シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「マイ・エレメント」(2023年 アメリカ映画)

2023年08月30日 | 映画の感想・批評


 お盆の大文字の送り火や地蔵盆のろうそくの炎を見ていると、とても美しく、何か幻想的な雰囲気に浸ることができるものだが、この人間が便利に使っている火も自然界においては脅威となることがある。ハワイのマウイ島で起こった山火事の様子を見ていると、とても人間の力では太刀打ちできない強大なパワーを感じたが、そこには風の力も、大きく関わっていたようだ。
 ピクサー・アニメーション・スタジオの最新作は、アリストテレスの時代から物質界を構成すると考えられていた4つの基本物質(fire,water,air,earth)の世界を描いた「マイ・エレメント」。「トイ・ストーリー」でおもちゃの世界を描いた後、モンスターの世界、海の中の世界、死者の世界など、様々な想像力溢れる世界を紹介してきたピクサーだが、今回は物質の基本となるエレメントの世界を描こうというのだ。もっともアニメの世界だから、そんなにお堅い話ではないのだが・・・。
 主人公は"火のエレメント"エンバーと、"水のエレメント"ウェイド。エンバーは火のエレメントらしく短気ですぐに怒りが充満し、めらめらと燃え上がってしまうけれど、家族思いの賢いエレメント。父・バーニーが営む店ファイアプレイスを手伝いながら、ゆくゆくは引き継ごうと考えている。ウェイドは涙もろくて心優しい、市役所で働く青年。誰に対しても親身になって接し、思いやりに溢れ、家族みんな陽気で仲がいいのだが、そろって涙もろく、その涙の量ときたら・・・。火と水、全く正反対の二人なのだが、店の大セールの日、勝手な客に対するエンバーの怒りのエネルギーが、店の水道管に亀裂を生み、溢れた水の中からウェイドが現れる。この二人の出会いが、エレメント達の世界に何を引き起こしたかというと・・・。
 様々な「もしも」の世界を描き続けてきたピクサー、CGの技術革新とともに、それまで表せなかった視覚効果を絶えず新しい形で生み出してきたのだが、今回は4つの特徴あるエレメント達が住む世界があり、それぞれに違った文化を持ち、キャラクター達も全く異なる。ということで今までにない多くのアニメーター、VFXのプロ達が各エレメントごとにチームを組み、独特の世界を構築していったそうで、それは見応えのあるシーンの連続となっている。
 また、舞台となるエレメント・シティが火、水、土、風が集まり、互いに楽しい関係を築くことができる希望に溢れた町になっているところが魅力的だ。ここは様々なエレメント達が次々移住してきた移民の街。実は監督のピーター・ソーンも両親が1970年代に韓国からニューヨークに移住してきたという移民2世で、主人公のエンバーと共通するものがある。エンバーがウェイドと出会い、お互いの良さを認めていくにつれ、街はますます魅力的に感じられるようになっていく。ここには、すでに多くの移民が集うニューヨークだけではなく、世界中のあらゆる街が、移民達に優しく、一人ひとりの力が発揮できる場所に変わっていってほしいと願う、監督の強い希望が感じられた。
 火と水という、ともすればお互いを消滅させてしまう危険性もあるエレメントが触れ合ったとき、果たしてどのような反応が起きるか、これは最大の見どころだが、自然界でも、お互いの良さを引き出すような、ほどよい調整力が生まれればと願う。しかし、地球温暖化に伴い、ますます厳しい現実となることが予想され、それに備える準備はしっかりしておく必要がありそうだ。やっぱり堅い話になってしまったか・・・。
(HIRO)

原題:ELEMENTAL
監督:ピーター・ソーン
脚本:ジョン・ホバーグ、キャット・リッケル、ブレンダ・シュエ
視覚効果:サンジェイ・バクシ
声の出演:リーア・ルイス、マムドゥ・アチー、ロニー・デル・カルメン、シーラ・オンミ
日本語版声の出演:川口春奈、玉森裕太、MEGUMI,伊藤きみお

