シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「blank13」(2017年、日本映画)

2018年04月25日 | 映画の感想・批評
俳優として活躍中の斎藤工が、映画監督「齊藤工」として初めて手掛けた長編作品。短編は何本かあるらしい。

13年間行方不明だった挙句、父親(リリー・フランキー)が末期がんで療養中という知らせを受けた家族。
妻(神野三鈴)と長男(斎藤工)は『「会いに行かない」、次男(高橋一生)は恋人に「後悔するよ」と促され、ようやく見舞いに行く。
この13年間、残された3人は大変な苦労をしている。妻は早朝の新聞配達に、昼はパート、夜もスナックの仕事と掛け持ちで、小中学生の二人の息子を育て上げる。新聞配達の途中で車にはねられ、顔中を腫らしながら、それでも口紅をひいて夜の仕事に出ていく姿は壮絶としか言いようがない。その母の代わりに息子二人が新聞配達を頑張る。弟のために慣れない弁当を作り、思わず爆発するお兄ちゃんも痛々しい。
長男は猛勉強の結果、一流大学を出て、一流会社に就職。
次男は父親に甘えていられた時間もあり、兄ほどには父親を憎み切れない。
妻はただただ、夫の帰りを待つべく、引っ越しもしないでボロアパートに住み続けている。

どんな父親であれ、お葬式を挙げた息子たちはえらい。

放蕩親父のお葬式は自治会館を借りて、数人の列席者という、つつましいもの。同じ日、隣の大きなお寺では同姓の壮大なお葬式が営まれ、受付を預かる次男の恋人(松岡茉優)は弔問客の間違いにあくせくするところもいじらしい。
お葬式の大きさが故人の人格を表すのか・・・・・・
そんなところも結構皮肉が利いていて、おもしろい。

お経すらところどころ端折っているような怪しげな僧侶だったが、「お一人ずつ思い出を語ってあげてください」これはいい提案。
そこから、いわくありげな列席者によって、ダメ親父の「愛されてきた姿」が浮き彫りになる。このシーンは出演者たちのアドリブがかなり含まれているらしい、佐藤二朗の仕切り方、うなづき方、いちいちうるさいのだけれど、実感がこもっている。
初めて聞かされる、13年間の放蕩生活の中での父の姿に、長男と次男で、それぞれ受け止め方は違うが、最後の喪主の「挨拶リレー」は見ごたえあった。

そして、母であり妻は・・・・・喪服を着つけ、出かけてみるが、葬儀場には足が向かない。その思いもひしひしと受け止められる。
ボロアパートに戻り、おそらく夫がふらっと出ていったその時に残したであろう煙草に火をつけ、ふかしてみる。たぶん、煙草を吸ったことがないのだろう、むせ込みながらも、一筋の煙の行方を目で追う姿。これが彼女なりの見送り方なのだ。
息子たちと次男の恋人は火葬場のベンチで静かに時を過ごし・・・・・・
身近な人を見送った経験を持つ人なら、見覚えのあるシーン。様々な思いがよみがえってくる。
エンドロールの歌がずしんとくる。私は煙草とその煙は大嫌いだけど、この作品の大事なモチーフになってる。悔しいけど(^^;

今年も高橋一生の名前を聞かない日はないくらいの大人気ぶり。
30歳を超える彼が20代の役にはちょっと無理もあるけれど、甘えん坊の次男らしい父親への郷愁と戸惑いを、繊細な目で演じていた。
どうしようもないダメ親父を演じたら、この人の右に出る者はいないと言いたいほど、リリー・フランキーははまり役。病室での儚さもうまい。
妻役の神野三鈴、これまでほとんど知らない女優さんだったが、この役はすばらしかった。過酷な環境でも愚痴一つこぼさず、不慣れなキャッチボールにも付き合うやさしい母親、何より夫を静かに待ち続ける姿にうたれる。夫婦の情は当人たちにしかわからないものだ。
齋藤工、俳優としては実は苦手だけれど、「去年の冬、君と別れ」の狂気溢れる姿を見た後、ふとこの作品の存在を知った。
タイミングよく見る事ができてありがたい。細々と全国で単日上映が予定されているようだ。
ナイーブな表現に、次回作が楽しみになってきた。


