快作「こちらあみ子」(2022年)でデビューした森井勇佑監督の第二作ということで大いに期待したが、話にならない内容で落胆した。キャリアの浅い者が、早々と“作家性”とやらを前面に打ち出そうとするケースは少なくないとは思う。しかし、そこをしっかりと制御するのがプロデューサーの役目であるはずだ。今回のケースは、その職務を果たしているようには見えない。とにかく、オススメ出来ない映画だ。
鳥取市で清掃員として働いている中井のり子は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず、いつも一人だった。ある日、彼女は仕事で訪れた病院の入院患者の木村理映子から「“姫路市に住んでいるはずの娘のハルを連れてきてほしい”と頼まれる。早速姫路へと向かったのり子は何とかハルを見つけるが、ハルは一筋縄ではいかない変わった女の子だった。森の中で自給自足みたいな生活を送り、初対面ののり子に勝手に“トンボ”というあだ名をつける。それでものり子はハルを連れて、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む。
登場人物は正体の掴めない者ばかり。意味不明な風体で、言動も意味不明。そもそも、人付き合いの苦手なはずのヒロインが突如として入院患者の願いを聞き入れた理由が分からない。ハルがのり子につけた“トンボ”というニックネームの由来の説明も無く、旅の途中で出会う老人や野外生活を続ける親子、怪しい赤い服の女の行方など、すべてが途中で放り出されたような描き方だ。
ネット上での評価をチェックすると“難解だ。分からない”といった声が少なくないようだが、これは別に観る者に理解が必要なシャシンではないだろう。作っている側としては、単に“(個人的に)撮っていて気持ちの良い絵柄”を綴っただけの話で、観る側にすれば理解する筋合いは無い。勝手にやってろという感じだ。
のり子に扮する綾瀬はるかは“新境地”を開拓するかのように頑張っているが、ストーリーと演出がこの体たらくなので“ご苦労さん”と言うしかない。ハルは「こちらあみ子」の主役で鮮烈な印象を残した大沢一菜が連続して登板しているものの、役柄が絵空事である分、前回より存在感は後退している。
伊佐山ひろ子に高良健吾、河井青葉、渡辺美佐子、市川実日子など面子自体は悪くはないが、いずれも効果的な使われ方はされていない。また何より困ったのは、基本的には題名通り国道29号線を踏破する話であるにもかかわらず、途中で脇道に逸れたりして、ロードムービーとしての興趣が出ていないこと。繰り返すが、プロデューサーは演出者の手綱を引き締めるべく、ちゃんと仕事をして欲しい。
鳥取市で清掃員として働いている中井のり子は、他人と上手くコミュニケーションを取ることができず、いつも一人だった。ある日、彼女は仕事で訪れた病院の入院患者の木村理映子から「“姫路市に住んでいるはずの娘のハルを連れてきてほしい”と頼まれる。早速姫路へと向かったのり子は何とかハルを見つけるが、ハルは一筋縄ではいかない変わった女の子だった。森の中で自給自足みたいな生活を送り、初対面ののり子に勝手に“トンボ”というあだ名をつける。それでものり子はハルを連れて、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む。
登場人物は正体の掴めない者ばかり。意味不明な風体で、言動も意味不明。そもそも、人付き合いの苦手なはずのヒロインが突如として入院患者の願いを聞き入れた理由が分からない。ハルがのり子につけた“トンボ”というニックネームの由来の説明も無く、旅の途中で出会う老人や野外生活を続ける親子、怪しい赤い服の女の行方など、すべてが途中で放り出されたような描き方だ。
ネット上での評価をチェックすると“難解だ。分からない”といった声が少なくないようだが、これは別に観る者に理解が必要なシャシンではないだろう。作っている側としては、単に“(個人的に)撮っていて気持ちの良い絵柄”を綴っただけの話で、観る側にすれば理解する筋合いは無い。勝手にやってろという感じだ。
のり子に扮する綾瀬はるかは“新境地”を開拓するかのように頑張っているが、ストーリーと演出がこの体たらくなので“ご苦労さん”と言うしかない。ハルは「こちらあみ子」の主役で鮮烈な印象を残した大沢一菜が連続して登板しているものの、役柄が絵空事である分、前回より存在感は後退している。
伊佐山ひろ子に高良健吾、河井青葉、渡辺美佐子、市川実日子など面子自体は悪くはないが、いずれも効果的な使われ方はされていない。また何より困ったのは、基本的には題名通り国道29号線を踏破する話であるにもかかわらず、途中で脇道に逸れたりして、ロードムービーとしての興趣が出ていないこと。繰り返すが、プロデューサーは演出者の手綱を引き締めるべく、ちゃんと仕事をして欲しい。