人生ずっと上り坂だ!
と、書けばまるで上昇気流に乗っているようだが、この意味は単に「立ち止まる」と「スベリ転げ落ちる」の意味でしかない。もう非常に残念です。笑
今の私を形作ってるのは、「失敗」の連続や、無謀さの結果です。
何でもスマホで調べる。のと「実際にやってみる」ことの違い。
実際にやって、出来ないことで多くが学べる。
しかし失敗するのは「アホ」である。 目的は「失敗」ではないからだ。
で頑張ったその結果が、この有様だから我ながら笑えます。
「オイ」
成れの果て? 因果応報?これすね 原因と結果です。
全部、責任は本人であります。どんな言い訳も出来ますが、その結果は変わりません。ハイ。
今から35年前、ロンドンはビクトリア駅で途方に暮れ一週間座ってました。笑
以後、流れに乗って来たとも言えるし、流されたとも・・
流れがハッキリ見えた時もあります。か?
で、あっという間にジジイです。
いつも思うけれど
ポールやミックジャガーは偉大ですね。マジ
よくもへこたれずに・・・
さて、当時はスマホもPCもなく、旅は80%は勘でした。
プラプラしながら旅して実は何も考えてませんから。降りた駅のどっちに宿があるかは判らない。地図もない。
「空き」のサインが点っていても、アジア人には面前で「ない」という時代の端っこでもありました。
「どうにかなる」と思うしか思考はないのです。
これはポジティブ・シンキングではなくて、それしか選択はないのです。
Cafeをするのに、目標100軒なんて回る人がいますが、100回って、その平均値が理想ではないし、良いとこ取りは、結局、平均になる。
私は1軒も回らないし、誰かの真似もしない。
けれど身の中に在るのは、この若い頃に見た残像とも言える。
ここにバイクがあって、500円玉一個しかなくても私は北海道まで行ける。
行く自信がある。(ただもう。そんな気持ちがないだけ)
商売も同じです。で、実際にやってみなければ判らない。
けれども皆、分相応の「賭け金」(資本)しか皆ないわけです。
(これは大英博物館での一コマだが、テートのターナーの代表作のまん前に座り小学生皆でが思った事を発言している。)
生き残る為には、ゲームに参加し続ける為には「賭け金」を上手に持ち続けること以外にない。
暮してゆく苦しさと楽しさは常に表裏一体で、我々市井に生きる者は波に漂う
小船にように危うい。
ピカデリサーカスは、もうサークル(ランナバウト)ではなくなってました。
大きな設計変更がされたようです。この看板は、SANYO AKAIなど日本のメーカーが目立ってましたが、今は昔・・
行動範囲が意識の範囲なら、スマホなんてものは暮らしの道具であり、それで意識が広がることはないと思います。