プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★GoToの功罪?

2020-11-15 08:13:27 | 旅行記
 11月8日、新大阪から金沢へ戻る「サンダーバード」の車中で、4人の学生風の若者が、「サイコー!gotoが無ければ、グリーンもカニもなかったなぁ」と、声高にはしゃぐ声が聞こえて来た。

 私たちは、長時間移動による疲労軽減と新型コロナ対策(密回避)のために、グリーン車を利用しているので、「今どきの若者は、豊かなのか、贅沢になったのか」と、自問自答した。

 耳障りだったが、芦原温泉駅で降りたので、静かになった。ところが、空き缶やごみを片付けず、座席のシートも倒したままで、車掌さんが後片付けしているのを見て、愕然とした。

 グリーン車がステータスだった頃は、マナーが伴っていたように思うが、時代が変わったのか?それとも、GoToの功罪か?

 「今どきの若いもんは、、」と、ため息が出た。

★旅の〆は岡山グルメ

2020-11-14 08:19:41 | 旅行記
 備中松山城見物を終えて、ふいご峠から迎えのタクシーで高梁駅に着いた時、再び雨が降り始めた。

 高梁14:03発の特急「やくも」で、岡山に14:23に着き、駅から徒歩1分のホテルにチェックインし、大浴場で冷えた体を温め、ベッドで仮眠をとった。

 夕方には、雨が上がっていたが、湯冷めしないようにと思い、フロントで、ホテルに近くて、境港直送の鮮魚を提供する居酒屋を教えて貰った。

 「マスク・検温・消毒」+「個室制」で、注文もポータブル端末でする店だったので、感染の不安を感じなかった。

 また、看板に偽り無しで、新鮮な魚介類と大山地鶏などの地元食材を使った料理は、どれも美味しく、地酒がいっそう味を引き立てた。

 使い方に悩んでいた13,000円分の地域振興券は、一晩で使い切った。GoToトラベルの地域振興の魔力を思い知るとともに、楽しい旅の打ち上げになった。

★備中松山城②山城の天守

2020-11-13 07:42:33 | 旅行記
 備中松山城は、岐阜の岩村城、奈良の高取城と共に日本三大山城で、国指定の重要文化財になっている。

 天守は、標高430mの臥牛山小松山にあり、江戸時代以前から現存する12天守の中で、“唯一の山城”だ。

 さて、備中松山城の始まりは、承久の乱(1240年)後だが、現在の天守は、1683年に大改修されたもので、300年以上、厳しい風雨に耐えた風格を感じる。

 また、大手門跡に残る石垣群を見上げると、天然の岩盤の上に石垣を築いて土塀を建てており、堅牢な山城の風情が漂う。NHKの大河ドラマ「真田丸」のロケに使われたのも頷ける。

 なお、歴代城主は、16家にのぼるが、1642年から城主だった「水谷家」が、1693年に無嗣断絶となり、播州赤穂の浅野内匠頭が摂取し、大石内蔵助が、1年間、城代を勤めた意外な史実に触れた。

 3年前、忠臣蔵の原点を見たくて、播州赤穂を訪ねたが、備中松山で、浅野家の別の顔を垣間見、歴史の襞の深さに驚くばかりだ。

★備中松山城①米子から備中高梁へ

2020-11-12 08:10:20 | 旅行記
 11月7日朝、ホテルの部屋の窓を打つ雨音で目を覚ました。朝食時に、妻と備中松山城見物を中止するかどうかを話し合ったが、結論が出ず、備中高梁駅まで行って判断することにした。

 雨を気にしつつ、米子駅9:22発の特急「やくも10号」に乗ったが、中国山脈の分水嶺(鳥取県と岡山県の県境トンネル)を過ぎる頃から、雨が小降りとなり、高梁駅に着いた11:05には、傘が不要だった。

 城へ行くには、「ふいご峠」まで、乗り合いタクシーが便利だが、定時運行の往復予約制で、前日17時までに申し込む必要がある。

 予約していなかったので、観光案内所で相談したら、幸運にも11:20分発(帰り13:10)のタクシーに空きがあった。

 駅前から、約15分で「ふいご峠」(5合目)に着いたが、天守(8合目)まで、標高差45mほどを不揃いな石段と土道約700mに難渋し、22分程を要した。

★足立美術館③所蔵作品

2020-11-11 08:26:15 | 旅行記
 庭園の評価が高い足立美術館だが、所蔵美術品に関しても、横山大観や竹内栖鳳、川合玉堂、富岡鉄斎、榊原紫峰、上村松園などの近代日本画のほか、北大路魯山人の陶芸作品、林義雄、武井武雄らの童画等々、約2,000点の作品を所蔵している。

 6年前に訪れた時、富士山をモチーフとした横山大観の多くの作品に魅せられたし、魯山人と河井寛次郎、棟方志功等の迫力に圧倒された。

 しかし、審美眼に欠ける私には、作品の芸術的・文化的価値よりも、作者の生い立ちや生きざまの方に関心が強く、島根県出身の河井寛次郎の力強い作風と言葉を紹介するコーナーに惹きつけられた。

 とりわけ、「私は習慣から身をねじる まだ見ぬ私を見たいから」と「旅は帰る処が目的地」のツー・フレーズは、私のモットーと相通じ、印象深かった。