11月24日、小豆島の土庄港から高松港に渡り、徳島行き高速バスで一番札所霊山寺に向かった。
鳴門西ICで下車し、1.4kmの山道を行きつ戻りつしながら、20分ほどかかって、霊山寺に着いた。
夕暮れ時の境内は、静寂に包まれ、厳粛な雰囲気の中を奥へと進むと、長い年月と風雪に耐えた建造物が放つ荘厳な風格を備えた本堂が現れた。
般若心経を唱え、10月15日に名古屋で開催された同僚との会合を思い浮かべて合掌した。4人が物故し、妻に先立たれたり生き別れた者、或いは、病魔に苦しむ者等々、「空」の概念と第五節の真言を瞑想した。
~無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故~(迷いがなくなることは無いし、老いや死が無くなることもない。苦しみが尽きることもなく、それを抑える術も智慧も無い。それは得るということ自体無いからだ)。
鳴門西ICで下車し、1.4kmの山道を行きつ戻りつしながら、20分ほどかかって、霊山寺に着いた。
夕暮れ時の境内は、静寂に包まれ、厳粛な雰囲気の中を奥へと進むと、長い年月と風雪に耐えた建造物が放つ荘厳な風格を備えた本堂が現れた。
般若心経を唱え、10月15日に名古屋で開催された同僚との会合を思い浮かべて合掌した。4人が物故し、妻に先立たれたり生き別れた者、或いは、病魔に苦しむ者等々、「空」の概念と第五節の真言を瞑想した。
~無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故~(迷いがなくなることは無いし、老いや死が無くなることもない。苦しみが尽きることもなく、それを抑える術も智慧も無い。それは得るということ自体無いからだ)。