シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「さよなら、アドルフ」(2012年 オーストラリア、ドイツ、イギリス合作)

2014年02月21日 | 映画の感想・批評
 冒頭、木々に囲まれた邸宅の前に1台の車が停まる。中からナチスの高級将校が降りてくる。家の中には少女と母親らしき中年女性がいる。てっきり、ユダヤの資本家の屋敷をナチスが急襲するのかと思いきや、実はこの将校は家の主で、妻と5人の子供たちに必要な荷物だけまとめて家を出るよう言いに来たのだ。ここで、ようやく情況が飲み込める。戦況の敗色が濃厚となり、夜逃げ同様、敗走しようというわけだ。
 農家の離れでひっそり隠れて暮らす母と子どもたちはヒトラー死亡と敗戦を知る。すっかり疲れ果てた母は「戦犯として出頭するから祖母のいるハンブルクへ行け」とだけ言い残し、子どもたちを置いたまま出て行くのである。
 こうして長姉ローレは妹、双子の幼い弟と乳児を連れてドイツ南部から北部のハンブルクまで気の遠くなるような行程をひたすら旅するのだ。ナチス幹部の子弟というだけで白眼視され食べ物も分けてもらえない。民衆の頭はすっかりナチス時代から切り替わっているのに彼女たちの頭はヒトラー・ユーゲントとして啓蒙されたとおりのナチス信仰がまだ宿っている。途中でユダヤ人の身分証をもった若者と出会い、彼の助けで何とか進駐してきた米軍の訊問を切り抜ける。しかし、ローレには彼を下等人種としてさげすむ気持ちがある。ところが、とある避難所に掲示されていたユダヤ人虐殺の写真を見てローレは戦慄する。そこに父の姿を認めてその写真を密かに盗み、土中に深く埋めるのである。証拠隠滅なら細かく破り捨てればいい。埋めるのはヒトラー及びナチス=第三帝国との訣別を意味するのだろう。邦題はそういう意味である。
 苦難の果てにようやく到達した祖母の家ではあったが、祖母がいまだに総統を敬慕し世間の人々を恩知らずだと非難する姿を見て、ローレは反感を覚えるのだ。可愛い子には旅をさせろというとおり、ローレは健全に着実な成長を遂げたということだろう。
 同じ同盟国であり敗戦国でありながら、ナチズムはその反人道的思想ゆえに支持する人はきわめて少ないが、わが大日本帝国の亡霊はゾンビのごとく甦りつつある。このゴーストバスターズはいずこにいるのだろうか。 (ken)

原題:Lore
監督:ケイト・ショートランド
脚色:ケイト・ショートランド、ロビン・ムカルジー
原作:レイチェル・シーファー
撮影:アダム・アーカポウ
出演:ザスキア・ローゼンダール、カイ・マリーナ、ネーレ・トゥレプス、ウルシーナ・ラルディ

「ペコロスの母に会いに行く」 (2013年 日本映画)

