子供の時、父母の馴れ初めに興味を持って聞いたことがある。すると
「戦後の一人ぶちでは食えない時期、結婚しなくちゃいけないから、お見合いした。」
「暗い電灯の下で、(母は)一度も顔すら上げなかった。」
「えーッ、顔もわからず、それでも一緒になったん!」
以来、愛のない男女間から生まれ育ったことを確信したこの子供は、
「絶対ぼくは、好きな女性と結婚して、愛の中からお前たちが生まれたんだよ」と言ってやると決心した。
結局、お見合いは一度もしなかった。断固拒否したからである。
二十歳の時に出会った女性に、ふられ続けて、七年待ち続けた。一番好きな人と結婚が無理であるならと、宗旨替えをし修道院に入ろうとした。しかしその寸前で、待ち続けた女性が翻意し、初志貫徹、奇跡的に結婚できた。
神様は私を、カトリックの修道士、司祭には、よほどされたくなかったようだ。
こうして私は、生まれた子供たちへの最高の贈りもの、どんなにパパがママを愛していたかを綴った、長い物語を書いた。
後年、子供たちはその物語を、ほとんど顧みなかった。
長く病を負った伴侶を、心から愛し続けたが、癒やされがたい傷は、伴侶から最期まで厭われ憎まれたことだ。祈る事すら拒絶された。
私の描いた愛情家庭は、最後は別居であり、通じない愛に立ち尽くした無残なものとなった。
話はこれで終わらない。
没後、再婚した妻(誰でしょう?)は好きではなかった。というより、職場で同僚の◯◯さんの妹というだけで、ほとんど知らなかった。
正直に言うと、綺麗な方なのかもしれないが、好みのタイプではなかった。けれども神様に「この人だ」と言われたので、聞き従って結婚することにした。神への献身とは、自分の好みも、人生設計も棄てるということだった。
結婚してはじめて、この人が自分のために神様が造られた、片割れの体、真の妻であることがわかった。信仰も使命も一つだが、体が二つに分かれ役割が違うので、時々大げんかをする。しかし三位一体ではないが、元々一つの体なので、すぐに仲直りするしかなく、前よりもっと一つになって行く。
これほどの幸せは、この世では存在しない。たとえ全世界を与えらても、心から愛し、共感してくれる人がいなければ、それは虚しい。
しかし、自分の力で愛を作ることはできなかった。かつて父母の、愛のない結婚にがっかりした子供は、自分の誤りに気づいた。傲慢であった。お見合いもいい。自分の好みを絶対視しない方がはるかに健全に決まっている。しかし最善がある。
ただ神のみが、私たちを最も幸せにしてくださる。ケパ