今日は歴史模擬授業9回目古墳時代です。
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キンコーンカンコーン
「さて、本日は古墳時代を始めるわ。」
「こふん?こふん?」
「古墳が多くつくられた時代だから古墳時代なのよ。」
「こふんって何?」
「お墓のことよ。詳しく言うと、土を盛り上げてつくった、権力者のお墓のことよ。」
「お墓ブームの時代だったのかな?」
「面白い事言うね。お墓自体がブームってわけではないんだけど、お墓をつくっていったというのは歴史的に大きなことなんだよね。」
「へ?なんでなんで?」
「ふふ、それが今回の本題とも言えるわ。ということで始めましょう!古墳時代!」
「はーい。」
「さて、この前は弥生時代を習ったね。」
「うん。弥生時代で、統治する人・される人が分かれて身分ができて、一つの政治的まとまりの、くに が誕生したんだったよね。」
「そのくにの代表が、奴国や邪馬台国だったんだよね。」
「すばらしい!よく覚えているね。ちゃんと理解していた!ということね。その弥生時代にできた身分や「くに」が、だんだん固定化されたのが古墳時代なのよ。」
「弥生時代には固定されてなかったの?」
「ある程度は固定されていたんだけど、強い人物たちが現れて新しいくにに、それまで強かったくにが滅ぼされたり、そのくにのトップもころころ変わったりしていたみたいよ。」
「へー、そうなんだ。」
「古墳時代には、1つのまとまった政権(くに)ができたの。それを大和王権(大和政権)と言います。
その大和王権のトップに立った身分を、大王(おおきみ)と言って、
大和王権はこの大王(おおきみ)を中心として大和とその周辺の豪族たちによって構成されていたそうよ。」
「だいおう(大王)、と書いて、おおきみ、って呼ぶんだ。」
「うん、国内では、おおきみ、という呼び名を使っているわ。(中国では倭王という呼称が使用されている)。この大王が現在の天皇という身分の基礎になるのよ。」
「大王が後の時代に天皇になるんだね。あ・・大和政権ってことは、大和地方が中心だったってこと?大和って奈良だったよね。」
「よく気がついたね!そうなんだよ、大和(奈良)が中心地みたいだったようよ。
3世紀から4世紀にかけて、奈良地方では多くの古墳がつくられたんだ。
その古墳の形で有名な前方後円墳と言われる大型の日本独自の古墳が今でも多く残っているのよ。」
「前方後円墳って鍵穴みたーい。」
「後方の円墳に大王や豪族を埋葬して、前方の方墳(□の形のほう)で祭儀を行ったそうで、それからこういう形になったそうです。」
「へー。ちなみに前方後円墳じゃなくてもいいんだけど、古墳ってどれくらい大きいの?」
「大きさはさまざまなんだけど、1つの山ぐらいの大きさだと思えばいいわよ。ちなみに愛知県民なら知っているかな?小牧山って行ったことある?」
「あるよ!名古屋空港からも見えるし、実際にハイキングも行ったことがあるよ!」
「小牧山は実は古墳なのよ。」
「え?そうなの!すっごく大きいよ!」
「ほかにも、春日井市に双子山古墳ということろがあるんだけど、そこは前方後円墳の形がはっきり見えるから、一度行ってみるとよいわね。
また奈良県に行ってみると、いたるところに古墳があるから、行くと良いわよ。とくに、桜井市や明日香村がお勧めよ!」
「いろんなところに古墳があるんだね。」
「ちなみにテストで最も出やすいのは、大阪の堺市にある、最大の大きさの古墳の大仙古墳(伝仁徳天皇陵)よ。伝説では仁徳天皇という天皇のお墓だったとか?」
「これだけ大きなお墓を作るのは大変だったんだろうな~。」
「時間も労力も必要だったのよね。多くの人たちが土を盛り上げたり、石をけずったり運んだり・・と一生懸命つくったのよね」
「お墓をつくる人たちは大変だったよね。自分や親族のお墓じゃないのに、よくやるよね。」
「良いことに気がついたね。それだけ大変なお墓づくりを人々にさせることができたってことは・・」
「そっか!それだけ、お墓に埋葬される大王や豪族たちに力があったってことなんだ!」
「そういうこと!多くの人々を従わせることができる力があり、大きな古墳(お墓)をつくることで自分たちの権力を後世まで残そう、という思いもあっただろうから、自分の力が安定してずっと権力を握っていたということなんだよ。」
「一時的な権力だったら、自分を守ることだけで精いっぱいだもんね。」
「もちろん、弥生時代にもお墓は存在しているんだけど場所によってお墓の形はまちまちだったのが、古墳時代には、どの地域でも前方後円墳のかたちが主流になってくるから、みんな1つのまとまりができたってことなんだよね。」
「前方後円墳が大和地方だけでなく日本各地にあるってことは、前方後円墳を主流とした大和王権に従った!ということなんだね。」
「うん!そういうこと!
