ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

こんな時代が来るとは

2012年08月17日 | PC モノ 便利

 船橋キリスト教会の会堂整備が急ピッチで進んでいる。今日はオークションで落とした会堂トイレのウォシュレットを仕入れに千葉市まで行き、着いてからはその取り付け工事を自分でした。Photo

 トイレが会堂の中にある故、ドルカス曰く、「音姫付きにして」と。確かに祈祷中などで用を足すのは、シビアな話である。かといって水を流しっぱなしにされるのも、エコではない。単体であるのは知っていたが、ウォシュレットに組み込んであるものがあるとは・・・・「うーん、これは是非とも入手を!」


 探しても普通の商品では見つからず、なんとオフィス・商業施設などのTOTO業務用品で見つかった。そして8万のものが、ネット4.5万であった。しかし、である。なんとオークションで新品2.5万で落とせたのである。翌日の今日、店に取りに行き、自分で設置工事を完了したのだから、おそらく水道屋さんに頼む金額の1/4でOKだったのだ。


 閑話休題

 一昔前、だれがこのようなネット時代を想像できただろうか?今回会堂と牧師室開設に伴い、いろいろな品物を求めずにはいられなかったが、そのほとんどをネットの買いもので済ませたので、おそらく店頭価格より数割は安かっただろう。ネットで商品を調べ、ネットで評価をチェックし、ネットで決済する。その場所も居間やカフェといった、いわばどこででも薄いiPad一つで済んでしまう。

 近い将来この行き着く先、現在のような既存の店はまったく姿を変えざるをえないだろうし、友達とのおしゃべりや選挙の投票、読書なども大きく変わることだろう。


 ただし、どのように社会が変化しても、変わらないものがある。それは人間そのものであり、人間の罪という現実である。聖書という神の言葉は、数千年の人類の歴史を経てWorship_44も、不変であった。と言うより、ますます一言一句真実であることが明らかになっている。

 ネットとPCがさらに進歩し、聖書の神、イエス・キリストを伝える福音も、世界の隅々まで届く時代になることだろう。と言うことは、聖書が繰り返し説く、世界がさばかれる日、終わりの時も来ることになる。  ケパ

 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ 24:14) 

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棄てることが・・・つらい

2012年08月16日 | 感謝

 前回も書いたことですが、残された持ち物のS整理で、一番最後まで手が付けられなかった事。

 今回春にこの家が空くことになって、再び私物の撤去作業が必要となった。このままにしておく訳にいかないから。しかし、秋までには片付くようにと祈っていた。夏にはここで休暇を過ごしたいなどとのんきなことも考えながら・・・・

 そして今週片付けはすべて終了した。と同時に、これまで思い入れのあるものが、数多く棄てることが出来ずにあったことに気づかされた。


 気に入ったので増えていった食器類。いつのまにかお茶の稽古で増えていった和服。せっせと植物で染めた毛糸の山と、編み込んだ作品を記録したアルバム。もうすでにいない愛犬愛猫のアルバム。この家の新築中を記録したアルバム。手入れをし育てたハーブや薔薇などのアルバム。そして子どもの頃からの私。と、特にアルバムのその数々が処分できずにあった。

でも祈ったら、私には過去を振り返り、そのことに浸っている必要はもうないと示された。ではその整理をとはじめると、ページをめくる手が中々止められない。どれ取っておこうか。なんて探している。

しかし中座している間にケパさんがこれは保存しておくと良いね。と3冊のアルバムをよけておいて、後はどんどん処分の山にしてくれてた・・・ ううぅ ・・・と感謝した。

そのアルバムは、幼年期から小中学生の私。そして20歳前後の私と、私にとっても、老いた母や兄たちにとっても、ケパさんと二人で和やかにのぞき込めるアルバムでした。

今はデジタルの時代でパソコンには沢山の写真があるけれど、実際にアルバムで見る写真は懐かしく、その時代を知るものだけの楽しみなのだな。

自分で処分しておく必要があった事がすべて出来て、神さまありがとうございます。ドルカス

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信じる者にはしるしが伴う

2012年08月15日 | 信仰

  「(主イエスを)信じる人々には次のようなしるしが伴います」(マルコ16:17)

 これは聖書の言葉である。逆に言えば、たとえクリスチャンであると言っても、全く市井の人と変わらぬのであれば、自らは信じていると称していても、実は疑わしいことになる。クリスチャンにとっては、空恐ろしい言葉ではないか?

