シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ステージ・マザー」(2020年 カナダ)

2021年05月26日 | 映画の感想・批評


 テキサスの保守的な田舎町で聖歌隊を率いているメイベリン(ジャッキー・ウィーヴァー)は、ある日サンフランシスコでゲイバーを経営している息子リッキーの訃報を受け取る。息子はドラァグクイーンのショーを披露している最中に薬物の過剰摂取で倒れ、そのまま亡くなったという。疎遠だった息子の最後を見届けようと、母のメイベリンは夫の反対を振り切って葬儀に向かうが、その葬儀は華やかなミュージカル調で、敬虔なクリスチャンのメイベリンには受け入れがたい状況。しかも、息子のゲイのパートナーから「リッキーがもつバーの経営権を奪いに来たのか」となじられる始末に、大いに困惑する。
しかし、息子の友人のシングルマザーのシエナ(ルーシー・リュー)の助言もあり、息子の遺した破産寸前のバーを相続し、その再建にとりかかることにする。
息子の生きざまを受け入れ、彼を取り巻く友人たちにも愛情を注ぎ、やがて、バーのオーナーとして、ショーを成功に導くなかで、LGBTに戸惑う母親たちを励まし、向き合わせていく、偉大な「マザー」に成長していく。

「ドラァグクイーン」とは「女性の姿で行うパフォーマンスの一種。纏った衣装の裾を引き摺る(drag)ことからこう呼ばれる」(ウィキペディアより)
三浦春馬の舞台版をネットで見て、なんと美しい!と感動したものの、じつは言葉の意味すら知らなかった。

ラストのショーの舞台演出が素晴らしい。思わず、「うわあ、そうきたか!」涙があふれて止まらない。息子のリッキーは今、母メイベリンの衣装の中に生きている!
ヒロインの女優さんも初めて観た。アマンダ・セイフレイドが歳を重ねたらこんな風になるのかな。メイベリンはたくましく、しなやかで、ウィットに富んで、何より愛情深い人。全てを受け入れ、包み込む、こういう母でありたい。これはきっと男親とは違う反応なのかも。LGBTを受け入れる、受け入れられない。いろいろ思いは誰しもある。自分と違う考えの人も受け入れる許容性を持てるだろうか。
(アロママ)

原題:STAGE MOTHER
監督:トム・フィッツジェラルド
脚本:ブラッド・ヘンニク
撮影:トーマス・M・ハーティング
出演:ジャッキー・ウィーヴァー、ルーシー・リュー、エイドリアン・グレニアー、マイア・テイラー、アリスター・マクドナルド

「外科室」(1992年 日本映画) 

2021年05月19日 | 映画の感想・批評
 物語は清長(中井貴一)という画家の回想で始まる。明治のある日。東京府下の病院にて高峰(加藤雅也)医師により貴船伯爵夫人(吉永小百合)の外科手術が行われようとしていた。伯爵夫人はうわごとで意中の秘密をもらしてしまうのが恐いからと、麻酔剤の使用を拒否する。周囲の者が説得しても一向に聞き入れる様子を見せない。夫は手術の中止を求めるが、高峰医師は手遅れになってはいけないと麻酔剤なしの手術を強行する。高峰のメスが胸を切り裂いたとき、伯爵夫人は上半身を起こして医師の右腕にすがり、「貴下は私を知りますまい」と言ってメスで自分の胸を掻き切る。高峰が「忘れません」と応ずると、伯爵夫人はあどけない微笑を浮かべて息絶えた。
 伯爵夫人と高峰は九年前に1度だけ小石川植物園で会っていた。すれ違っただけで言葉も交わしていないのに、二人の心には運命的な愛が芽生え、胸の内に想いを秘め続けていた。伯爵夫人が亡くなった日、後を追うように高峰も逝く・・・
 泉鏡花の同名の小説を坂東玉三郎が映画化した、上映時間50分の短編。原作は鏡花の出世作で、1895年の発表当時は「観念小説」と評されている。後年の鏡花文学につながる幻想性を漂わせていて、流麗体の擬古文で非現実を艶やかに官能的に描いている。たった一度すれ違っただけの人のために死ぬというリアリティのなさが、むしろ幻想的で浪漫的な世界を造りだしている。鏡花は自らの制作態度を「筆を執っていよいよ書き初めてからは、一切向(むこ)うまかせにする」と語っているが、奔放に流れ出した言葉が観念の世界を次々と紡ぎ出している感がある。
 映画の方は原作の文体にあたるものがない。作家としてのスタイルが感じられないので現実感のなさが際立ってしまい、見ているものは話の流れに当惑する。映像には工夫がされていて、今を盛りに咲き誇るツツジが伯爵夫人を彩ってはいるが、リアリティの欠如を補うだけの魅力がない。むしろ語りである清長の存在がこの映画に安定感をもたらしている。
 清長は大学時代からの高峰の友人で彼を最もよく知る人物。高峰は年齢においても地位においても妻があってもおかしくないにもかかわらず、学生時代よりも一層品行謹厳にして独身を貫いてきたと清長は回想する。親友である自分にも伯爵夫人の話は一言もしなかったと。語り終えたときの清長の表情には、天上における二人の愛の成就を確信しているかのような安堵感が漂っていた。(KOICHI)