あと、古墳のまわりには埴輪(はにわ)という土でできた兵士や家などの形をした置物を置いていたのよ。
埴輪をおいたのは、古墳そのものが崩れないようにしたり、死者の魂を慰めるためなど、いろいろな理由があるそうよ。」
「へえ。」
「あと、豪族についてなんだけど、これは1つの家族単位の一族だと思えばいいわよ。
彼らは祖先を共通する人たちで集まって、氏(うじ)という集団をつくって、その氏で代々決まった仕事で奉仕していたの。
有名な氏に大伴氏(おおともし)や蘇我氏(そがし)がいるわ。」
「今でも、一族のことを○○氏とか言うのは、そこから来てるのかな?山田一族を山田氏とか。」
「そして、その氏には、臣(おみ)とか連(むらじ)などの身分の上下があったの。
その身分の上下を姓(かばね)と言ったの。
とくに有力な氏の身分は大臣(おおおみ)とか大連(おおむたじ)などの身分(姓)が与えられて、大王と一緒に中心になって政治を行ったそうよ。」
「読み方は違うけど、大臣(だいじん)というのは、そこかた来てるのかな?今でも政治のトップクラスは、総理大臣とか財務大臣とかだもん。」
「あと、豪族たちの一部は朝鮮や中国から日本に来て永住した一族もいるそうよ。
中国や朝鮮から大陸の発達した文化を持ってきた人たちなのよ。
このように4~6世紀にかけて朝鮮や中国から日本に来た人々のことを渡来人と言います。
そして、その渡来人が日本に持ってきたものは、今の日本の基礎を築いたともいえるものがあるのよ。」
「ん?何?」
「ヒント!なんで、この時代から、突然細かい歴史まで勉強できるようになったよね。あと、中国文明を習ったときに、ある王朝で発明されたもの、で習ったことがあるものよ。」
「あ!わかった!漢字だ!漢字つまり文字があるから、この時代の歴史がある程度わかるんだ!」
「そういうこと!本としてはほとんど残っていないけれど、古墳から出土された副葬品の剣などに文字(漢字)が書いてあって、それで誰のお墓かわかったりするのよ。」
「ほかにも、儒教や土木建築やすぐれた金属加工技術、高温で焼いた質の高い土器である須恵器(すえき)をつくる技術も伝えたのよ。」
「儒教って、上の人には従って上の人は良い政治をしましょう、むやみに争うのはやめよう!という考えだったよね。当時、そういう考えが伝わったから、日本も大王という人を頂点に立たせて、国の安定をさせたのかなぁ。」
「今まで習ったことを、このように総動員して考えることは良いことだよ。
ただ、大和政権の成立や、さっきヒナちゃんが言っていた文字も起源などはさまざまな説があるので、私からは、これが正解!とかは言えないけど、考えうことは良いことだから、これからも考えていってね!」
「はーい」
「あと6世紀には、当時朝鮮半島にあった国の1つ百済(くだら、もしくは、ぺくちゃ)から、仏教も伝わったの。その仏教が政治に入り込んでくるのが、次の飛鳥時代になるのよ。」
「つながっていくんだねー。」
「そうなのよね。だから歴史は面白いのよ!
今日は話がとびとびになっちゃったんだけど
要は、大和政権が大王を中心につくられた政治集団で、
その時代に権力者の墓がつくられ、
代表的な古墳の形が前方後円墳だった、
ということがわかっていれば大丈夫よ。」
「はーい」
「それでは終わります!起立!礼!」
「ありがとうございました!」
キンコーンカンコーン
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終わり。
わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不快な気持ちになった方は申し訳ありません。