シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「時々、私は考える」(2023年 アメリカ映画)

2024年08月28日 | 映画の感想、批評
 オレゴン州の閑散とした港町、アストリア。小さな会社に勤めるフラン(デイジー・リドリー)は、人付き合いが苦手で、友人も恋人もおらず、会社でも同僚たちの輪の中に入っていけなかった。これといった趣味もなく、家と会社を往復するだけの単調な毎日を送っているのだが、フランには死んでいる自分を空想するという奇妙な妄想癖があった。森や海岸で死んでいる自分を空想したり、会社の窓から見えるクレーン車を見て首を吊られる自分を演じてみたり…妄想の世界の中で生きていた。
 新しく会社に入って来たロバート(デイブ・メルへジ)はフランに親しく声をかけ、二人は映画デートをするようになった。フランはロバートが好きな映画でも、興味がなければはっきりと「つまらない」と言い、そこがロバートには好ましかったようだ。ロバートは二度の離婚歴があったが、フランは気にする様子もなく、二人の仲は急速に近づいていった。ロバートはフランのことをもっと知りたいと思ったが、フランはあまり自分のことは話さなかった。とある週末、ロバートの友人が主催するパーティの帰り道、二人は車の中で大喧嘩をしてしまう。ロバートは自分のことを話そうとしないフランに苛立ち、フランはそんなロバートを傷つける言葉を吐いてしまう。

 「スター・ウオーズ」シリーズのレイ役で名を馳せたデイジー・リドリーがプロデュ―サーと主演を兼ねていて、華々しい女戦士とは違う、内気で不器用で孤独な女(フラン)を演じている。フランにとって死を空想することは必ずしも恐怖や悲しみではなく、やすらぎや休息に近い感覚があるようだ。死ぬ自分を空想することが心地よいのだ。タナトス(死の本能、欲動)に魅入られた女性の、質素で地味な日常がコミカルに描かれていて可笑しい。死という人間にとっての最大のタブーをユーモラスで微笑ましく表現しているダーク・コメディと言ってもいいかもしれない。
 この作品は2019年作の同名の短編映画(12分)を長編化したもので、短編をふくらませたからか、あまり細部は描かれていない。例えば、フランの家族や過去の話は一切出てこないし、ロバートも二度離婚したとはいうものの詳細は明らかではない。フランがいつからどういう経緯で死の空想を楽しむようになったかもわからない。むしろ意図的に登場人物の背景を描かず、人間関係を複雑にしないで、フランとロバートの関係性に焦点を当てているように思える。
 エンドクレジットでアニメ「白雪姫」の劇中歌である「歌とほほえみを」が流れる。誰もが知っているポピュラーソングを、エンドロールで使うところはどこかカウリスマキの手法と通ずるものがある。故意に通俗的なもの、大衆的なものを取り入れることによって、作品をより親しみやすく、印象深いものにしている。キッチュと言うのだろうか、陳腐で安っぽいものによってアート感を醸し出している。フランがあまり表情を変えないところも、カウリスマキの登場人物と似ている。
 ロマンティック・コメディとしてもよく出来ているのだが、二人の関係は恋愛というより、共感を求める関係に近い。濃厚なキスシーンはほとんどなく、互いにハグするシーンが多い。短編版と同じようにフランが死の空想癖があることを告白するところで映画は終わる。果たして孤独なフランの日常は変わっていくのだろうか。(KOICHI)

原題:Sometimes I Think About Dying
監督:レイチェル・ランバート
脚本:ケビン・アルメント ステファニー・アベル・ホロウィッツ ケイティ・ライト・ミード
撮影:ダスティン・レイン
出演:デイジー・リドリー  デイブ・メルへジ 




「台北アフタースクール」(2023年 台湾映画)

