
黄金色の稲穂がこうべを垂れ、収穫の時期を迎えました。
ここまでくれば、米作りもあと数手間を残すのみですが、稲刈りからお米にするまでの作業が、最も重労働であったように思います。
なにしろ、昭和40年代初めのあの頃は、コンバインなどはもちろん稲刈り機もありませんでしたから、作業は全て人力でした。
稲は鎌を使って刈り取り、束になったら、稲わらでまるって、その場に置いていきます。その稲束を田んぼに立てたハセや杭に掛けていきます。(写真参照)
こうして、稲を乾燥させるのです。
田植えと同様、稲刈りは家族総出で行い、もちろん結いのお手伝いもやって来ます。チエちゃんは、稲の束を杭の所まで運ぶことが仕事でした。
稲刈りは1日で終わらずに、数日を要することが常でした。
この後、杭返し(稲束を稲穂の部分を内側に掛け直すこと)を行い、稲を十分に乾燥させた後、稲こき(脱穀)をします.
これも、人力によるもので、木製ドラムに太い針金の突起が付いた足踏み式の脱穀機を使っていました。この足踏み式脱穀機は、このあと間もなく発動機による脱穀機に換わりました。
それから、出来上がった籾やわらを田んぼから家まで、耕運機を購入するまでは、リヤカーで運んだものでした。
この後は、細かなわら屑やゴミを取り除くために唐箕にかけます。これも人力により手回しをして使う道具でした。
そして、籾摺りをして籾を取り除き玄米に、玄米を精米して白米にするわけですが、チエちゃん家ではこの作業は専門業者に依頼していたものか、よく覚えていません。チエちゃんが小学校高学年になる頃、でお金を出し合い、籾摺り機と精米機を購入してからは自宅で行なったように記憶しています。
それにしても、米ほど、その状態や部分によって、名称が変化する穀物は他にないように思います。
葉や茎が付いている時には「稲」、稲から取り除いた実は「籾」、乾燥した茎と葉は「わら」、籾から殻を除けば「玄米」、玄米から糠を除けば「米」。
米は、日本人にとって、それだけ関わりが深く、大切な穀物であったということでしょう。
ここまでくれば、米作りもあと数手間を残すのみですが、稲刈りからお米にするまでの作業が、最も重労働であったように思います。
なにしろ、昭和40年代初めのあの頃は、コンバインなどはもちろん稲刈り機もありませんでしたから、作業は全て人力でした。
稲は鎌を使って刈り取り、束になったら、稲わらでまるって、その場に置いていきます。その稲束を田んぼに立てたハセや杭に掛けていきます。(写真参照)
こうして、稲を乾燥させるのです。
田植えと同様、稲刈りは家族総出で行い、もちろん結いのお手伝いもやって来ます。チエちゃんは、稲の束を杭の所まで運ぶことが仕事でした。
稲刈りは1日で終わらずに、数日を要することが常でした。
この後、杭返し(稲束を稲穂の部分を内側に掛け直すこと)を行い、稲を十分に乾燥させた後、稲こき(脱穀)をします.
これも、人力によるもので、木製ドラムに太い針金の突起が付いた足踏み式の脱穀機を使っていました。この足踏み式脱穀機は、このあと間もなく発動機による脱穀機に換わりました。
それから、出来上がった籾やわらを田んぼから家まで、耕運機を購入するまでは、リヤカーで運んだものでした。
この後は、細かなわら屑やゴミを取り除くために唐箕にかけます。これも人力により手回しをして使う道具でした。
そして、籾摺りをして籾を取り除き玄米に、玄米を精米して白米にするわけですが、チエちゃん家ではこの作業は専門業者に依頼していたものか、よく覚えていません。チエちゃんが小学校高学年になる頃、でお金を出し合い、籾摺り機と精米機を購入してからは自宅で行なったように記憶しています。
それにしても、米ほど、その状態や部分によって、名称が変化する穀物は他にないように思います。
葉や茎が付いている時には「稲」、稲から取り除いた実は「籾」、乾燥した茎と葉は「わら」、籾から殻を除けば「玄米」、玄米から糠を除けば「米」。
米は、日本人にとって、それだけ関わりが深く、大切な穀物であったということでしょう。
>稲わらでまるって
この部分だけふくしま弁になっているのがいいですね。
やはり「束ねる」じゃなく「まるぐ」ですよね
(^_^)
他の言葉が思いつかなかったのです。
「まるぐ」は束ねるとも、ちょっとニュアンスが違いますよね?
まるぐんです。
コメントありがとうございました。
知人の農家の方は今でも自分で食べるのは天日で干すと言っていました。
谷やんは天日干しの米を食べた事があるのだろうか・・・
大事な食べ物です。
お米と塩があれば生きて行けると思ってる私です。
麺類食べてもご飯が食べたい。
何か落ち着かないんですよ。
お米が食べれるまでの工程は経験がないですが、見ててもとても大変だと思います。
近所でも稲刈り家族総出で行ってる姿をあっちこっちで見ます。
大事に食べなければいけませんね。
「お米を粗末にすると目がつぶれる」と小さい頃聞かされましたよ。
チエちゃん、頑張ってお手伝いしてたんですね。お疲れ様でした♪
ホント、昭和の終わりまでは、田植えも稲刈りも、ごく普通の光景でしたが、義父が他界し義母が脳梗塞で倒れてからは、
国の政策で、米作りも1年おきになってしまいました・・・。
ココ最近は、米作りも遠ざかってます。
義兄一人では、なかなか、米作りは大変です。
足踏み式脱穀機は、旦那の実家でも、昭和の40年代前半ごろまでは、置いてあったようです。
義兄や旦那は、今は、その後出てきた、発動機を集めて、直して、運転会に参加するなどの、愛好会のつどいに出てますよ~。
糠って言葉も知らないだろうし。。
お米は、日本人の基本の基、だと思います。
博物館なんか連れてはいくんですが、インパクト薄いです。
やっぱり、実地で教えないとダメなんだろうなぁ。
http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/photos/hatakenoinoti/img_0118.html
よかったら見てくださいませ!
何にしても、昔ながらの天日干しが、一番美味しそうですね。
最近は全てが機械化されて、それが普通だと思って食べているのですから、本当の味を知らないのかもしれませんね?
これからの季節、新米と天日干しの魚の開きなんか、どうでしょう?
ちゃんとお手伝いできていたのか?は疑問です。
遊び半分でしたからね。
昔は、こうして遊びながら、いろんな事を覚えたものです。
日本人は、お米ですね!
楽しそうですね。
実家でも、とうとう今年、米作りを断念したようです。
私も、弟も離れていますので、両親たちだけでは体力的に無理なようです。