シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ファースト・マン」 (2018年 アメリカ映画)

2019年02月27日 | 映画の感想・批評


人類で初めて月面着陸した男ニール・アームストロングの実話を元にしたお話です。
なんらすごい展開が起きるとかでなく忠実に再現したのだろうかと思わせる彼の月面着陸までの物語を淡々と描かれいる。今作はなんといっても月面の映像に引き込まれます。まさに宇宙というか観てるこちらも息苦しさすら感じさせられました。本当に当時の技術で月まで行ったのか不思議に思っていましたが、これを観ると色々な失敗の上での成功だったのだと改めて感じさせられました。迫力のあるサウンドなどは映画館で体感して良かったと思える作品です。自宅でDVDで見るべきスタンスでは無い映画に感じます。忠実に再現されたアナログ時代の宇宙船内と、NASA提供のアーカイヴフッテージを活用した船外の宇宙空間の映像のおかげで、観客も乗組員になったかのようなリアルな体験を楽しめる作品です。
監督にとって初の音楽映画以外の作品ですが、この多彩な音響使いはある意味、音楽映画になっています。人間ドラマも熱いアカデミー賞視覚効果賞受賞作です。
映画の道に入る前はミュージシャンを志したデイミアン・チャゼル監督だけに、ドラムを学ぶ学生と鬼教師がぶつかり合う作品「セッション」、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」の過去2作で音楽がらみの演出に長けているのは、ある意味納得。だがそれだけではないことを、アームストロングの半生と月面着陸を描く実録ドラマで見事に証明してみせてくれた作品です。

人類初の偉業を成し遂げた特別な人間という別格の英雄としてまつりあげるのではなく、娘の病死と仲間たちの事故死に心を痛め、身近に漂う死の恐怖を克服して試練に立ち向かう一人の男を、ライアン・ゴズリングと共に的確に描写していく。表情アップしたシーンが多く、多くを語らないニールの表情から彼の心情を読み取れる。さすがのライアン・ゴズリングの名演にも注目です。

有名な言葉として”一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である"ジーンときちゃいましたね。

そして一番素敵なシーンは最後のシーンです。名誉あるパイロットに選ばれて、その準備をしている前夜、クレア・フォイ演じる奥さんが「何を時間潰しの準備をしてるの?仲間も死んだのよ!ちゃんと自分の口で子供達に説明して!」無事に帰って来て、自宅にマスコミが多数来る。囲まれ笑顔で答える奥さん。ライアン・ゴズリング演じる旦那さんが隔離されている施設に行く。無言・・・。ガラス一枚越しの夫婦。無言でも伝わる2人の気持ち、、最後に凄い素敵なシーンで心地よく終われました

1番残念だったのは公開初日に行ったのですが、貸切状態の如くガ~ラガラでした。デイミアン・チャゼル監督の作品なのに・・・。
そこそこせつない気分になりながら鑑賞していました。 (chidu)

監督:デイミアン・チャゼル
脚本:ジョシュ・シンカー
撮影:リヌス・サンドグレン,FSF
出演:ライアン,ゴズリング、クレア,フォイ、ジェイソン,クラーク、カイル,チャンドラー、コリー,ストール、キアラン,ハインズ











「洗骨」 (2018年 日本映画)

