ドルカスが一部四角い顔になった。
歯の痛みというものはひどい。腫れて、どんどん腫れていった。
食欲もなく、痛みのストレスが、そのそばにいるだけでも伝わってくる。
今日は昨日よりもさらに腫れているので、かかりつけの歯科医も対症療法から腹を決め、徹底的に原因を探ることになった。まず全体が腫れているので、原因の歯すら特定するのがたいへんだったらしい。上の歯?下の歯?下ならどの奥歯?まるで探偵だ。
いよいよ特定できたら、かぶせてあるクラウンをはがすことに。金属を貼り付けてあるので、これはどうしても痛む。ここで剥がしてみたら違っていた、では話にならない。
私たちが全幅の信頼を置いている歯科医師は見事な腕前だと思う。「剥がすホンの瞬間だけで、それ以外にはまったく痛みがなかった」とドルカスは言っていた。そしてその歯こそ、膿が溜まっていた歯であった。完全では無いものの、これ以後ドルカスは、まったく別人のようになった。夕方になると食欲まで出て、人並みに食べることすらできたのだ。
ある程度以上の膿を内包していると、体はこれに勝つことができず、最後には全体を化膿させて死を招く。だから徹底的に取り除かなければならない。何でもそうである。
実は私たち人間には、「罪」という膿があって、このために死は避けられないものとなっている。この膿には「圧倒的だ。もう勝てない」と普通はあきらめてしまいがちである。しかしそうではない。
神の子「イエス・キリスト」が全人類の罪のために十字架にかかってくださった。身代わりの死である。だからこのお方を信じ、罪の告白(膿出し)をするならば、すべての罪が赦され、完全に罪から癒やされる。その印として「永遠の命」という、滅ばない霊と御霊の体が与えられる。これこそキリスト教信仰の核心部分である。ハレルヤ! ケパ