2014年02月11日 | 映画の感想・批評


 2月に入り、2013年度の映画各賞が決まりだし、マスコミをにぎわせているが、あのアカデミー賞より1回回数が多いという「第87回キネマ旬報ベスト・テン」の日本映画NO.1に選ばれたのがこの作品。奇しくも同じ老人介護を扱った「愛、アムール」が外国映画のNO,1となったが、ますます高齢化社会となってきた我が国にとって避けては通れない問題だ。ちょっぴり悲惨ともいえる結末を迎える「愛、アムール」に対し、撮影時御年85歳の森崎東監督は、喜劇を得意としていただけあって、各所にユーモアいっぱいのエピソードを散りばめ、観客に終始笑みをもたらせながら、しっかり何度も泣かせてくれる。こちらのほうが救われるなあ。
 原作は長崎在住の漫画家、岡野雄一が自身の経験をもとに描いたエッセイ漫画で、現在も週刊朝日に連載中。ハゲちゃびんの小さな玉ねぎ(ペコロス)のゆういちが、毎日認知症になった母に会いに行くという何気ない日常とともに、二人の歩んできた歴史が語られていく。
 主人公のゆういちに長崎生まれで劇作家・演出家・監督など多岐にわたり活躍中の岩松了。母のみつえには本作で89歳にして映画初主演を務めた赤木春恵。この二人の掛け合いが本物の親子のようで何とも微笑ましい。ハゲ頭を見せて自分を息子だと確認させたり、「な~んもしぇん」「おこらんといて」と自分の失敗を必死に許してもらおうとするみつえに、自分と父母を重ね合わせられた方も多いことだろう。
 つい最近のことでもすぐに忘れてしまうのに、どういうわけか幼いころの思い出の中で、細かいところまでしっかり覚えていることがある。認知症とはそれがさらに増幅された症状なのだろうか。でも、それも悪くはないかもしれない。にぎわう長崎ランタンフェスティバルの最中に、みつえの心の中にいる大切な人たちがみんな集まってくるラストシーンは、幸福感いっぱいだ。
 今週から「キネマ旬報ベスト・テン特集上映」と名うって、この作品を含め受賞6作品の凱旋興行が始まった。見逃された方はぜひこの機会に“選ばれた劇場”へお出かけ下さい。
 (HIRO)

監督:森崎東(長崎出身)
原作:岡野雄一(長崎出身)
脚本:阿久根知昭
撮影:浜田毅
出演:岩松了(長崎出身)、赤木春恵、原田貴和子(長崎出身)、原田知世(長崎出身)、加瀬亮、
竹中直人、大和田健介、宇崎竜童 
  

母の身終い(2012年フランス)

2014年02月01日 | 映画の感想・批評
 生まれてきたからには、いずれ死を迎えるのは避けられないさだめである。その時、どんな人生の終わり方をするのか。多くの人は心穏やかに、愛する人々に囲まれて、苦痛なく死にたいと願うのではないだろうか。医学の発達や長寿はそれ自体喜ばしいことである。しかし現代は高齢化社会・核家族化と介護問題・終末医療の是非など、自分の人生の終わり方をコントロールすることは困難である。
 刑務所を出所したばかりの48歳のアランは、母親が一人で暮らす実家に戻り、人生の再出発をしようとあがいていた。しかし几帳面な母親とは昔から折り合いが悪く、事あるごとにぶつかりあっていた。そんなある日、アランは母親が脳腫瘍で死期が迫っており、スイスの施設で尊厳死という形で人生を終える選択をしていることを知り、愕然とする。
 対立を続けながらも心の深いところではお互いに愛し合う息子と母親が、残り少ない時間の中でどのようにして心を通わせるのか、母親の選択を息子はどう受け止めるのか、静かな緊張感が伝わってくる。
 日本でもようやく、回復する可能性がない患者の意思に基づいて延命措置を施さない「尊厳死」を法制化する動きが出てきているようだ。映画の中の母親は、自分が自分でなくなる前に自分らしく死にたいと願い尊厳死協会から書類を取り寄せ、この国では尊厳死は自殺幇助として認められていないため、スイスの施設で最後を迎える準備を淡々と整えていく。もし自分がこの母親の立場だったら、苦痛で治る可能性のない延命治療から解放されたいと思うときがあるかもしれないが、その気持ちを強く持ち続けることが出来るかどうか自信がない。映画は人生の終わり方の一つの選択として“尊厳死”を描いてみせたが、現実には本人にとっても家族にとっても簡単に結論を出せるものではないだろう。(久)

原題:Quelques heures de printemps
監督:ステファヌ・ブリゼ
脚本:ステファヌ・ブリゼ、フローレンス・ヴィニョン
撮影:アントワーヌ・エベルレ
出演:ヴァンサン・ランドン、エレーヌ・ヴァンサン