   ここで「しるし」と言っているのは、「悪霊の追い出し」「蛇や毒からの害を受けず」「病人に手を置いて癒す」ことであるとされている。このような「しるし」が信者のしるしであるなら、今のほとんどのクリスチャンは落第だろう。

 実は私自身も、カリスマ信仰を持った五十歳までは、ずPentecost_26っと黙殺し続けてきた聖書箇所だった。そのようなしるしなど馬鹿げているし、実際見聞したこともなく、これはキリスト教草創期の特異な時代だけの話として受け取っていた。

 しかし実際には、1906年アメリカのアズサ通りでシーモア牧師による聖霊のいちじるしい働きが始まり、再び「しるし」が現れはじめていたのである。


   キリスト教信仰が他宗教と決定的に違うのは、一神教vs多神教と言う大きな見方と言うより、個人の内面に神が生きることだ。自分の罪を認め、悔い改め、十字架によって罪が赦される体験をすること。その上で、自由意思で神に自分の心を明け渡すことだ。すると個人の中に神が宿り(聖霊の内住という)、宿るだけでなく、その人の主となって神に従うものとなる。この段階で、その人を通して神の力が現れる。「しるしが伴う」のは、その人の力でなく、神がその人の主となって働かれる故なのだ。

 だからわたしは確信を持っているが、あらゆる不思議なしるしが現される時代になる。多くの人々が癒やしを求め、教会の前に列を作って並ぶようになるだろう。精神の病の人、不治の病の人・・・・キリストの時代がカムバックし、リバイバルが来るだろう。   ケパ

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信じる者にはしるしが伴う

2012年08月15日 | 信仰

  「(主イエスを)信じる人々には次のようなしるしが伴います」マルコ16:17
これは聖書の言葉である。逆に言えば、たとえクリスチャンであると言っても、全く市井の人と変わらぬのであれば、自らは信じていると称していても、実は疑わしいことになる。クリスチャンにとっては、空恐ろしい言葉ではないか?

  ここで「しるし」と言っているのは、「悪霊の追い出し」「蛇や毒からの害を受けず」「病人に手を置いて癒す」ことであるとしている。ここまで来ると、他の人からは宗教気狂いと言われてしまいそうだ。実は信者であった私自身も、カリスマ信仰を持つ五十歳までの三十年間、黙殺してきた箇所だった。なぜなら、そんなしるしなどをいっさい見聞したことはなく、これはキリスト教草創期の特異な時代だけの話として受け取っていた。

  キリスト教信仰が他宗教と決定的に違うのは、よく言われるように一神教vs多神教と言うより、キリストが死んで葬られて、よみがえったことを信じるかどうかという、知性を神に捧げ全面降伏するかどうかなのである。その高い門をくぐった者にのみ、もう一度信仰の知性で立つことができるのである。しるしという聖霊なる神の霊の力は、そのような人にのみ働くのだ。ケパ

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片付け終了

2012年08月14日 | 感謝

片付け終了
  今日ですべての私の物がこの家から無くなりました。片付け完了。明日から業者による掃除が始まります。間に合ってよかったあ。
  手伝いを余儀なくされてた兄夫婦と甥に感謝。大詰めになってきてくれた妹に感謝。また突然きてくれた、叔母に感謝。他にもたくさんの人に感謝でした。 また、私達に強制的に付き合ってくれたコールありがとう。お前はいつも涼しい場所見つけては、この写真のように寝てたね。良い子だよ。 さらに 一番の助けは、神様あなたの召しに立つ、夫のケパさんでした。素晴らしい伴侶を備えて下さり、感謝します。そしてこの時を感謝します。 (ドルカス)

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本当に最善なものとは?

2012年08月12日 | 示されたこと

Photo    子供の時、父母の馴れ初めに興味を持って聞いたことがある。すると
「戦後の一人ぶちでは食えない時期、結婚しなくちゃいけないから、お見合いした。」
「暗い電灯の下で、(母は)一度も顔すら上げなかった。」
「えーッ、顔もわからず、それでも一緒になったん!」
 以来、愛のない男女間から生まれ育ったことを確信したこの子供は、
「絶対ぼくは、好きな女性と結婚して、愛の中からお前たちが生まれたんだよ」と言ってやると決心した。

   結局、お見合いは一度もしなかった。断固拒否したからである。
 二十歳の時に出会った女性に、ふられ続けて、七年待ち続けた。一番好きな人と結婚が無理であるならと、宗旨替えをし修道院に入ろうとした。しかしその寸前で、待ち続けた女性が翻意し、初志貫徹、奇跡的に結婚できた。
 神様は私を、カトリックの修道士、司祭には、よほどされたくなかったようだ。
 こうして私は、生まれた子供たちへの最高の贈りもの、どんなにパパがママを愛していたかを綴った、長い物語を書いた。


 後年、子供たちはその物語を、ほとんど顧みなかった。
 長く病を負った伴侶を、心から愛し続けたが、癒やされがたい傷は、伴侶から最期まで厭われ憎まれたことだ。祈る事すら拒絶された。
 私の描いた愛情家庭は、最後は別居であり、通じない愛に立ち尽くした無残なものとなった。


 話はこれで終わらない。
 没後、再婚した妻(誰でしょう?)は好きではなかった。というより、職場で同僚の◯◯さんの妹というだけで、ほとんど知らなかった。
 正直に言うと、綺麗な方なのかもしれないが、好みのタイプではなかった。けれども神様に「この人だ」と言われたので、聞き従って結婚することにした。神への献身とは、自分の好みも、人生設計も棄てるということだった。