2024年08月21日 | 映画の感想・批評
 1994年台北が舞台。予備校「成功補習班」に通う男子3人組は、「成功三剣士」と呼ばれる問題児だった。遅刻、カンニング、ボヤ騒ぎまで起こしていた。卒業後、それぞれの人生を進んでいた3人だったが、当時の恩師が入院したことで、久し振りの再会を果たし、廃校となった母校に潜り込み、懐かしい日々が蘇ってくるのであった。
 受験まで残りわずかとなった時期に、成功補習班に代理講師(シャオジー先生)が着任してくる。それが彼らの人生を大きく変えることとなる。形に拘らず、生徒達と真正面から向き合い、心を掴んでいく。ある時、学校側とのボタンの掛け違いで、学校を追い出される形になってしまうが、その後も、3人とは繋がっていた。
 ちらしから受けたイメージとは全然違っていた。“青春映画”だと想像していたが、取り上げているのはLGBT。男女の恋愛からスタートするが、上記3名に1名加え、四角関係の入り組んだ構図に展開していく。所謂“青春映画”の懐かしさと寂しさを感じられると思っていたので、裏切られた感を抱きつつ、今の時代に合わせた題材かと理解した。「本当の自分」をどうさらけ出すのか、自分でもどう表現してよいか分からないモヤモヤ感、その悩む姿がとても丁寧に描かれていたと思う。その過程では、誤解が付きまとう。それを解決しようとすると、更に、誤解が深まる。それを解消していくには、時間を掛けて正直な気持ちで少しずつ前に進むしかない。でも、それが中々出来ない。そのどうにもならない気持ちは青春時代と通じるかもしれない。
 性別に関係なく、その人その人の内面と向き合う。自分はそれが出来ているのだろうか。男女の違いはどうしてもある。体力的な違いはもちろん、その違いを理解した上で、その人となりを理解する。でも、そんな簡単なことではない。劇中の予備校経営者(父親)のエピソードはそれを表していた。彼から見る息子の変化にはかなりの葛藤があっただろう。ハッピーエンドにはなっているが、そうならないケースもあるだろう。パリオリンピックでもその違いが話題に挙がったのも記憶に新しいところであり、様々な意見や考えが混じり、そう短期的には解決しない、もしくは、解決という選択肢はなく、試行錯誤しながら、進んでいく課題ではないだろうか。
 京都では京都シネマで2週間の上映だけだった。今後、所々で上映が行われるだろうか。そういったタイプの映画のように思う。小規模作品だが、地に足を付けた作品だった。
(kenya)

原題:成功補習班
監督:ラン・ジェンロン
脚本:ラン・ジェンロン、ダニエル・ワン
撮影:アホイ・チャオ
出演:ジャン・ファイユン、チウ・イータイ、ウー・ジェンハー、シャーリーズ・ラム、ホウ・イェンシー

「大いなる不在」(2023年 日本映画)

2024年08月14日 | 映画の感想・批評
 近浦啓監督の長編2作目作品である。第48回トロント国際映画祭プラットホーム・コンペティション部門にてワールドプレミアムを飾り、第71回サン・セバスティアン国際映画祭のコンペティション部門オフィシャルセレクションに選出。同時に藤竜也が日本人初となる最優秀俳優賞を受賞している。更に第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞にあたるグローバル・ビジョンアワードを受賞。世界の映画祭での受賞が続いている。
 主要な舞台は九州。冒頭の物々しい逮捕シーンから、父・陽二(藤竜也)と息子・卓(たかし・森山未來)の約30年ぶりの再会の物語が始まる。大学教授だった陽二は認知症のために別人のようで、陽二の再婚相手の直美(原日出子)は行方不明になっていた。二人の間に何があったのか、卓は二人の生活を調べ始める。
 陽二の自宅には夥しい数の小さなメモが張り付けてある。それらは陽二の生活を支えてくれる物であると同時に、不安の象徴でもある。人間の脳が、普段いかに情報処理をしてくれているかが分かる。脳が誤作動を起こすと、生活そのものが立ちいかなくなるという現実は厳しい。
 俳優を生業とする卓は淡々としたキャラクターの持ち主で、妻の夕希(真木よう子)と共に父の謎を探っていく。しかし、直美の妹(神野三鈴)や息子(三浦誠己)は卓に対して不穏な言動を見せ、謎は更に謎を呼ぶ。時系列など脚本の構造も複雑で、サスペンスの要素が深まっていく。
 1941年生まれの藤竜也は今年83歳を迎える。俳優デビューは1962年で、既に62年の芸歴を持つ。出演作は100本を超え「愛のコリーダ」(1976年、大島渚監督)では国際的な知名度も得た。近年は頑固一徹な写真屋や娘の行末を案じる豆腐屋など、職人気質の役柄が印象に残っているが、本作では高圧的な態度で人に接し、自分の息子にも他人行儀な言葉で接する姿がリアルで圧倒される。藤竜也本人が監督に提案したと聞く縁なし眼鏡が眼光の鋭さを柔らげていると同時に、その高圧的な印象を一層強めている。
 陽二が大切にしている分厚い日記帳には、陽二と直美の思い出が刻まれている。おそらく何度も読み返されたであろう日記帳のくたびれ加減に、美術制作の丁寧な仕事ぶりが伺える。撮影には実際の近浦啓監督の父親が暮らした家が使われていると聞くが演じる俳優にとっては大きな力になり得たと想像できる。
 平日の映画館はそこそこ席が埋まっていた。既にパンフレットは完売。ラストシーンの卓の後姿に、ちょっと置いてきぼりをくらった感は否めない。 (春雷)

