元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「パーフェクト・レボリューション」

2017-10-14 06:30:58 | 映画の感想(は行)

 低調な出来だ。実話を基にしているらしいが、リアリズムで押し通している気配は無い。かといってコメディにして笑い飛ばそうとしている様子は見受けられないし、ファンタジー映画にしてしまうほどの思い切りの良さも無し。まことに居心地の悪い映画なのだ。

 熊篠慶彦(通称クマ)は、脳性マヒで車椅子の生活を送りながら、障害者の性への理解を訴え続ける活動家である。ある日クマは、新著のPRを兼ねた講演会で、ソープ嬢のミツと知り合う。勝手にクマに愛を告白し、やたらハイテンションで付きまとうミツは、実は人格障害を負っていた。初めは戸惑うクマだったが、ミツの一途な想いに心を動かされ、本気で彼女と付き合うようになる。しかし、周囲のシビアな状況が2人の行く手を阻む。熊篠自身の体験談をベースにした作品とのことだ。

 どうしてミツがクマに惹かれたのが分からない。第一、なぜ彼女がクマの講演を聞きに来ていたのか、その理由さえ示されていない。見るからにインテリっぽい連中が客席を埋める会場ではミツの存在は浮いているのだが、その構図が納得出来るような“御膳立て”が無い。当初のシチュエーションから斯様な体たらくなので、あとの展開は言わずもがな。

 クマの介護をしている恵理の性格付けは明確ではなく、その夫の悟との関係性もぎこちない。ミツの身元引受人の晶子は怪しげな占い師で、ミツに対するフォローも“怪しい”ままである。クマが自宅で転倒して命の危険にさらされる場面を除いて、ストーリーは何ひとつリアリティが感じられない。

 ミツが入院してクマとの接触を禁じられてからの筋書きは、まるで絵空事だ。何やら“悪の結社”みたいな病院のスタッフと主人公2人との追っかけシーン(?)に至っては、ヘタな寸劇を見せられているようで脱力した。こんな状態で“幸せになるためのパーフェクト・レボリューションを達成する”だの何だのとシュプレヒコールをブチあげられても、観ているこちらは鼻白むばかりである。

 脚本も担当する松本准平監督の仕事ぶりは、ハッキリ言って下手だ。話の練り上げ方も、ドラマの盛り上げ方も、まるで及第点には達していない。クマを演じるリリー・フランキーはよくやっていたと思うが、ミツに扮する清野菜名はヒドい。ちっとも障害者に見えないし、何よりあのキンキンした声が不快だ。もっとも、それは松本監督の演技指導が万全ではないためかもしれない。事実、小池栄子や岡山天音、余貴美子といった面々を脇に揃えていながら、まるで機能させていないのだ。

 とにかく、題材は悪くないのに作り方を間違えたような映画で、あまり観る価値は無いと言える。
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「風音」

2017-10-13 06:43:13 | 映画の感想(か行)
 2004年作品。沖縄の過去と現在を描いた目取真俊のオリジナル脚本を東陽一監督が映画化。沖縄のとある小さな島は、強い海風が吹くと不思議な音が聞こえる。地元の者はそれを“風音”と呼ぶが、浜辺の切り立った崖の中腹にある風葬場に置かれている頭蓋骨に銃弾が貫通したこめかみの穴が空いており、風が通り抜けるとき、音が鳴るのだ。

 ある夏の日、少年たちが風葬場で小さないたずらをすると、その日から“風音”が止んでしまう。それと同時に、静かだった島の日常に、さざ波が立ちはじめる。



 戦争中に死んだ特攻隊員の遺骨をめぐって数々のエピソードが展開するが、それぞれのドラマは互いに交わることはなく別々の結末を迎える。このことをもって“まとまりに欠ける。いっそのことオムニバス形式にした方が良かった”との評価を下す向きもあろうが、過去の悲しい出来事の延長線上に現在があるという作者の重層的な視点を強調する意味では納得できる作劇である。

 ただしエピソードの中では出来不出来があり、沖縄戦で死んだ初恋の人の面影を求めて本土からやって来た女性(加藤治子)の話は感動的だが、暴力亭主に愛想を尽かし故郷の島に逃げてきた若い母親(つみきみほ)の扱い方はつまらない。違うアプローチが必要な複数のパートをすべて同じ演出タッチで仕上げているために若干チグハグな面が生じたのであろう。

 蔦井孝洋のカメラがとらえた沖縄の風景、そしてタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、平安隆、園田高弘らによる音楽は魅力的。なお、私は本作を2004年のアジアフォーカス福岡映画祭で観ている。上映後の監督を交えたシンポジウムでは年配の観客のトボケた質問が相次ぎ、大いに盛り上がった(笑)。
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「ダンケルク」