2019年02月20日 | 映画の感想、批評
 

ガレッジセールのゴリが本名の照屋年之の名で脚本・監督を担当し、沖縄の離島・粟国島に残る「洗骨」という風習をモチーフに、家族の絆や命のつながりを描いた作品。「洗骨」とは東南アジアや日本の沖縄、奄美群島に残る風習で、一度土葬や風葬を行った後に、死者の骨を棺桶から取り出し、酒や海水で洗って再度埋葬する葬制のこと。
 妻の恵美子が亡くなって四年経つが、信綱は今なお妻の死を認めることができず、酒に溺れる毎日を過ごしている。母の「洗骨」のために子供たち(剛と優子)が島に戻ってきたが、剛は離婚したことを誰にも言えず、優子は未婚のまま妊娠してしまった。信綱は経営する工場を潰してしまい、家族に散々迷惑をかけてきた。しっかり者の剛は優子や信綱が腹立たしく、事あるごとに激しく非難する。ぎくしゃくした信綱の家族を信綱の姉の信子がかろうじて支えている。そんな崩壊寸前の関係が「洗骨」が近づくにつれて徐々に回復していき、家族がひとつになっていく。亡くなった母への想いと「洗骨」という儀式の厳粛さが個人のエゴイズムを乗り越えてしまう。
 作中に母・恵美子の遺影が何度も出てくる。美しくてやさしい母の笑顔に家族も観客も癒されるが、棺桶を開けた時に変わり果てた姿を見て衝撃を受ける。何度も遺影が出てきて、やさしい笑顔がインプットされているために、死という現実の過酷さを強く認識することになる。死者の骨を洗うという行為には宗教的な意味合いがあるのだろうが、実際にそれを行う者にはいやがおうでも命のはかなさを思い知る場になったのではないか。メメント・モリ(死を想え)という警句をまさに体現する行為である。
 照屋監督はコメディアン出身のためか、生と死という主題が重すぎるためか、シリアスな場面の随所に笑いを入れようとする。ユーモアのセンスはある人だと思うが、シリアスな場面とコミカルな場面のバランスは良いとは言えない。照れがあるのかコメディへのこだわりが強いのか、厳粛な「洗骨」のシーンが終わりかけた時に、突然優子が産気づき出産のドタバタが始まる。予想された展開とはいえ、唐突の感は免れない。出産の大騒動の中で「命をつないでいく」というメッセージを伝えたかったのであろうが、信綱の姉のキャラが立ちすぎていて教訓めいた話の流れになっている。登場人物の台詞や産まれたての赤ちゃんと骸骨が向き合うカットで主題を語っているが、表現が直截的過ぎて、いささかうるさい気がする。あのまま静かに「洗骨」の儀式を終わらせても、歴史と風習の重み、人生のはかなさと素晴らしさを伝えることはできたし、「命をつないでいく」というテーマも展開できただろう。
 照屋監督は真面目な人で、映画で人生を語ろうとする。いっそのことコメディアンらしく、何のメッセージ性もない、あっけないドタバタで終わったら、むしろより深い余韻を残すことができたかもしれない。(KOICHI)

原題:洗骨
監督:照屋年之
脚本:照屋年之
撮影:今井孝博
出演:奥田瑛二  筒井道隆  水崎綾女  大島蓉子  筒井真理子

「七つの会議」(2019年日本映画)

2019年02月13日 | 映画の感想・批評


 大ヒットしたドラマ「半沢直樹」や映画「空飛ぶタイヤ」の池井戸潤原作のオールキャストエンターテイメントである。最初から最後まで、“映画はこうでなくっちゃ!”ってノリノリで、その条件の、分かり易い設定(=単純明快)、美男美女のオールキャスト(=端役も容姿端麗)、話題性(=野村萬斎主演、池井戸潤原作)、大げさな演出(=言い争う際は顔が近く、顔の表情で気持ちを表す)が2時間続く作品ある。
 私はサラリーマンなので、営業部と経理部の仲が悪いや、営業1部は花形部署だが、営業2部はそうではないという構図は単純過ぎて、入り込めなかった。営業2部の売上が悪いのに、働く姿が全見えないのも気になった。主人公のぐうたら社員を野村萬斎が演じているが、歌舞伎調の口調や動作(歩く姿や立ち姿さえも歌舞伎調)をするのである。そんなぐうたら社員がいるだろうか。ちなみに、外見は、髭面、居眠り、ネクタイ緩々である。でも、背筋はピンと伸びている。挙句の果てに、心許せる元妻には、きちんと養育費は払うのである。「ぐうたら」になってしまった過去が明らかになり、単純なぐうたらではないことは証明されるが、想像の範囲内で、感情移入が出来ないまま、映画はラストへと進むのである。
 ラストの「不正は完全には無くならない」というメッセージは、あまり映画では観掛けない一歩引いた注釈シーンだったが、付け足した印象で、全体的に二番煎じ感が否めない作品であった。
 「半沢直樹」が大ヒットし、成功体験の“倍返し”を狙ったが、狙い通りには行かず?でも、それがオールキャストの陥りやすい点なのかも・・・。最近は、配役や原作といった話題性を全面に押し出す類の映画が多いような気がする。ヒットさせないといけないという命題を抱えた映画製作の難しさなのか。製作する側の苦悩が垣間見えると理解するのは勝手な解釈だろうか。
(kenya)