10年ほど前のマキノ雅彦監督作品「寝ずの番」が京都シネマで観られる。タイプは違う話だけれど、こちらもまた観てみたい。
見送りの形は様々だけれど、自分もこんなふうに皆に語られて見送られたいと思えてきた。(アロママ)



監督 齊藤工
脚本 西条みつとし
原作 はしもとこうじ
撮影 早坂伸
主演 高橋一生、斎藤工、神野三鈴、松岡茉優、リリー・フランキー



「女は二度決断する」(2017年 ドイツ、フランス)

2018年04月18日 | 映画の感想・批評


 第75回ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞し、主演のダイアン・クルーガーが第70回カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得した問題作である。
 まず冒頭、麻薬取引の罪で入獄していた移民らしき男が出所し、刑務所の面会室で待ちわびる美女と抱き合い、その場で挙式をあげる。やがて月日が経ち、ハンブルクの移民街で車から降りた冒頭の美女が幼い息子を仕事中の夫に委ねて、知り合いの妊婦を迎えに行く。用事が住んで夫の仕事場に戻ろうとしたかの女を待ち受けていたのは凄惨なテロ現場であった。ここで、ようやくタイトルが出る。
 夫と幼な子を殺された主人公の怨嗟はいかばかりか。夫はトルコ出身のクルド人という設定である。ファティ・アキン監督がトルコ系であり、自らの出自を重ねているのだろう。当初、事件は宗教絡みのテロかと疑われたが、捜査が進むと、かれらを特定して狙ったのではなく、移民なら誰でもよいというヘイト・クライムの線が濃厚となる。こうして、若いネオナチの活動家夫婦が容疑者として逮捕されるが、犯行を否認するのである。
 もともと法廷劇が大好きな私は、裁判での丁々発止のやりとりが始まる場面にゾクゾクした。被告席の若い夫婦は、移民街に自作のクギ爆弾を仕掛けて無差別テロを実行した容疑で起訴される。その弁護人はいくつもの難局を乗り切ってきたかと想像されるしたたかさだ。それで、主人公側の若い弁護士は押され気味だ。ドイツの刑事裁判制度がよくわからないので、なぜ検察官ではなく、被害者の弁護士が被告側を追及するのかという疑問は留保する。ここは純粋に論戦を楽しみたいところだ。
 原題は「何もないところから」と訳すのだろうか。英語題名は「In the Fade」(消え去る)というらしい。それに比べて邦題が意味深長である。主人公が一度目の決断にためらい、諦めたのかと思いきや、翌朝に第二の決断をする。このラストシーンは想像を超えたといってもよい。二度目の決断で何が起きるかは、話の流れから大体想像できるのだけれど、そうは問屋が卸さないのである。見てのお楽しみだ、という表現を使うのが咎められる結末である。
 その驚天動地の決断に唖然とさせられると同時に、ヘイト犯罪で愛する家族を失った者の喪失感と絶望と怨恨の深淵を見せつけられ、慄然とせざるを得なかった。(健)

原題:Aus dem Nichts
監督:ファティ・アキン
脚本:ファティ・アキン、ハーク・ボーム
撮影:ライナー・クラウスマン
出演:ダイアン・クルーガー、デニス・モシット、ヌーマン・アチャル

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書(2017年アメリカ映画)

2018年04月11日 | 映画の感想・批評

 
アメリカがベトナム戦争で泥沼にはまっていた頃、その前後の大統領を含め、軍の上層部が、事実とは全く違う戦争状況を国民に公表していた。それは、戦争で犠牲になる人々のことよりも、自分達のプライドを保つ為だけに動いていたという衝撃の事実を、軍の内部関係者が新聞社に暴露する実話である。
 真っ先に記事を出したのは、ニューヨーク・タイムズ社。但し、舞台は原題のワシントン・ポスト社である。新聞社と新聞記者の使命として、真実を公表することを優先するか、真実を公表することで、反逆罪で新聞社を潰してしまうリスクを避ける(=社員を守る)のか、生きていく上で、何を優先させるのか、会社や社員が自らの存在意義を問う投げかけが、次々と展開される。原題の「The Post 」は、ワシントン・ポスト社とポジションのポストの引掛けかと思ってしまう程、1本の映画に出来るような会社社会のテーマも絡ませて、ストーリーに重層感があった。夫の急逝により、何の準備も無く経営者になったメリル・ストリープ扮する主人公が、経営者の葛藤に悩まされるシーンは殺気迫る迫力があり、経営者は孤独なのだと改めて感じた。
 スピルバーグのインタビュー記事で読んだが、トランプ大統領の誕生で、編集中だった映画の製作を一旦止めて、こちらの製作準備に入ったそうだ。非常に短時間で製作された訳だが、全くそういった印象は無い。これは、スピルバーグにしか出来ないのではないか。まさに、映画を撮る為に生まれてきたスピルバーグである。21回目のアカデミー賞ノミネートとなったメリル・ストリープの経営者として、大きな決断を下す際の悩ましい姿、そして、下した後の揺るぎない自信と覚悟の表情を引き出す演技演出、今の時代を捉える嗅覚と観客が観たいと思っている題材に取り上げる力、脇役陣の登場やセリフ、そして、本編では、ラストには、ウォーターゲート事件に繋げる憎い演出で、完璧としか言いようが無い。終始、スピルバーグらしさが溢れる映画であった。
(kenya)