監督:近浦啓
脚本:近浦啓、熊野桂太
撮影:山崎裕
出演:森山未來、藤竜也、真木よう子、原日出子、三浦誠己、神野三鈴、利重剛、塚原大助、市原佐都子


「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」(2024年 アメリカ映画)

2024年08月07日 | 映画の感想・批評


 今日(8月7日)は立秋。猛暑はまだまだ続きそうだが、暦の上ではもう秋だ。秋といえば、月がひときわ美しく輝くとき。かの紫式部も石山寺で美しい月を見ながら、源氏物語の構想を練ったというから、その神秘的で幻想的な魅力は、数千年も前から人類の心の中に息づいている。そして科学の進歩と共に「月へ行ってみたい」という願望が表れてくるのも、当然のことだろう。
 今年は人類が初めて月面に降り立ってから55周年に当たるという。55年前といえば、自分が中学3年生だったとき。高度経済成長が続いた60年代を経て、21世紀にもなれば月旅行も夢ではないと思っていたあの時に、この作品に描かれているような極秘プロジェクトが行われていたとは・・・?!
 「1960年代の終わりまでに有人月面着陸を成功させる。」と宣言したのはケネディ大統領。1957年にソ連(現ロシア)が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げて以来、米ソ両国の宇宙開発競争が激化。科学技術のあらゆる分野で世界一を自負していたアメリカにとって、“先を越された“ことはよほどショックだったようで、翌1958年にはNASA(アメリカ航空宇宙局)を設立。有人宇宙飛行計画(アポロ計画)をスタートさせたのだが、有人宇宙飛行を実現させたのはまたもやソ連が先だった。1961年4月にボストーク1号で地球周回軌道を一周し、「地球は青かった」という名言を発したのはソ連のガガーリン少佐。かくしてこのまま宇宙開発の覇権争いで後れをとっていては国民も納得しないだろうと、あの大宣言となったのだ。
 資料を基にした前置きが長くなったが、その1960年代の最後の年がこの映画の舞台。人類の大きな夢は未だ成功ならず。国民の月への関心を呼び戻すために、ニクソン大統領に仕える政府関係者が動き出す。とにかく60年代にNASAが月面着陸を実現したことを国民に知らせる必要があるのだ。さあ、どうする?!PRマーケティングのプロを使ってのこの作戦、果たしてどんな結果が待っているのか??
 巧みな話術と行動力、そしてマーケティングの上手さで人々を惹き付けるPRのプロ、ケリーを演じるのはスカーレット・ヨハンソン。マーベルの「アベンジャーズ」シリーズでブラック・ウィドウを演じ、アクション女優としてのイメージが強いが、本作ではプロデューサーとしても名を連ね、堂々たる主演ぶり。ケリーとぶつかり合う実直なNASAの発射責任者コール役にはチャニング・テイタム。「G.I.ジョー」や「フォックスキャッチャー」等、立派な体格を売り物にした作品が思い出されるが、肉体派ともいえるこの2人、「反目しながら恋に落ちる」という60年代のロマ・コメ作品にはピッタリの相性なのだ。この作品は、衣装にしろ、音楽にしろ、60年代のティストがいっぱい詰め込まれていて、作品の編集方法もまるであの頃の映画を観ているかのよう。極めつけはNASAの協力によって実現したアポロ計画時代の未公開映像をいろいろ観ることができること。あれは一体フェイクなのか、本物なのか?!
 アポロ11号が月面に一番乗りを果たした後、アメリカ国民の月への関心は薄れ、アポロ計画は3年後の17号で終了。それ以降人類は月を訪れていない。しかし今、NASAが主導し、日本も参加している国際宇宙探査プロジェクト「アルテミス計画」では、2026年以降に米国人女性が月面を歩く予定だそうで、日本人宇宙飛行士2人ももうすぐ月に着陸するとのこと。そして何と月にも水がたくさんあるそうで、2040年頃にはその水を生かして、月での生活も可能になるとか。えっ、16年後ならまだ生存しているかも!!リニア開通とどちらが先になるのかな?!
(HIRO)
 
原題:FLY ME TO THE MOON
監督:グレッグ・バーランティ
脚本:ローズ・ギルロイ
撮影:ダリウス・ウォルスキー
出演:スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタム、ウディ・ハレルソン、ジム・ラッシュ、