 結婚してはじめて、この人が自分のために神様が造られた、片割れの体、真の妻であることがわかった。信仰も使命も一つだが、体が二つに分かれ役割が違うので、時々大げんかをする。しかし三位一体ではないが、元々一つの体なので、すぐに仲直りするしかなく、前よりもっと一つになって行く。
 これほどの幸せは、この世では存在しない。たとえ全世界を与えらても、心から愛し、共感してくれる人がいなければ、それは虚しい。
Photo_2
 しかし、自分の力で愛を作ることはできなかった。かつて父母の、愛のない結婚にがっかりした子供は、自分の誤りに気づいた。傲慢であった。お見合いもいい。自分の好みを絶対視しない方がはるかに健全に決まっている。しかし最善がある。


 ただ神のみが、私たちを最も幸せにしてくださる。ケパ

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明日のために

2012年08月11日 | 生活

今日は明日の主日礼拝準備の為、船橋です。 船橋への移動にこの頃はナビの示す湾岸線を走ります。 今夜はレインボーブリッジで花火大会があるようです。もう少し遅い時間だったら、見ること出来たかな~と、思いながら車は船橋へどんどんと遠退きます。

湾岸線は多少遠回りするようですが、道幅が広く3車線あり、車の流れがスムーズなのでケパさんは気に入ってます。 実は私も景色が良いので嬉しいのです。 今日はカメラ忘れたので写真を貼れずに残念。 いつか紹介しましょう。今夜はとにかく、会堂を整え明日の備えですね。 ドルカス

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どうぞお持ち帰りください

2012年08月09日 | 生活

 信州のドルカスの家のガレージ前では、通行する人や車に向かって、「どうぞお持ち帰りください」のキャンペーンをしている。今日でもう三日目になるが、朝から出したためかすこぶる反響がよい。

 昼過ぎには、連続では無いが、三日間で最高の人を集め、みなさん車を取りに帰っては積んで、ほとんど品物がなくなってしまった。こうしてこの試みはうれしい店じまいとなって終了。(写真は相当減ってきたガレージ前の風景)Photo

 驚いたのは、とうてい「大きなカメ(瓶・・・・写真左隅)や毛糸類はダメだろうな」と思っていたら、みな無くなった。どういう利用をするのかと聞けば、「傘立て」にする、と。「ナルホド」、アイデアしだいで利用法があるものだと感心した。

 食器類を箱に幾セットかおいたが、箱ごと持ち去ってくださる人もいた。朝から人が何人も来ておられたので、「人が人を呼ぶ」効果の大きさにびっくり。すると教会も、時が来たら同じようになる、との示しもいただいた。

 ドルカスの家から出る大量の処分品を前に、「まだ十分使えるものを、ゴミにするのはもったいない」との思いではじめた。捨てるより、また新しい持ち主の方に使ってもらえる方がエコで、旧所有者にとってもうれしい。処分費用の節約にもなる。これを一石三鳥という。アイデアをくださった神様に感謝。   ケパ

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写真アルバム

2012年08月08日 | 感謝

 家の片付けも終盤となってきた。今日は妹が午前中から来てくれて助かった。Photo_2
 一人では決めかねる物が今になった増えてきた。むしろ数が多くあった前半の片付けの方が比較的スムーズに処理できていたようだ。衣類においても着物においても欲しいと思う人に渡せていた。

 しかし、今日の片付けは困難なのです。思い出そのものと言える品のひとつ、アルバムの数々。朝のお祈りで、スムーズに片付けが進むように祈っていたのだけれど、手が止まる回数が増えてきた。今朝は思い出でだけの品となったアルバムは処分しよう。と答えが出ていたのだけれど、いざ始めると、一冊ずつ広げる自分がいる。20代の写真30代の写真。あのときこの時、その表情などと・・・


 いやいや、このアルバムは今はもう必要は無い。4年前にすべて新しく始めたではないか。「あなたの故郷、あなたの父の家を出て、私にが示す地へ行きなさい。」と、みことばを受け取ったではないか。
 今も又、必要のない物と決別し、思い出も、生活した品々すべても、すっきりとさせ出発できるのだから、と自分を励まし、祈りながら一日の予定を終えたのだ。感謝  ドルカス

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11ぴきのめだか

2012年08月07日 | 生活

 「11ぴきのねこ」という、馬場のぼるの絵本があって、私はこれが好きだった。ねこではないが、ドルカスの家にある、二つの水たまりには併せて11ぴきのメダカがいる。
 ここ信州はドルカスの家に来ると、先ず真っ先に、唯一の生き物であるメダカをチェックすることにしている。水が少なければ水を、それと餌を忘れてはいけない。多過ぎても、少な過ぎてもまずい。Medaka3

 水と餌をもらったメダカたちはいっせいに、元気に泳ぎ回る。それを見ているだけでも、しばらく見入ってしまう。実にそれがうれしく、楽しい。6月に買ってきて以来、彼らは一匹も減ることなく、不在の家の水たまりでがんばっている。
 最近は特に、人の姿を見るだけでも、メダカは無警戒に近寄ってくるようになった。とらねこのようなリーダーは(だーれが生徒か、先生か・・・)分からないが、みんな仲良しそう。

 手水鉢の方は水が早くへりぎみなので、明日は数匹、大きな方に編入させようと思う。最後まで、皆元気に育って欲しい。   ケパ

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