私の母はアルツハイマー型認知症である。今はグループホームで暮らしているが、いわゆる施設に入るまでの最後の3年弱を、私は介助のため母と共に過ごした。久しぶりに昨日、帰郷の折りに訪れたのだが、とうとう最後まで私は息子として認識してもらえず(写真)、ホームを後にすることになった。予想されていたこととは言え、これはかなりショックだった。満開の桜の下で、しばし呆然・・・とした思いだった。
10年前、家族と別れはじめて母と二人だけで暮らしてみると、いろいろなことが待ち受けていた。まず訪問セールスマンたちとの攻防が始まった。彼らは父の戦友会名簿とか同窓会名簿をもとに実に高額なアルバム帳とか郡史を売りつける。売りつけるというよりは、勝手に上がり込んできて商品を置いて行き、後で脅迫的な請求書を送りつけてくる。または理解ができない母に売買契約書の押印を押させる手口だ。
どう言う訳かいろいろな業者が次から次に来るので、そのような名簿情報が業者に流れていると分かった。私は彼らに母の保護者として契約無効の宣言をし、消費者センターなどから協力を得ながら、まさに戦った。「職場へ押しかけてやる」とどなってきたり、脅されもした。一歩も引かず、ビタ一文出さなかった。そして半年を過ぎたあたりで、まるで台風一過のように彼らはピタッとわが家に来なくなった。それまでどれほどのお金が、彼らにむしり取られたのかは不明だったが・・・・。
次なる対応は、ご近所とだった。母は元来が人付き合いの良い、世話づきなタイプだった。しかし子どもの私たちに、母の発症を疑わせたポイントの一つだが、人格が変わって非常に被害妄想に陥り、近所に対して攻撃的な対応になっていた。お世話になっていたご近所の方からなんどもねじ込まれ、苦情を言われ・・・・「ただひたすら謝る」ことが私の日課だった。
思いあまって母をたしなめると、「それでもお前は私の息子か!」と母から逆ギレされて、またまた大変になる・・・・
この母の人格の変わり様は大きな波を繰り返しながらも、だんだんと穏やかになっていった。実はそれはまた病の1段階アップであって、無反応になり、外出しても自分の家に帰ってくるのが困難になったり、外出先では私のズボンのベルトに手を挟んででないと不安になってきた。そしてとうとう徘徊が心配されるようになった時点で、ケアマネージャーたちによって施設入所が決まった。
このように思い出してみて、たまにしか訪れない息子の私を忘れるのは仕方ないことだと、自分で納得することにした。せめて救われ信仰をもってほしかったが、これもすべて神さまの御心なのだと思う。
自分の命は「当分大丈夫だ」なんて思ってはならない。人の命は脳卒中や交通事故で、明日の命は分からない。それだけでなく、母のような緩慢なアルツハイマー症にだって、気がつかない内になってしまう可能性も大きい。いつの間にか決断できない状況になってしまってからでは手遅れだ。だから今、今自分の永遠の霊を救う決断し、イエス・キリストの十字架を受け入れる決心を表明することは重要だ。自分の命を滅びから救う判断を、先延ばしてはならない。 (ケパ)