「君たちはどう生きるか」(2023年 日本映画)

2023年08月23日 | 映画の感想・批評


引退宣言を撤回しての、宮崎駿監督10年ぶりの最新作。タイトルが何とも壮大。戦前にかかれた吉野源三郎の著書から触発されての創作という。哲学者の本だけあって、この映画も簡単には評せないし、理解できたかも難しい。若い世代ではなくても、何度でも観て考えたくなる哲学的作品。

名だたる俳優たちが声を担当しているのも注目。お一人様だけ、すぐにわかって、ファンには悪いけど興ざめした。この人に「戦争のおかげで儲かる!」というセリフを言わせているのも面白いのだけど。
エンドロールで出演者の名前を見て、え、何処にいたの?まったくわからないというのも、それだけ役になり切っている、その人の顔を浮かばせない熱演だったと評したい。特にアオサギ、素晴らしかった。主人公を誘いだす老獪な声や、窮地に追い詰められて助けを求める哀れな声、これからも楽しみな役者さんである。

主人公の少年真人は空襲で入院中の母を亡くす。やがて父と地方にある母の実家に疎開をするのだが、そこには母によく似た妹のナツコが既に父の子どもを宿している。母の実家は大きなお屋敷で、沢山の使用人が控えている。庭の池にはアオサギが住んでおり、スーッと家の中にまで入ってくる。
真人はさっそくに家の周囲を探検すると古い塔に行き当たる。
翌日、地元の小学校に転校するが、都会から来た、しかも裕福な家の子ども、級友たちからははじかれてしまい、帰り道、真人は自分で大きな石で頭を殴りつけ、大けがを負う。
当然のように、父は「誰にやられた?」と学校に抗議に行き、お金で学校を黙らせてしまう。
真人は「自分がやった」とは言えないまま、学校にも行かず、静養することになる。
ある日、ナツコの姿が消えた。真人は人間の言葉を話すアオサギにそそのかされるように、「父が好きな人、ナツコ」を探すため、足を踏み入れてはならないと言われた搭に入っていく。
そこからが異世界への旅となるのだが、愛らしい「わらわら」の登場にホッとしたのもつかの間、ペリカンの集団にわらわらは食べられてしまう。少年真人はインコの王国では命を狙われ、それまでも何度も火を扱う若き日の母ヒミに助けられたり。
やがて敵対していたはずのアオサギと協力して、ナツコの救済に突き進む。ナツコの産屋に足を踏み入れた真人は、「ナツコ母さん」と呼べるくらいに気持ちの変化を起こしていく。
最後に行きついたのは母たちの大伯父、この世界の均衡を保つ存在。この大伯父に異世界の救世主としての後継ぎを依頼されるが、真人はナツコを連れ、現世へと戻る選択をする。若き日の母は、「やがてこんな素晴らしい少年を産めるなんて!」と喜び、異世界に留まる。
アオサギの「あばよ、友だち!」の言葉には涙が出た。

この作品を取り上げようと決心してから、3回目を見に行った。
1回目は公開1週目に1人で。当初は声の出演者を追いかけたが、そんなことはどうでもよい、ストーリーを追いかけるのに夢中になった。
2回目は息子と。声の出演者を見届けたく、かつストーリーをおさらいしたくて。
3回目、もっと深く考えたかったのに、意に反して後半の要所をかなり寝落ちして、本当に悔しい。「アニメは必ず寝るもんな」と、息子に大笑いされた。彼は彼で、出演者と役名がことごとく外れたことが相当悔しかったらしく、キャストが公開されたのを機に、喜んで付き合ってくれた。
視点はそれぞれに違いながらも、何度でも観たくなる、そこは宮崎マジックにかかってしまったか。