原題:「The Post」
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
出演:メリル・ストリープ、トム・ハンクス、サラ・ポールソン、ボブ・オデンカーク、トレイシー・レッツ、ブラッドリー・ウィットフォード、ブルース・グリーンウッド、マシュー・リス、アリソン・ブリー他

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男(2017年イギリス)

2018年04月04日 | 映画の感想・批評
 

1940年、第二次世界大戦初期のイギリス。ヨーロッパではナチスドイツが勢力を拡大してきて、フランスは陥落寸前、いよいよイギリスにも侵略の危機が迫ろうとしていた。時の保守党チェンバレン首相は軍備増強を怠り、ドイツに対する弱腰政策を批判され退陣。フランスのダンケルク海岸で英仏軍が包囲され窮地に追い込まれる中、“政界一の嫌われ者”チャーチルが首相に就任する。
 戦時挙国一致内閣には、同じ保守党でありながらイタリアからのドイツとの和平交渉の仲介申し入れに固執するハリファックスがいた。イギリスにとって戦況不利な状況での和平交渉はヒトラーの軍門に下ること。首相就任からダンケルクの戦いまでの27日間のチャーチルの苦悩を描いている。
 ヨーロッパではナチスドイツを残虐な悪として描いた映画が多く作られてきていたが、最近では自国をナチスドイツの被害者としてだけではなく、自国も止む無くあるいは積極的にナチス政権に加担してきたと自国の歴史を振り返る映画が増えてきているように思う。そういう意味ではナチスドイツに屈服することなく抵抗を続けたイギリスは、他のヨーロッパの国々とは少し違った立ち位置にいるのかもしれない。もちろんナチスドイツに対してイギリスだけが孤軍奮闘したわけではなく、ヨーロッパ各地の反ナチス抵抗運動に参加した多くの人たちの働きがあってこその歴史である。
 チャーチルが政治家として優れているのか疑問に思う。海軍大臣時代の作戦失敗や、保守党から自由党へ、再び保守党へと鞍替え。深謀遠慮ではない思いつき、政敵が右と言えば左というへそ曲がり的な行動で政界を生きてきたように思う。だが、ナチスドイツへの従属をきっぱりと拒否したことは評価したいと思う。和平交渉か徹底抗戦か悩むチャーチルが、彼を「何を考えているのか分からない。次に何を言い出すのかと怖かった」という国王ジョージ6世のすすめで、ロンドン市民の声を聞いて徹底抗戦を決意するシーンがある。監督は国家の進路を決めるのは国王や政治家ではなく国民だと言いたかったのだろうか。
 第90回アカデミー賞で本作の主役チャーチルを演じたゲイリー・オールドマンが主演男優賞を、そして日本人として初めて京都出身の辻一弘さんがメイクアップ&ヘイスタイリング賞を受賞した。なんと辻さんはゲイリー・オールドマンのご近所さんで、映画から引退して彫刻をしていた辻さんに特殊メイクを依頼したという。でも、でも、あまりにそっくり過ぎてゲイリー・オールドマンを感じられなかったのは残念な気もする。(久)

原題:DARKEST HOUR
監督:ジョー・ライト
脚本:アンソニー・マクカーテン
撮影:ブリュノ・デルボネル
出演:ゲイリー・オールドマン、クリスティン・スコット・トーマス、リリー・ジェームズ、スティーヴン・ディレイン、ロナルド・ピックアップ、ベン・メンデルソーン