プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★超高齢社会の一隅

2006-10-05 09:07:42 | 日記・エッセイ・コラム

 弘前・白神アップルマラソン大会の翌日(10月2日)、筋肉痛が残る足で弘前郊外の”りんご公園”へ出掛けた。収穫はこれから最盛期を迎えるが、”津軽”や”世界一”、”早生フジ”は収穫期に入っていて、りんご狩り体験をする観光客の姿も散見された。

 レース当日、コースから仰ぎ見た岩木山に勇気付けられたが、津軽平野から見る岩木山は更に感動的だ。標高1625mだが、弧峰なので津軽平野のどこからでも望め、その山容はまさに津軽富士の別名通り優美な稜線を描いている。鹿児島県人が桜島をシンボリックに愛するように、岩木山は青森県人の心に宿る信仰の山で、厳しい冬の気候にも負けない精神的な支えになっているに違いない。

 弘前駅前からりんご園までのバスの乗客は私達二人だけだったが、帰路は、立錐の余地がない混みようだった。それも大半が私より一回り以上の高齢者ばかり。市街地に入り、市役所前、大学病院前と停車するのだが誰も下車しないのが気になった。終点JR弘前駅の一つ手前のバス・ターミナルで全員降りた。後姿を目で追っていたら、殆んどの人が「イトーヨーカドー」のビルへ消えた。

 地上8階建ての大きなビルで、あらゆる生活関連用品が揃っている総合ショッピング・センターだ。月曜日の通勤ラッシュが終わった時間帯に、食料品や必需品をまとめ買いに郊外から足を運ぶのだろう。大都会で高齢者の都心回帰現象が起きているように、ローカルでも高齢者には中心部の生活が便利で安心に違いない。だが、先祖代々の田地田畑や家から離れることが出来ず、一生を送る人達が圧倒的に多いのが現実だ。

 市内を走るバスの多さと乗客の少なさに、「地方財政困窮の原因だ。間引き運転すべきだ」と批判した私の考えは間違っていた。一部の路線だけが混みあう現象にローカルの悲哀が潜んでいるのだ。 日常生活における地域格差・世代間格差は、所得の差以上に高齢者にしわ寄せされている。これが、現在の日本の縮図だと思える。