パンフレットも公開から一か月という異例の販売。宮崎監督の自筆製作メモが載っている。2016.7.1付け
「手書きでやる」と決意に満ちた文字。しかし、「小生78才生きてるかな?」の囲み。3年で制作とあるが、実際には7年を要した。
「今の、ボンヤリと漂っているような形のはっきりしない時代は終わっているのではないのか。もっと世界全体が揺らいでいるのか。戦争か大災害か、あるいは両方という可能性もある」
2023年、今この時、世界全体は戦争と感染症と地球沸騰という大災害の両方に見舞われている。悲しいかな、監督の予想は当たっている。
本作品は宮崎監督の思いがあふれている。読み取るのは難しいが、何とか受け止めたい。
「君たちはどう生きるのか」大きな問いかけをもらった気がする。

声を担当した俳優さんの名前と役の答え合わせだけでも、ひとまず楽しめた。
懐かしいジブリ作品の、これはあの背景作家さんかな、ここはあの作品のオマージュかな。
それも楽しかった。観方はいろいろあっていいのだが、これ以上、私にはレビューを書けるような代物でないことがわかったことを白状しておく。
(アロママ)

監督:宮崎駿
脚本:宮崎駿
撮影:高間賢治
出演(声):山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村拓哉


「夜を走る」(2021年 日本映画)

2023年08月16日 | 映画の感想・批評
 京都の九条通り、近鉄東寺駅から歩いてすぐのところにミニシアター「みなみ会館」がある。京都は日本のハリウッドと称された映画撮影のメッカでもあったので、むかしから映画文化の栄えた土地である。そういう背景もあって人口規模に比してミニシアターが4つもあるという激戦地でもある。
 その一角を担ったみなみ会館が9月いっぱいで閉館するという悲報が伝えられた。もともと地場の鉄のリサイクル会社が経営母体であったから異業種といえばいえるので、近年東京から進出してきたミニシアターの攻勢もあって興行に苦戦したのだろう。残念というほかない。
 今回取り上げる映画はみなみ会館の「さよなら興行」といえる1本である。公開は昨年の春だから新作ではないけれど、2022年度キネマ旬報ベストテンでは第12位と健闘している。
 舞台となる千葉県の武蔵野金属という鉄のスクラップ会社は実在しており、撮影に全面的に協力していて、推測するにみなみ会館での特別上映はそういう縁があってのことかもしれない。
 この映画に登場する人々は何かの問題や心の闇を抱えていながら、表面的には何事もない平々凡々とした日常の中に埋没しつつ生きている。
 武蔵野金属の営業担当の秋本という40歳ぐらいの男は真面目一方の遊びを知らない独身者で、地道にこつこつ営業活動に励むのだが要領が悪いのか、まったく成果が上がらない。毎日のように居丈高な専務から一方的に罵詈雑言を浴びせられても言い訳ひとつしない。解体担当の谷口は、口先ばかりでろくに仕事をしない専務を快く思っていないので、言われっぱなしの秋本がじれったくてしようがない。かれ自身も若いながら幼い子を抱えているが、女房との間は険悪で毎日がおもしろくない。
 映画が俄然あわただしく動き出すのは、ある事件がきっかけとなる。
 谷口は秋本を励ますために呑みに連れ出すが、その帰り道に新規開拓の営業で昼間に会社を訪れていた若い女性とぱったり出会う。かの女は専務に色目を使われて今まで呑んでいたという。そこで、3人でまた呑みに行こうとなって、ウーロン茶しか呑まない秋本が夜もすっかり遅くなったのでかの女を送って行こうと車に乗せたそのとき、トラブルが起きる。とんでもないことに普段はおとなしい秋本がちょっとしたかの女の態度に激高し殴ってしまうのだ。谷口は秋本を落ち着かせて、動かなくなった女性の始末をふたりで画策するのである。ずいぶん、のんびり進行していた物語がここからサスペンス映画へと変質する。
 ふたりは恨みのある専務に女性殺害の嫌疑を着せる工作をするが、物語はその後も二転三転と意外な方向に転げ出し、アルフレッド・ヒッチコックの「ハリーの災難」みたいな話になる。ただ、ヒッチコックサスペンスに一直線に突き進んだほうがよかったのに、新興宗教とかフィリピン・バ-だとかテーマを欲張ったのがちょっと惜しい。
 「教誨師」でも登場人物たちの心の奥に潜む重層的な闇をえぐり出すような作風で人間の本質に迫った佐向監督であるが、この映画もそういう心理的興味の上に成り立っている作品だと思った。(健)