2017-10-09 07:10:56 | 映画の感想(た行)
 (原題:DUNKIRK )失敗作である。監督クリストファー・ノーランの“作家性”が中途半端に前面に出ており、それが作品のカラーとまったく合っていない。

 まず、時系列をバラバラにして並べるという手法は、明らかに「フォロウィング」(98年)や「メメント」(2000年)といった初期のノーラン監督作品から継承されてきたものだ。しかし、小規模なサスペンス劇では有効であったこのメソッドを、多くのキャラクターが登場する戦争映画に何の工夫も無く応用しようとしても上手くいくわけがない。



 この撮り方では開巻から間もない時点では目新しさはあるが、映画が進むごとに面倒くさくなり、終盤近くになると鬱陶しさだけが残る。当然のことながら戦争というのは“個人プレイ”では遂行できるわけはなく、多くの人員が投入されるのだが、それらを漫然と“仕分け”して、無理矢理に各時制に振り分けていること自体がナンセンス。どうしてもやりたいのならば、それぞれの時制の“登場人物”を一人に設定してミクロ的に描き切るべきである。

 さらに、この監督独自の映像センスがドラマの足を引っ張る。すべてが小奇麗で、戦争の生々しさというものが、ほとんど表現できていない。少なくとも「プライベート・ライアン」等とは別物で、かといって「史上最大の作戦」(62年)のような史劇としてのイベント性も無い。何しろ、戦況の説明も満足にされていない有様なのだ。しかもCGを使わないだの何だのという末梢的な事柄に拘泥したおかげで、戦闘シーンは実にショボい。全体として、単に作者の趣味を満足させるだけのシャシンと言えるだろう。



 どう見ても骨太なテーマやハッキリとした主張が感じられない作品だが、それでも何とか主題らしきものを見出そうとすれば、それはたぶん“戦意高揚”であり“英国万歳”といったものではないか。イギリス兵や救出作戦に船を提供した一般市民の英雄的な働きだけがクローズアップされ、それに対する賞賛も存分に映し出される。

 反面、今回助け出された兵士たちの中には、その後のノルマンディ上陸作戦などで非業の最期を遂げる者も少なくなかったはずだが、そういう不穏な影はない。ひたすら能天気に讃えるのみだ。エクステリアだけは現代風だが、中身はまるで戦時中の大本営発表モード(?)である。

 フィオン・ホワイトヘッドやトム・グリン=カーニーといった出演者は印象に残らず。ただホイテ・バン・ホイテマのカメラによる映像はとても美しく、ハンス・ジマーの不穏な音楽は効果的だ。アカデミー賞有力と言われているが、撮影賞や音響効果賞の候補にはなるかもしれない。
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「ショー・ミー・ラヴ」

2017-10-08 06:26:33 | 映画の感想(さ行)
 (英題:Show Me Love)98年製作のスウェーデン映画。主演の二人の女の子の表情が素晴らしく、筋書きも悪くないのだが、イマイチしっくりいかないのは映像処理の方法にある。粒子の荒いザラザラの画面と手持ちカメラの多用はいたずらに“マイナー指向”をあおり立てるだけで、キワ物臭い印象さえ受ける。もっと普通に撮った方が良かった。

 スウェーデン南部の地方都市オーモルに住む14歳のエリンは、母と姉と3人暮らし。社交的で友人も多い。一方、同じ学校に通う16歳を迎えたアグネスは、しつけの厳しい家庭環境の中でおとなしく暮らしているが、非社交的で孤立している。アグネスの両親は娘の誕生日パーティーを計画するが、彼女には呼ぶべき友達など一人もいないのだった。



 しかし、当日誰も来ないはずだったパーティーに顔を見せたのは、エリンだった。これが切っ掛けになり、2人は仲良くなる。一時はこの町から出てストックホルムまでヒッチハイクで行こうとするが、あえなく失敗。それでも何とか周囲と折り合いを付けて、2人はこの町で新たな人生を模索する。

 主人公達の内面が丁寧にすくい取られている。バカっぽく振る舞っていても、内に秘めた屈託は隠しきれない。実はアグネスはエリンに対して同性愛的な感情を持っているのだが、あくまでも自然なタッチで描かれ、違和感は無い。思春期特有の、誰もが抱く悩みと不安の中に巧みに昇華されている。ラストの処理も気持ちが良い。

