♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 2月号

2017-01-25 10:40:16 | 随想
慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
  2017(平成29)年2月号
(NO・39) 了雲寺 釈幸華

 本山の報恩講へ 

 宗祖親鸞聖人のご命日にあたり、そのご遺徳を偲び阿弥陀如来のお救いをあらためて心に深く味わう法要が報恩講です。聖人のご命日は弘長二(一二六二)年十一月二十八日。お東さんはじめ他の宗派の多くは旧暦で、私たちの宗門では現在の歴になおすと一月十六日(従って一二六三年)なので、9日の逮夜(午後2時)から16日の日中(10時)まで御正忌報恩講法要をお勤めします。
 
15日の夜から通夜布教(全国から上って来られた13人が入れ替わり立ち代わり)があるのですが、ここ3年連続で来ています。聞法会館の総会所に座っているだけだから宿泊代がいりませんし、2百円で何回でもお風呂に入れます。(!)でも、今年はその昼間、友人と一緒に古地図を手に大阪を歩く会(毎日新聞で大阪案内人を張っている西俣稔っていう面白い人がおるんです)に3時間半も参加したので眠くて眠くて・・眠りながら聞いているのか聞きながら眠っているのか、我ながら最悪のお聴聞でした。私より先輩に見える方々が、一生懸命ご法話を聞いておられる姿に接するだけで値打ちがあるってもんです。*言い訳かっ!
 明けて16日のお晨朝(じんじょう・朝一番のお勤めのこと。6時から)は、この時だけの真譜の正信偈。それは感動だったのですが、寒いこと寒いこと、尋常ではありません。外は前日降り積もった雪。伝灯奉告法要の椅子式だったのもあって、終わり次第飛ぶようにお風呂に直行でした。

 報恩講という名称は、、3代目覚如上人が聖人の33回忌をお勤めされたときからです。16日の御満座でご門主が独特の伝統的な読み方で朗読される「報恩講私記」を書かれました。*これがまた格調高い美文であることは分かるのですが、手元の参拝者用の勤行集の文字を目で追っていてもチンプンカンプン。現代語で朗読することが儀礼的にできないのであれば、せめて短くしてください。なんせ9時半前から、だから2時間近く座りっぱなしですっごく寒いんだから・・最低、対訳文をつけてほしいところです。

ともかく作られたその時、上人25歳。翌年、「本願寺聖人親鸞伝絵(でんね)」という絵巻物2巻15段を製作されたといいますからスゴイ人です。その絵巻物は、現在絵の部分(御絵伝)と文章の部分(御伝鈔)に分けられ、13日に拝読されています。
御満座法要に先立ってのご法話は、大阪の布教使・若林真人師(何度かお話は聞いたことがあります)でした。前夜に引き続き、まるで再現ドラマを見るようなお話ぶりに、聖人と娘の覚信尼さまはじめ、看取る方々のご様子が目に浮かんできます。「もうすぐ親鸞聖人の御臨終です。」
 
 御伝鈔・下・第6段
 聖人(親鸞)弘長二歳 壬戌(みずのえいぬ) 仲冬下旬の候より、いささか不例の気まします。(ちょっとした御病気になられた)それよりこのかた、口に世事をまじえず、ただ仏恩のふかきことをのぶ。声に余言をあらわさず、もっぱら称名たゆることなし。しかうしておなじき第八日(一週間して) 午時(うまのとき・正午) 頭北面西右脇(うきょう・右脇を下にして。お釈迦さまと同じ)に臥したまひて、ついに念仏の息たえをはりぬ。ときに頽齢(たいれい・歳をとる様)九旬(九十歳)にみちたまふ。

むむ・・何と見事な・・願わくば、我もかくあらん(女城主直虎の口調)・・なぬっ、その前に平生のお念仏やろっ!       合掌
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