監督:坂東玉三郎
脚本:橋本裕志 吉村元希 坂東玉三郎
撮影:坂本典隆
出演:吉永小百合 加藤雅也 中井貴一

「ミッドナイト・バス」(2018年 日本映画)

2021年05月12日 | 映画の感想・批評
 緊急事態宣言が発出され、多くの映画館が営業休止の為、過去の作品を取り上げる。公開時(2018年1月)に見逃して残念に思っていた映画で、偶然、図書館で見かけて借りた。DVDまで図書館で借りられるようになり、とても有難い。
 物語は、新潟と東京を往復する深夜バスの運転手の高宮(原田泰造)と、東京で小料理屋を営む恋人の古井(小西真奈美)が、古井が新潟を見てみたと言ったことから、高宮の新潟の家を訪れるところから始まる。高宮はバツイチで、東京で会社員をしている息子の怜司(七瀬公)と、新潟で一人暮らしをしながら、アイドルになることを目指す娘の彩菜(葵わかな)がいる。彩菜は一方で結婚も考えている。新潟の家には誰もいない筈だったが、東京で働いている筈の怜司が、帰ってきていたのである。ばったりと鉢合わせになり、慌てる3人。そこに娘も登場。更に、偶然、高宮の運転するバスに高宮の別れた妻の美幸(山本未來)が乗車したことにより、高宮の周りが俄かに動き出すのである。さて、高宮の家族はどうなっていくのであろうか・・・。
 メロドラマだが、ずしりと重さが違う。何だろうか・・・。一人の人間を通して、人間が変わっていく様をじっくり描き、その変わり方が描くのが上手いからだろうか。決して、人間は単純明快ではない。人生に正解はない。高宮が家族皆からそれぞれの場面で問い(簡単な問いでない)を受けるが、明確には応えない。場合によっては返事もしない。あるいは、応えられない、応えたくない・・・なのか。高宮が一人泣きするシーンがある。大人の男が泣く。情けない、恥ずかしい、申し訳ない、寂しい、色々な感情が混じりあって泣いてしまう。そう理屈ではない。日頃から、感情を表に出さなかったが、泣きたくなる時もある。人は完全ではない。欠点ばかり。でも、生きていくのである。どう変わっていくのか分からない。そんな気持ちが表現されているからなのだろうか・・・。
 併せて、美幸の新潟に住む父親(長塚京三)に認知症の気配があり、東京と新潟を行き来しながら美幸が入院生活をサポートするが、ワンオペ状態で自分をかなり追い込んでいる。今の介護問題にも触れている。孫に当たる怜司と彩菜もサポートに入る。3世代にわたる「家族」の物語に繋がっている。
 原田泰造が大型免許を取得し、実際に運転しているそうだ。バラエティー番組で見る姿とは別人で、夜の高速を走るバスを運転する姿はとても画になっていた。更に、通り過ぎるトンネルの電光色に映りだされる山本未來。座席に沈み込むように座り、思い込んだ表情が気持ちを表現している。セリフは無いが、その人そのものを表現している。そこに、ヴァイオリニストの川井郁子作曲の物悲しい旋律の音色が重なる。ここだけでも一見の価値あり!
 最後に、本作品には、新潟の風景もたくさん撮影されている。このGWは帰省を自粛された人が多いかもしれない。そんな方には、「実家に帰った」気持ちを想像しながら、観られては如何でしょうか。
(kenya)

