ!と言っていたのが禁止されるんだもんね。」

「爆発したのは、江戸幕府3代将軍徳川家光のとき。

1637年、場所は島原(長崎県)・天草(熊本)。

領主のきびしい年貢の取り立てとキリスト教の弾圧に反抗して、天草四郎を大将にして、

多くのキリスト教徒が一揆をおこしたの。それを、島原の乱(島原・天草一揆)と言います。」

「乱という名称がついているってことは・・・島原の乱は失敗におわったのかな?」

「うん。キリスト教徒たちが負けた。

島原の乱のあと、江戸幕府はさらに厳しい対応になり、

キリスト教の禁止をいっそう強めるの。」

「3代将軍徳川家光って、前回習った参勤交代を定めたり慶安のお触書を定めたり、

色々と厳しい政策をしていった人なんだね。」

「そうね。平和な社会を完成させるために、色々と厳しいことをしていった将軍ね。」

「そうなんだね。」

 

「さらに、徳川家光の時代に、オランダの商館(取引のための現地におく営業所)を長崎の平戸から、

人口の埋めたて地の出島にうつし、そこ以外で貿易ができないようにさせるの。

出島は長崎にあります。

それで、外国と交流をもたない鎖国という状態が完成します。」

「鎖国という言葉は聞いたことがあるよ。」

「鎖国ではね、

出島での貿易は幕府が管轄し、他の地方の大名たちが自由勝手に外国人と交流を

もてなくさせたの。

つまり、日本国内から隔離された島でしか、外国人は日本と交易できないようにして、

日本に外国の余分な情報や、もちろんキリスト教も入ってこない形になった。

しかも、大名たちが外国と自由に交流できないから、外国人から武器を調達できないし、

海沿いの藩の大名たちが貿易でお金をかせがないようにさせることにも成功した。」

「参勤交代の制度も、大名の経済力を弱めるためだったから、

完全に、外国とシャットダウンさせて大名に経済力をつけさせないようにしたんだね。」

「このように、外国との交流を完全にシャットダウンした鎖国状態の日本。

でも、2つの国だけ日本と貿易をすることを許された国があったの。

その2つの国とは、中国(清と、オランダ。この2つはよく入試で聞かれるので確実に覚えましょう。」

「中国は明から清という王朝にかわったんだね。」

「そうね。清は、日本がいつも模範としていた中国だし、今まででもよく交易していたから納得がいくでしょう。」

「オランダは?ヨーロッパの国だよね?キリスト教の国だよね。」

「オランダは、イエズス会が伝えた、ローマ法王を頂点とするカトリックの国ではなくて、

聖書を第一とするプロテスタントの国だったのでその点も都合がよかった。

さらにオランダは、キリスト教は広めないから、という約束もしてくれたから。」

「純粋に、日本と貿易をしてくれるってことだね。」

「そういうこと。日本からしても、ヨーロッパのことを何もしらないまま過ごしていくのは怖い。

だから、オランダと関係を持つことで、世界の情報を得よう、ということなのよね。

あまり入試にはでないんだけど、ときどき愛知県の私立中入試で

聞かれるので覚えておくと良いものに

オランダ風説書(阿蘭陀風説書)というものがあるの。

これは、鎖国の時代に

オランダ船が幕府に提出した海外情報書よ。」

「鎖国でも日本は外国の情報は得ようとしていたのね。」

「アジアの中心の中国と、ヨーロッパのオランダと交流すれば、ある程度の世界の可能だもんね。」

「そういうこと。」

「この鎖国は200年続いたの。平和な時代が約200年(幕末は除く)。

だから日本独特の文化の文化が発展するの。

しかし、その間に、ヨーロッパでは革命がおこりめざましい発展をとげ、

次々と領土を獲得し、世界の頂点にたっていくんだけど、その間、日本は世界から取り残される結果に。

しかし、そのおかげで、日本は体力を温存し、明治時代に大きく世界の中心に入り込んでいく。」

「何事も、これからどうなるかわからないものんだね。」

 

「そうね。これが、キリスト教および鎖国の話だったけど、

ヨーロッパ以外の国々との交流も話すね。」

「はーい。」

「1つは、朝鮮と。豊臣秀吉の朝鮮出兵のあと、日本と朝鮮は国交を断絶していたの。」

「そりゃ、そうだよね・・。すぐに仲良くしましょ、というのは無理だよね。」

「江戸幕府に変わったって、なかなか難しい。

しかし、対馬藩(長崎)という九州と朝鮮の間にある島の藩が

仲立ちをしてくれて、徳川家康のときに国交が回復するの。

そのあとで、江戸幕府の将軍が代わるごとに、

朝鮮からは、朝鮮通信使とよばれる使節が江戸におとずれてくるようになった。

朝鮮通信使は高校入試ではあまり出ないんだけど、

私立中入試ではよく聞かれ、得点ポイントだから

私立中受験者の子はよく覚えておきましょうね。」

「はーい。」

 

「あと、東南アジアとの貿易。」

「東南アジアって、フィリピンやインドネシア、ベトナム、タイなどがある地域だよね。」

「そうそう。東南アジアとの貿易は、豊臣秀吉の時代にはじまり、徳川家康の時代にさかんになるの。

そのような貿易を朱印船貿易というので覚えましょう。」

「貿易相手によって貿易名が違うんだね。」

「そうそう、よくごっちゃになる人が多いから、気をつけてね。安土~江戸初期の、

ヨーロッパとの貿易⇒南蛮貿易、東南アジアとの貿易⇒朱印船貿易、だから。」

「はーい。」

「朱印船貿易の結果、東南アジアに移り住む日本人も現れ、

日本町というののが東南アジアの各国にできたの。」

「へー。」

「中には、シャム(タイ)の王様に仕えるような日本人もいてね、山田長政(やまだながまさ)という男性。」

「すごいね。」

「以上ね。あと、私立中入試ではちょこちょこでるので、もう1つだけつけくわえ。

徳川家康は、幕府の経済力を強めるために、外国人を外交の相談役においたそうなの。

その相談役の2人を覚えておくとよいわよ。

オランダのヤン=ヨステン、と、

イギリスのウィリアム=アダムス(日本名は、三浦按針:みうらあんじん)。

雑学だけど、東京駅の新幹線側南出口を八重洲口(やえすぐち)というだけど、

八重洲はヤン=ヨーステンという名前からとったそうよ。」

「へー。」

「じゃあ、話が前後することがおおかったから、今回は簡単にまとめるね。

 

<ヨーロッパに対しての外交>

織田信長:南蛮貿易・キリスト教の保護

 ↓

豊臣秀吉:途中からキリスト教に対して厳しくなる

 ↓

江戸時代

徳川家康:キリスト教徒の弾圧をおこない始める(1612年~)

~徳川家光:島原の乱・鎖国の完成

 

<朝鮮に対して>

豊臣秀吉:朝鮮出兵⇒国交断絶

徳川家康:朝鮮通信使が始まる

 

<東南アジアに対して>

豊臣秀吉~徳川家康(江戸初期):朱印船貿易

ということね。」

「どの地域に対してかを考えながら覚えると良いのね。」

「そうね。では、次は鎖国が始まり、平和になった日本の状態をみていきましょう。」

「はーい!」

「ではでは、終わります。起立・礼。」

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おわり。

 わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 



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