監督・脚本:佐向大
撮影:渡邉寿岳
出演:足立智充、玉置玲央、菜葉菜、松重豊、宇野祥平、高橋努

「パリ、テキサス」 (1984年  フランス、西ドイツ、イギリス、アメリカ映画)

2023年08月09日 | 映画の感想・批評
 トラビスはテキサスの砂漠で行き倒れた。連絡を受けて迎えに来た弟のウォルトが事情を聞いても、記憶を失っていて何も答えない。何度も逃げ出そうとするトラビスを、ウォルトはなんとかロスアンジェルス郊外にある自宅へ連れて帰った。ウォルトは妻のアンと共にトラビスの息子のハンターを育てていた。ハンターはもうすぐ8歳になろうとしている。ウォルトが5年前に撮影した8ミリ映画を上映すると、トラビスは画面を見ていられなくなった。そこには4年前に失踪した妻のジェーンが映っていたからだ。

 トラビスは若い妻のジェーンをとても愛していて、彼女を残して仕事に出るのがつらくなり仕事を辞めた。お金が無くなるとまた仕事を始めたが、妻が浮気しているのではないかと疑い、仕事から帰ると彼女を責めた。飲んだくれて帰ってきても、ジェーンがちっとも嫉妬してくれないので、自分は愛されていないではないかとトラビスは疑心暗鬼に陥った。やがて子供(ハンター)ができた。トラビスは酒を辞め、真面目に仕事に励むようになったが、ジェーンは「子供を産ませて自由を奪った」とトラビスを責めた。トラビスはジェーンが逃げないように足首に鈴を付け、ベルトでストーブにくくりつけた。ある日、帰宅すると家が炎に包まれており、妻と息子の姿はなかった。トラビスはその場から逃げ出し、ジェーンはハンターをウォルト夫婦に預けて行方不明になった。

 初めてこの映画を観たのは、日本公開から2年後の1987年頃だったと記憶している。当時京都の洛北にあった京一会館という二番館で観たのだが、残念ながら京一会館は1988年に惜しまれて閉館した。当時この作品について書かれた記事の中に「愛の不可能性」を描いた映画だという批評があり、何故かこの言葉がいつまでも胸に残っていた。お互いに愛し合っているのに愛が成就しない、むしろ愛が壊れていくという事態をどう考えたらよいのか。

 テキサスの砂漠で救出され、ウォルトの家に住むようになったトラビスは、徐々に日常を回復していった。ある日、トラビスはウォルト夫妻には何も言わずに、ハンターと一緒にジェーンを捜す旅に出た。トラビスはジェーンがヒューストンにある覗き部屋のような風俗店で働いているのを見つける。ジェーンと再会したトラビスはハンターを託し、一人でまた旅に出た。ハンターもジェーンもトラビスを暖かく迎えており、二人とも今なおトラビスを愛しているように思える。それなのに、どうしてトラビスは三人で一緒に暮らさないのか。自分の心が抑制できず、また妻を束縛してしまうのを恐れているのか。愛し合っているのに愛が成就しないむずかしさがここにある。
 トラビスは父親として無責任だという意見もあるだろう。現在ならメンタルクリニックで、妄想、依存、記憶障害、失語等の症状があるDV加害者とみなされるかもしれない。しかしこの映画ではトラビスの苦悩を人間誰でもが持っている苦悩として描いている。個人的な愛の問題を普遍的で根源的な愛の問題に昇華し、愛の不可能性として提示しているのだ。
 気になるのはジェーンとハンターのこれからだ。ジェーンはどうやって一人でハンターを育てていくのだろうか。ジェーンはトラビスに何故ハンターと一緒にいなかったのかと問われた時に、「自分が何もしてやれないのがわかった。空しさを埋めるための代償にしたくなかった」と答えている。おそらくジェーンも子育てに<しんどさ>を抱え、愛の困難さに苦しんでいる女性だと思われる。幸いウォルトとアンはハンターをとてもかわいがっており、また弟夫婦に子育てを助けてもらうこともできるだろう。こういう類の愛もあるのだと思う。
 トラビスも彼なりの愛し方をしているのだと思いたい。愛は成就しなかったが、愛がないわけではないし、希望がないわけでもない。トラビスとジェーンとハンターの愛を「愛のひとつの形」ととらえるなら、この作品は「愛の不可能性」ではなく、「愛の可能性」を描いた映画だということになるが、解釈は個々の観客に委ねたい。(KOICHI)