監督:竹下昌男
脚本:加藤正人
原作:伊吹有喜『ミッドナイト・バス』
撮影:丸池納
出演:原田泰造、小西真奈美、山本未來、葵わかな、七瀬公、長塚京三

「ブータン 山の教室」 (2019年 ブータン映画)

2021年05月05日 | 映画の感想・批評

 
 今年度のアカデミー賞は「ノマドランド」が、作品賞、監督賞、主演女優賞の三冠に輝いた。通販(Amazon)配送センターや国立公園のキャンプ場等でバイトをしながら、ノマド(遊牧民)のようにキャンピングカーで旅をして暮らすという、いかにも現代アメリカを感じさせる作品だったが、今回紹介するのは、アカデミー賞国際長編映画賞のブータン代表作品。こちらは標高4800メートルの地にあるブータン北部の村ルナナで、大自然とともに暮らす人々と、そこに派遣された青年教師との交流を描いている。
 ブータンといえばまず頭に浮かぶのが「国民総幸福の国」だということ。経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも考慮したGNH(Gross National Happiness)を国の第一目標に掲げているそうだが、実際には日本と同じように都市への人口集中や農山村の過疎化、地域間格差の拡大等も問題になっているようだ。本当の幸福とはいったい何なのか、この作品を見ながらずっとその事を考えていた。
 主人公のウゲンは首都ティンプーに住み、教師になって4年目。5年間の研修期間も後1年となり、将来は歌手になってオーストラリアに行くことを密かに夢見る「デモシカ先生」だ。(懐かしい言葉) しかし、この最後の1年をルナナの学校の先生として過ごしたことが、その後の生き方に大きな変化をもたらすことになる。
 この秘境の地への一週間の旅が魅力的だ。ウゲンとともに電気も携帯電話も通じない場所に観客を連れていってくれる。村長の依頼で来たという案内人ミチェンがいい!自分より若い先生に対して尊敬の念を忘れず、また山の民として生きる自分にも自信を持っている。過酷な大自然から生きる力を育んだという感じがとっても気持ちがいいのだ。主人公のウゲンを演じるシェラップ・ドルジをはじめ、主要な人物はすべてブータンの俳優が演じ、ルナナに住む村人たちも自然な形で俳優として出演しているところがまた新鮮だ。映画の存在を知らない人たちがカメラの前で演じるというのはこういうことなのだと、その初々しさや純粋さに何度も頬がゆるんだ。
 ウゲンが子どもたちに「将来は何になりたい?」と聞くと、一人の子が「先生になりたい。先生は未来に触れることができるからです。」と答える。ああ、まさにそうだ、自分が歩んできた道もそうだったんだと、教職を離れた今になって、その事に気づかされるとは・・・。
 コロナ禍で、世界中の人々の心が疲弊する中、せめて未来を生きる子どもたちには希望の光をしっかり見つけ出せるようにしてあげることが、先生の大切な役目。大事な場面で幾度となく登場する「ヤクに捧げる歌」がじんと心に響く。ウゲン先生、子どもたちが待ってるよ!!
 (HIRO)

原題:Lunana A YAK IN THE CLASSROOM
監督:パオ・チョニン・ドルジ
脚本:パオ・チョニン・ドルジ
撮影:ジグメ・テンジン
出演:シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・ヘンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン、ペム・ザム、クンザン・ワンディ