プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★箱根路で感じたこと

2011-07-09 10:04:16 | 日記・エッセイ・コラム

 箱根のアジサイ祭りは、毎年、ライトアップしたアジサイ電車が好評だが、今年は、節電のため、中止になった。箱根湯本から強羅まで8.9㎞の区間は、標高差445mで、平均50パーミルの急勾配だ。登山電車は3度のスイッチバックを繰り返しながら進むので、沿線のアジサイをゆっくり観賞出来る「あじさい号」がお勧めだ。、

 019年間2,000万人の観光客で賑わう箱根ですら、大震災後、外国人客が落ち込んだと言うが、登山電車やケーブルカーのこみ具合を見る限り、その影響は微々たるものに思えた。いつも、混雑を避けて時期を選ぶようにしている私には、金沢とは別世界のような息苦しさを覚えた。

 075 また、群生しているよりも、細い路地などにひっそりと咲いているアジサイの方が好みなので、「まー、きれい!」と歓声をあげる周囲の声に違和感を感じた。大船時代の感性で詠めば、「さりげなく 傘かしげあう 紫陽花の径」。今の感性で詠むと、「箱根路は 肩引き知らぬ 異国人」となる。

 子供の頃、人とすれ違う時には、ぶつからないように肩を引くように、また、雨の日には傘を斜めに傾けるようにと教えられた。雪かきをする時には、隣の家との境界より50㎝から1m先までとも。最近、とみに「江戸しぐさ 昭和は遠く なりにけり」と、感じることが多くなった。


★原点回帰:箱根旅行

2011-07-07 09:09:39 | 日記・エッセイ・コラム

 0817月2日から4日まで、妻と長女の3人で、紫陽花が見頃を迎えた箱根を訪れた。

 私が結婚したのは、東京勤務時代の昭和46年。当時の住宅事情では、結婚してすぐ社宅に入れなかった。また、私の給料で東京のアパートを借りるのは厳しく、鎌倉市大船のおんぼろアパートに居を構え、長女はそこで生まれた。

 「風呂なし、トイレ共同の6畳一間」での親子3人の生活は、不便だったが、苦ではなかった。休みの日に、狭い路地伝いに銭湯へ行く時、道の両側に咲く四季折々の花が疲れた心を癒してくれた。とりわけ、雨上がりにアジサイが放つ艶やかさは鮮烈だった。071 072

 幸運なことに、おんぼろアパートの二階トイレの窓から富士山が見えた。冬場の富士山は、まっ青な空とのコントラストが見事で、落ち込んでいる時、何度も勇気づけられた。その後、東京の社宅に転じてからは、より近くで富士山を見ることが出来る箱根旅行が家族の最大の贅沢になった。

 今年、結婚して40年目。子供達は自立し、親としての最低限の責任は果たした。箱根の湯に浸かり、家庭生活の出発点となった大船での生活を振り返り、感慨にふけった。くしくも、今日は私の68回目の誕生日。心のよりどころとなっている富士山とアジサイに合掌。