ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

風の吹く日に

2012年04月03日 | 随想

 土曜日、風が強くて、外房線の電車内で当分過ごしたことをお伝えしたPhoto 。三日経っての今日もこれは相当な風である。外では立っていられないほどで、恐ろしいうなり声の中、馴れない私は、「ここは関東だ」とつくづく思い知らされたのである。

 5年前、上京することが決まって真っ先に思ったのが、わたしの場合「風」であった。それほど関東には強風の記憶がある。なぜなら私は、広島でも海岸部から小一時間も山間部に入った、山間の育ちである。空から見ても、中国山地は、ご飯茶碗を点々とひっくり返したような丸い山ばかりで、平らな土地が少ない。だから、風は山の上の空中戦という感じで、台風以外には風というものを知らなかった。

 大学生になって初めて関東に来たが、住み始めた所は厚木市の丹波山麓で、山の裾野のために風はやっぱり空中戦だった。ところが3年生になる春に平野部に下りて初めて、風を体験する。「春一番」であ
Photo_2る。これには真底ぶったまげ(驚い)た。なにしろ高い高い津波のような黒い壁が、ドドーッとはるか南の方から襲ってくるのである。どうやったらこれから逃げられるのか、冷や汗をかいたような気がする。

 実はこの風体験後しばらくして、何年も避けていた洗礼を受けた。受けてからだが、風が三位一体の神である聖霊をあらわすことに気がついた。聖霊はしばしば「風」とたとえられているのだ。日本は世界でも宗教が自由な国でありながら、有名なノンクリスチャン国である。わずかにいるクリスチャンですら、実は聖霊のことなどほとんどわかっていない。風は目に見えないが、しかし風があることは外に出てみれば肌で分かる。聖霊の働き無くしてこの国に、大福音化(リバイバル)が起きるはずもないことも肌で分かる。今日の台風並みの強風をはるかに越えて、私たちは聖霊の大嵐が来ることを知っている。それはたぶん、風の強い関東から始まると思っている。 (ケパ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする