(英題:WALK UP )韓国の異能ホン・サンスの高踏的な演出スタイルを承知した上で接すれば、けっこう満足感を覚えるだろう。そうではない“カタギの(?)観客”の皆さんが観ると、意味不明で退屈な珍作としか思えないかもしれない。少なくとも、観る者をかなり選ぶシャシンであることは確かだ。私はといえば、何とかついて行けたという感じであるが、独特の存在感があることは認めたい。
映画監督のビョンスのは、娘のジョンスがインテリア関係の仕事を志望しているため、ソウルの江南(カンナム)区にある、ビョンスの旧友で著名なインテリアデザイナーのヘオクが所有するアパートを訪れる。そのアパートは、1階がレストランで2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階がアトリエで地下がヘオクの作業場となっていた。3人はワインを酌み交わしながら談笑するが、ここから映画は各フロアを舞台にしたショートドラマがオムニバス形式風に展開する。
この映画の玄妙なところは、オムニバス作品としての一貫性を敢えて外している点だ。普通このような体裁のシャシンは、各パートが有機的に絡み合って最終的に何か一つのテーマを提示するか、あるいは独特のエンタテインメントを醸し出すというのが常道だろう。しかし、ここではそのような意図は感じられない。だから一見すれば散漫な印象を受ける。
ところが観続けていると、意外とこちらの琴線に触れてくるのだ。エピソードごとにアパートの階層を一階ずつ上がっていくという構成だが、登場人物たちはほぼ共通でありながら、微妙にズレている。直前のパートで出てくるキャラクターが急にいなくなったり、時制もランダムに前後させている。
この取り留めも無い形状の中で浮かび上がるのは、俗に言う“一寸先は闇”という身も蓋もない認識以外に、シチュエーションが変われば人生は玉虫色の景色を見せてくれるといった、ひとつの達観だ。アパートの階数が変わるだけでこれだけのバリエーションが展開されるのだから、一般ピープルの生活空間では無限大の可能性が広がっているのは当然。
そんな当たり前ながら多くの者は認識もしていない事柄を、ホン・サンス監督は静謐で美しいモノクロ映像で綴ってゆく。カメラワークは長回し中心で、ゆったりとしていながら緊張感がある。ビョンス役のクォン・ヘヒョをはじめ、イ・ヘヨンにソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソらキャストは派手さこそ無いものの、皆的確な演技を見せる。
映画監督のビョンスのは、娘のジョンスがインテリア関係の仕事を志望しているため、ソウルの江南(カンナム)区にある、ビョンスの旧友で著名なインテリアデザイナーのヘオクが所有するアパートを訪れる。そのアパートは、1階がレストランで2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階がアトリエで地下がヘオクの作業場となっていた。3人はワインを酌み交わしながら談笑するが、ここから映画は各フロアを舞台にしたショートドラマがオムニバス形式風に展開する。
この映画の玄妙なところは、オムニバス作品としての一貫性を敢えて外している点だ。普通このような体裁のシャシンは、各パートが有機的に絡み合って最終的に何か一つのテーマを提示するか、あるいは独特のエンタテインメントを醸し出すというのが常道だろう。しかし、ここではそのような意図は感じられない。だから一見すれば散漫な印象を受ける。
ところが観続けていると、意外とこちらの琴線に触れてくるのだ。エピソードごとにアパートの階層を一階ずつ上がっていくという構成だが、登場人物たちはほぼ共通でありながら、微妙にズレている。直前のパートで出てくるキャラクターが急にいなくなったり、時制もランダムに前後させている。
この取り留めも無い形状の中で浮かび上がるのは、俗に言う“一寸先は闇”という身も蓋もない認識以外に、シチュエーションが変われば人生は玉虫色の景色を見せてくれるといった、ひとつの達観だ。アパートの階数が変わるだけでこれだけのバリエーションが展開されるのだから、一般ピープルの生活空間では無限大の可能性が広がっているのは当然。
そんな当たり前ながら多くの者は認識もしていない事柄を、ホン・サンス監督は静謐で美しいモノクロ映像で綴ってゆく。カメラワークは長回し中心で、ゆったりとしていながら緊張感がある。ビョンス役のクォン・ヘヒョをはじめ、イ・ヘヨンにソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソらキャストは派手さこそ無いものの、皆的確な演技を見せる。