 ルーカス・ムーディソンの演出はドラマ運びに才気走ったところは無いが、堅実なものである。主演のアレクサンドラ・ダールストレムとレベッカ・リリエベリも好演。

 しかしながら、冒頭に書いたような画面のタッチは残念だ。ドキュメンタリー風な手法に頼りたいのならば、フィクション然とした筋書きを改めてハードなリアリズム指向でいくべきだった。なお、本国スウェーデンでは同じ時期に公開された「タイタニック」よりも観客を集め、主演2人は演技賞を獲得している。
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「幼な子われらに生まれ」

2017-10-07 06:29:56 | 映画の感想(あ行)

 原作者である重松清の著作、及びその映画化作品に感心したことは一度も無い。本作の元ネタの小説は未読だが、出来上がった映画はやっぱりつまらない。とにかく、掘り下げが不足しており底が浅い。わざとらしい御膳立てを、さもリアルな一大事の如く演出してみせるだけだ。キャストの熱心な仕事ぶりが印象的なだけに、鑑賞後の脱力感は大きい。

 中年サラリーマンの信と妻の奈苗はそれぞれ離婚歴があるが、奈苗の連れ子である2人の娘と共に取り敢えずは平穏に暮らしていた。そんな中、奈苗の妊娠が発覚。すると小学校6年生の長女・薫が“本当のパパに会いたい”と言い始め、信は困惑する。奈苗の前の夫の沢田は乱暴者で、彼女は苦労の末にやっと別れたのだった。一方、信の前の妻・友佳の夫が難病で余命幾ばくも無いことを彼は知ることになる。友佳との間に出来た娘・沙織にもあまり会えなくなり、信の心労は増すばかりであった。

 沢田は絵に描いたようなDV野郎で、友佳は信に何の相談もせずに勝手に子供を堕ろし、挙げ句の果ては“あなたは私に理由ばかり聞くけど、私の気持ちをちっとも察してくれない”などという無茶苦茶な言い訳を平気で口にする困った女だ。つまりは主人公達の前の配偶者はロクでもない人間だったわけだが、そんな極端な設定で今の信と奈苗の関係を相対化して何とかマトモに見せようという、その安易な姿勢が気に入らない。まるで昔の昼メロみたいな、複雑なヨソの家庭事情を興味本位で覗くような下世話なシチュエーションではないか。

 加えて、やたら粘着質な奈苗の態度や、ゴネて周囲を嫌な気分にさせる薫の存在も、正直鬱陶しい。そんな環境の中、一人でオロオロする信の立場には同情はするが共感はしない。結局、真人間は寝たきりで言葉を発しない友佳の再婚相手だけだったという、憮然とするようなオチが待っている。何となくまとめてしまおうという、ラストの処理にもウンザリした。

 監督の三島有紀子は「しあわせのパン」(2012年)のようなノホホンとした映画はこなせても、本作のような(一見)ハードな題材に合っている人材とは思えない。信を演じる浅野忠信をはじめ、田中麗奈、宮藤官九郎、寺島しのぶ等、顔ぶれは多彩でそれぞれ頑張ってはいるのだが、筋書き自体が斯様に低レベルでは評価出来ない。

 それにしても、舞台が東京(およびその周辺)であるにも関わらず、信と奈苗が住む団地は西宮市の名塩ニュータウンでロケされているというのは、どうも違和感がある。斜行エレベーターの映像的効果を狙ったと思われるが、これも作為的に過ぎる。
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DIATONEのスピーカーを試聴した。

2017-10-06 06:35:11 | プア・オーディオへの招待
 DIATONEのスピーカーの試聴会に行ってきたのでリポートしたい。DIATONEは三菱電機のオーディオブランドで、戦後すぐにこの商号は用いられ、2016年には誕生70周年を迎えた。NHKの業務用モニタースピーカーを手掛けるなどの実績を積み、国産スピーカーの代表的ブランドとしてオーディオファンの間に定着していったが、99年に三菱電機は(カーオーディオを除いて)音響部門から撤退している。

 その後、関連会社の三菱電機エンジニアリングによって2006年に大型フロアタイプのDS-MA1がリリースされたが、価格と販売方法が一般的ではなかったせいか大して話題にもならずに終わる。それから約10年経って久々にホームユースを見込んだ製品が投入された。今回試聴したDS-4NB70である。



 カーボン素材の新開発の振動板を用いたミドルサイズの2ウェイ。実を言えば、本機の試作品を2回ほど聴いている。1回目は2016年の秋だったが、大昔の“店頭効果だけを狙ったような音”で、キンキンと耳障りな中高域と不足気味の低域ばかりが印象に残り、インプレッションは最悪だった。2回目は2017年の春で、驚くべき事に1回目での問題点がほぼ解消され、実にスムーズな、質感の高い音を奏でていた。そして正式に商品化されたDS-4NB70の音に今回接すると、その仕上がりには感心するばかり。国内メーカーのスピーカーとしては、かなりの注目作になるのは間違いない。

