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時悠人chosan流処世術

●メディアの報道姿勢

2005-12-13 13:45:58 | 日記・エッセイ・コラム
 最近、テレビの報道番組を見ていると、ドラマ仕立てになっていて、よくもこれだけ調べたものだと感心させられる。欠陥マンション報道では、姉歯建築士の生い立ちを語り、京都の塾生殺害事件ではアルバイト講師の生活環境を紹介したり等々。一見、ドキュメント風だが、趣味の悪いスキャンダル番組で、視聴者の歓心をひこうとしている。

 事件報道は、事実を伝えるのが本来の役割のはず。また、事件の原因が社会の制度・仕組みにあるなら、その改善策を訴えるスタンスが望まれる。人の生い立ちや周辺情報は、再演防止策の参考条件でしかない。マスコミが予見を持って大衆に喧伝することで、当事者に不測の損害を惹起する危険性すらある。

 その好例が、欠陥マンションの住民の家庭事情を紹介して世間の反感をかったことだ。被害にあった住民がそれぞれ問題を抱えていることは容易に想像できる。大家族で手狭な代替マンションでは困る人達や、入居した矢先にまた引っ越す人、或いは、退職金をつぎ込み、ローンの負担だけが重く圧し掛かる等々。そういった個々の人にスポットを当てれば、愚痴めいたコメントが出るのは当然のこと。やり場のない不満を公的支援に求める心情だって理解できる。

 しかし、それが他人からみると一種の甘えだと批判される事だってありうるのだ。マスコミがマンション住民だけを被害者としてフォーカスしたために、周囲の反感をかってしまった。ホテル経営者だって、そのホテルで働いていた従業員だってつらい日々を送っているのに、何故か、東京エリア中心に報道する。情報がフラットで伝わる時代に、一極集中のメディアのあり方を反省すべきだ。