原題: Paris,Texas
監督: ヴィム・ヴェンダース
脚本: L・M・キット・カーソン  サム・シェパード
撮影: ロビー・ミューラー
出演: ハリー・ディーン・スタントン
ナスターシャ・キンスキー ハンター・カーソン

「ヴァチカンのエクソシスト」(2023年 アメリカ・イギリス・スペイン映画)

2023年08月02日 | 映画の感想・批評
 1987年7月スペインの修道院が舞台。アモルト神父(ラッセル・クロウ)は、ある少年の悪魔祓いを依頼される。急ぎ駆け付けた修道院は、とても古く庭も荒れたままでとても不気味。少年の姉と母、その修道院の若き神父(ダニエル・ゾバット)がいるだけ。少年は、既に、悪魔がのりうつり、手が付けられない状態。どうしたものか思慮するアモルト神父は、悪魔の正体を掴む為、若き神父とその修道院の調査を開始する。地下に隠れ部屋を見つけ、奥深く進んでいくと、そこには、かつて行われた宗教裁判の記録が・・・。果たして、少年の命は救われるのか、家族に平和な時は戻るのか・・・。
 オフィシャルサイトによると、アモルト神父とは、“カトリック教会の総本山ヴァチカンのローマ教皇に仕え、生涯で数万回の悪魔祓いを行った実在のチーフ・エクソシスト”との解説がある。依頼の98%は病気で、2%が本当の悪魔祓いだと劇中でも会話があったが、その件数の多さに驚いた。
 本作は、本家「エクソシスト」のあの有名なシーンも登場するが、ワンシーンぐらいで、ホラーというよりは、ベテランと若手がタッグを組んで難事件を解決という「刑事モノ」の様だった。教皇が、二人に向かって、こういった悪魔祓いが必要な場所が200ヵ所あって、残り199ヵ所を君達に行ってもらおうと言ったラストシーンが、それを印象付けた。後半は、悪魔vs神父の闘い。悪魔は、完璧な人間であるとされる神父のそうでない面がある筈だとして、そこを突こうとする。だが、神父は、そこは聞かないようにしようとする。要は、悪魔祓いという舞台で、人間も悪魔も、自分達の内面でそれぞれ葛藤と闘い、それぞれの中で、納得が得られた方が勝つということだろうか。
 「エクソシスト」というタイトルでオカルトを想像するが、全くのアクション映画として捉えれば、充分に楽しめる作品だった。ラッセル・クロウは安定の上手さ。時にはシリアス演技に、時にはコミカル演技に、テクニカルに使い分けている感じがする。ラッセル・クロウを観る為に観るというのもありかもしれない。
(kenya)

原題:「The Pope’s Exocist」
監督:ジュリアス・エイバリー
脚本:マイケル・ペトローニ、エバン・スピリオトポウロス
撮影:カリッド・モタセズ
出演:ラッセル・クロウ、ダニエル・ゾバット、アレックス・エッソー、フランコ・ネロ