 となかく、音の立ち上がり及び立ち下がりの速さに圧倒される。各音像はきめ細かく捉えられ、曖昧さが無い。それでいて神経質なところは感じられず、滑らかな展開を見せる。音場も清涼で見通しが良く、特に上下方向の空間の再現には卓越したものを感じた。駆動していたのはNmodeのアンプだが、アキュレートな寒色系のキャラクターを持つと思われるアンプに繋いでも、出てくる音が硬くて冷たくなることはない。懸念されていた音色の暗さも感じず、幅広いジャンルをこなしてゆく。



 だが、音に“色気”や“艶っぽさ”あるいは“熱気”などを求めるリスナーには合わない。もっとも、そういうユーザーは欧米ブランド製品を買い求めれば良い話で、そんな用途に向いていないことをもって本機の優秀性が揺らぐことは無い。また、この製品はソースの録音の善し悪しをそのまま表現する。音源の欠点をカラーリングによって上手くカバーしてくれるような性格のモデルではないことは確かだ。

 価格はペア120万円で、一般ピープルには縁遠い値付けだが、このブランドに思い入れがあるオールドファンや聴感上の物理特性を追い求めたいマニアにとっては、高くないプライスなのかもしれない。

 余談だが、私が十代の頃に手に入れた最初のオーディオシステムのスピーカーがDIATONEだった。それ以来、一時期を除いてずっとDIATONEのモデルを使い続けた(まあ、数年前に欧州ブランド品に買い換えてはいるのだが ^^;)。一度は消滅したはずのこのブランドが新たな魅力をもって再登場してくれたことは、正直嬉しく思う。今後はラインナップの強化も期待したい。
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「しゃぼん玉」

2017-10-03 06:35:33 | 映画の感想(さ行)

 アジアフォーカス福岡国際映画祭2017出品作品。すでに封切公開はされているが、今回は映画祭バージョンで身体にハンデのある観客のために字幕と状況説明の音声ガイド等が用意された“バリアフリー上映”である(もちろん、一般の観客も違和感なく鑑賞できる)。テレビ「相棒」シリーズで監督を務めてきた東伸児の、劇場映画の初監督作品だ。

 都会で強盗傷害を繰り返し、荒んだ生活を送っていた若者・翔人が流れ着いた先は、宮崎県の山奥にある椎葉村だった。偶然に怪我をしている老婆スマを助けたことから、彼女の家に居候することになる。翔人は金を盗んで早々にオサラバするつもりだったが、スマはあれこれと世話を焼き、また彼をスマの孫だと勘違いした村人たちも親しげに接することから、逃げるに逃げられなくなってくる。

 やがて近所に住むシゲ爺から無理矢理に山仕事に誘われ、さらには祭りの準備を手伝わされるなど、人手の足りない村にとって翔人は大事な存在になってゆく。ある日彼は10年ぶりに村に帰ってきた若い女・美知と知り合い、憎からず思うようになる。だが、彼女が舞い戻る切っ掛けになった事件のことを聞いた翔人はショックを受け、あらためて自分が今まで犯した罪に向き合う。乃南アサによる同名小説の映画化だ。

 とにかく、映画の丁寧な語り口に感心する。最近の邦画によく見られる“状況や心情をセリフで説明する”というような恥ずかしいシーンは無い。かといって、観客を突き放したようなスノッブな雰囲気も見当たらない。良い意味で“中庸”を保っており、東監督のテレビドラマで積み重ねたスキルが上手い具合に発揮されていると言えよう。

 もちろん、ただのハートウォーミングな話を追っているわけではない。翔人の生い立ちは、思わず同情してしまうような悲惨なものだ。家族はもちろん、友人も知人もいない。そんな彼が村人と触れ合うことによって心を徐々に開いていく様子が平易に綴られる。

 また、スマの息子は都会に出たが事業に失敗して転落人生を歩んでいる。その壊れた親子関係を前にして、翔人は立ち竦むしかない。終盤、主人公が悩み抜いて自らの身の振り方を選び、決然として実行していく様子は感動的だ。

 主演の林遣都と市原悦子はさすがに上手い。若手とベテラン、それぞれの個性が絶妙に噛み合っている。美知に扮する藤井美菜も魅力的だ。宮本亘のカメラが捉えた椎葉村の美しい風景と、奈良悠樹による効果的な音楽。秦基博が歌うエンディング・テーマがまた良い。
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「春の夢」