監督:福澤克雄
脚本:丑尾健太郎、李正美
原作:池井戸潤
撮影:公表データが確認出来ず
出演:野村萬斎、香川照之、及川光博、片岡愛之助、音尾琢真、藤森慎吾、朝倉あき、岡田浩暉、木下ほうか、吉田羊、土屋太鳳、小泉孝太郎、溝端淳平、春風亭昇太、立川談春、勝村政信、世良公則、鹿賀丈史、橋爪功、北大路欣也他

「家へ帰ろう」 (2017年 アルゼンチン・スペイン映画)

2019年02月06日 | 映画の感想・批評


 アルゼンチンのブエノスアイレスに住む88歳の仕立屋アブラハムは、年をとってきた自分を施設に入れようとする娘たちから逃れ、故郷ポーランドへ向かうための旅に出る。その目的は70年以上会っていない親友に自分が仕立てた最後のスーツを届けに行くこと。実はアブラハムはユダヤ人で、第二次世界大戦中、ナチスドイツによるホロコーストから逃れようとした時にその親友に助けられ、かくまってもらったという忘れられない思い出があったのだ。あれからもう70年がたとうとしている今、果たしてアブラハムは命の恩人と再会することができるのであろうか。
 最近ナチスを題材にした作品が年に何本か公開されているが、これは少し趣が変わった感動作だ。監督のパブロ・ソラルスがポーランド人でもある祖父から聞いたエピソードがヒントとなっているそうだが、その祖父自身も主人公と同じ仕立屋で、6歳だったときにポーランドからアルゼンチンに移住してきたのだが、子や孫たちに「ポーランド」と「ドイツ」という言葉を決して口にしなかったそうだ。当時を生き抜いたユダヤ人にとって、その言葉からは悲しみと苦痛しかよみがえってこないからだろうか。それはアブラハムの言動からも読み取れる。いきなりの決行でワルシャワ行きの直行便はなく、まずスペインのマドリードまで飛び、それから列車でフランスのパリに入り、さらに列車でポーランドのワルシャワへ。その行程で「どうにかしてドイツを通らないでポーランドへ行きたい」と駅の案内係を手こずらせたり、列車の中で乗客がドイツ語で話しているのを聞くと、言いようのない切迫感におそわれたり・・・。
 そんな中、彼に温かい手をさしのべる人々が出現する。マドリードの安宿の女主人ゴンザレス、かつて東欧のユダヤ人が使っていたイディッシュ語で話すドイツ人の文化人類学者イングリッド、彼を故郷のウッチまで送っていくワルシャワの看護師ゴーシャたちだ。仕事を持ち自立している頼もしい女性たちの力を借りながら、少しずつ目的に近づき、強面だった顔つきが徐々に柔和になっていくアブラハムを見ていると、今の世の中、捨てたもんじゃないなと思えてくる。
 彼と一緒に旅を続けた観客が最後にたどり着くウッチの街の一角は、実際に監督の祖父が生まれ育った場所だそうだ。ポーランドを代表する巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「約束の土地」の舞台でもある。そこまで自らのアイデンティティーにこだわったソラルス監督、"故郷”に対する熱い思いがスクリーンを通してしみじみと伝わってくる。
 (HIRO)

原題:EL ULTIMO TRAJE
英題:The Last Suit
監督:パブロ・ソラルス
脚本:パブロ・ソラルス
撮影:ファン・カルロス・ゴメス
出演:ミゲル・アンヘラ・ソラ、アンヘラ・モリーナ、オルガ・ポラズ、ユリア・ベアホルト、マルティン・ピロヤンスキー