矢口史靖監督の成長に驚かされる一本。彼がデビューした時に感じたのは、その“いじけたオタク”のような自意識過剰な性行だ。つまりは“自分では面白いと思うネタなんだけど、一般ウケしないかもしれない”といった強迫観念を抱きつつ、それでもやらずには済ませられないオタクらしい執着性を、何度も後ろを振り向きながらおずおずとスクリーン上に出してくるヘタレぶりである。それは初期のマイナー臭い諸作はもちろん、普遍的なエンタテインメント指向が認められた「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」でも残っていた。
しかし本作は違う。堂々たる娯楽大作だ。物語のアウトラインは往年の「大空港」シリーズを思い起こさせる航空パニックものだ。ところが数多く作られた航空災害映画と比べてこの映画が屹立したオリジナリティを獲得しているのは、その圧倒的なディテールの積み重ねである。ハッキリ言ってしまえば、細部の綿密な描出だけで成立しているような作品だ。
旅客機が空港を飛び立ち目的地に到達するまで、いかに多くのスタッフが関与しているのか、そして彼らの存在無くしては飛行機なんて1ミリも動かないことを示している。たとえば機械整備担当の厳格な職務遂行ぶり。作業時間が少しでもオーバーしたり、工具がひとつでも紛失したりすれば重大なトラブルに繋がる恐れがある。そして管制室の確実なチェック体制。処理した案件を記したプレートを次々に別の箱に移すという、けっこうローテクだと思われる方法だが、業務の進捗状態が一目で分かる合理的なやり方である(ヘタにシステム化すると電気系統の故障の影響を受けやすいだろう)。
鳥と航空機が激突するのを防止するため、猟銃(空砲)を持った職員が空港付近をパトロールしているのも、正副パイロットが食中毒で共倒れするのを防ぐためそれぞれ別の食事メニューを取ることも、この映画を観て初めて知った。これら膨大なディテールは言うまでもなく作者のオタク的性質の賜物なのだが、今回は観客の顔色を見るような遠慮がちな姿勢は微塵もない。その提示の仕方は自信に溢れている。
もちろん“苦労してリサーチしました”という恩着せがましい態度や、ウンチクを勿体ぶって並べる傲慢さにも無縁だ。とにかく、数々のネタが絶妙のリズムで繰り出される演出リズムには舌を巻く。脚本も良く練られていて、前半からの各モチーフの振り分けが、中盤以降の航空パニック映画としてのサスペンスに至る伏線となっているあたりは見事。
もちろん、連発されるギャグも効果的で、その多くを担っているのはドジな新米スッチー役の綾瀬はるかだ。筋金入りの天然で、行く先々で笑いを巻き起こす。田畑智子や平岩紙ら地上スタッフも天晴れなボケ具合。対して時任三郎や寺島しのぶは矜持を持ったプロを代表するキャラクターで、作劇を引き締めている。ならば中心人物であるはずの田辺誠一扮する“機長研修中パイロット”は影が薄くなっているのか・・・・ということは決してなく、それ相応の見せ場もちゃんと用意されている。
とにかく、登場人物とプロットの絶妙のアレンジメントを堪能できるウェルメイドな快作だ。ちなみにANAがジャンボジェットでのロケを許可するなど全面協力している。同社の株も上がるかもしれない。