「危篤!」の知らせを聞いて、ちょうど70日目の昨日の早朝、信仰の友が天に帰って行った。
広島時代の、この群れで親しくお付き合いさせていただいた、ご夫婦の夫君である。こういう親しい友の場合、いつもというわけではないが、霊的なお知らせがある場合がある。今回早天の祈りをしていて、その朝に限って兄弟のことを思い出し、時が来たことを感じていた。
人の命は神の手にあることを知っている。そして私たちは死が終わりではなく、まさに待ち焦がれていた主イエス・キリストとの永遠の生活が始まるスタートであることも知っている。だから「よかったね」と真底思う。するとメールが来て、「すばらしい安らかな顔だよ」とあった。そりゃそうだ!わたしもその日を心から待ち望んでいる。が、今この世での使命をちゃんと果たし終えてからのことだ。死ぬことも生きることも、すべて益とされる。 (ケパ)