2017-10-02 06:33:55 | 映画の感想(は行)

 (原題:春夢)アジアフォーカス福岡国際映画祭2017出品作品。2016年製作の韓国映画。これはダメだ。完全に作者の独り善がり。国際映画祭には大抵この手のシャシンがいくつか紛れ込んでくるものだが、運悪く遭遇してしまったという感じである(苦笑)。

 舞台はどこかの地方都市。ケチなチンピラのイクチュン、北朝鮮出身でリストラ寸前のチョンボム、金は持っているが少し頭が足りないジョンビンの3人は、いつも一緒に行動している。そんな彼らの行きつけの店は、マドンナ的存在のイェリが営む居酒屋だ。彼女は寝たきりの父親の看病をしており、くだんの3人も時折手助けはするのだが、それで何か起きるのかというと、何も無い。

 イクチュンはボスとの折り合いが悪いようだが、深くは描かれない。チョンボムやジョンビンの境遇も、思わせぶりだが何も説明されていない。イェリも、どういう経緯でこの3人と付き合っているのか全然分からず、どんなポリシーを持って日々生きているのかまるで表現されていない。そんな連中が目的も無くグタグタと過ごし、無為な日々を送るのを漫然と追っただけの映画だ。

 モノクロで撮られているが、あまり意味のある手法だとは思えない。ラストでは“夢から覚めたように”カラー映像に変わり、それまでの設定がひっくり返されたようなモチーフが提示されるが、これも意味が無い。監督チャン・リュルなる人物だが、タイトル通り自分の夢物語を自己陶酔的に綴っただけで、特に才能があるようには見えない。出演者も、名前を覚えたくないような奴ばかりだ。

 ところで、私自身が韓国映画を観て感心したのは、いったいいつの話だっただろうか。もちろん、日本で封切られる韓国作品をくまなくチェックしているわけではないので迂闊なことは言えないが、鑑賞意欲がわくような映画を、近年あまり見かけない。彼の国の置かれた状況も関係しているのではないかとは思うが、一頃の勢いが感じられないのは確かだと感じる。
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「ベトナムを懐(おも)う」

2017-10-01 06:51:10 | 映画の感想(は行)
 (英題:Hello Vietnam )アジアフォーカス福岡国際映画祭2017出品作品。2017年製作のベトナム映画である。序盤は小規模なホームドラマと思わせて、次第に舞台が広がり、終わり近くには堂々たる大河ドラマの様相を呈してくる。しかも、わずか88分の上映時間の中に多角的な視点を取り入れながら、分かりやすく重層的なストーリーを展開している巧みさに感心した。

 95年、真冬のニューヨーク。老人ホームに入所しているベトナム人のトゥーは、亡き妻の命日を過ごすため勝手に外出し、難民として米国に渡った息子とアメリカで生まれた孫娘の暮らすアパートに向かう。雪の中を延々歩いてやっとたどり着いてみると、孫娘はボーイフレンドとイチャついている真っ最中。しかも息子は理不尽な残業を強いられ、まだ帰宅していない。戸惑う孫娘に構わずトゥーは勝手に友人と法事を始めてしまう。彼氏との時間を台無しにされた孫娘は憮然とするが、祖父は彼女に自分の若い頃を語って聞かせる。



 寒々としたニューヨークの風景から、天国的に美しいベトナムの田園地帯に移行する、そのコントラストが素晴らしく効果的だ。トゥーは金持ちの友人と恋人を奪い合い、やっと彼女との結婚にこぎつけるが、生まれた長男が家を出て妻も病死すると、一人になってしまう。その長男はボートピープルになって辛酸を嘗め、九死に一生を得てアメリカに行き着く。老父をアメリカに呼び寄せるが、そのために家庭は崩壊。生活も楽ではない。孫娘は父や祖父とのカルチャーギャップに悩んでいる。どうして上の世代と分かり合えないのか、まるで理解できない。

 そんな彼らがそれぞれの心情を吐露し、衝突しながら、何とか折り合いを付けていこうという終盤の展開は実に見応えがある。そして、親子三代の物語がベトナムの苦難の歴史とシンクロし、映画は奥行きを増していく。逆境にあえぎながら、必死に自分たちのアイデンティティを模索する登場人物達の姿は、観る者の胸を打つ。

 愁嘆場から再びベトナムの地にカメラが向かうラストは、素晴らしい開放感と浮遊感を醸し出して絶品だ。グエン・クアン・ズンの演出は粘り強く、序盤こそまどろっこしい部分があるが、ここ一番の集中力には瞠目させられる。一般公開を強く望みたい秀作だ。
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