最近、祈りについてすごく教えられている。内住される聖霊なる神様からである。
クリスチャンにとって祈りとは、いのちの息であり、糧である。祈らないクリスチャンがいるとすれば、それはもはや死んだクリスチャンであって、神の内に生きている方ではない。
繰り返すが、祈りは自己満足のためにするのではない。これなくして、他に道がなく、生きて行けないのである。もし祈らないとすれば、それは自己中心の、肉の歩みをすることと同じことである。それではもはや、神のしもべではない。御心を行うことができない。単に自称クリスチャンである。
祈ることを通して神に依存し、世に勝利し、主の霊による力と栄光をみる。どうしても祈れない人、1時間ですら祈れない人、祈っても一度もそれが応えられたことがないと言う人。その原因は神にあるのではない。ご自分の罪の認識が足りず、悔い改めがされていないか、または高慢のためであって、しもべとして、完全に神にご自分を捧げる手続きがなされていないためです。人は神と対等ではないのです。
祈りはどれほど素晴らしいか、どうか毎日くじけずに祈り続けてほしい。祈れるよう、膝まづいて祈り求めてください。ケパ