この映画を見るのは3回目だが、私見では黒澤の時代劇の中でランクをつけると、「七人の侍」が傑作、「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」が秀作とすれば、佳作という位置づけだろうか。1958年のキネマ旬報ベストテンで2位というのはちょっとほめすぎという気がしないでもない。
冒頭、敗残兵と思しきふたり組の雑兵が「お前のせいでこんなことになった」と罵り合いながら荒涼たる道を行く。結局、喧嘩して別々の方向へ立ち去るのだが、途中で敵の山名軍の捕虜になり再会する。捕虜たちは落城した秋月家の埋蔵金を発掘する過酷な労役に耐えられず暴動を起こし、その騒動のすきにふたりは逃亡するのである。
戦国時代は、兵農がまだ分離されていなくて、いくさになると領地の百姓が報償を餌に、にわか仕立ての鎧兜を着せられ、鑓や刀を持たされて戦闘に狩りたてられた。指揮をとるのは武士だけれど、末端の兵士は素人集団だった。戦国の世が平定されて、天下人となった秀吉は百姓が反抗しないように刀狩りを行い、ここに兵農分離が確立され、身分の固定化がはじまる。
さて、このいかにも頼りなくて不甲斐ないふたり組が男勝りの姫君と腕っぷしの強そうな侍大将に遭遇する。実はこの姫君は秋月家の世継ぎで、お家再興を願う侍大将と潜伏しながら大量の金塊を抱えて味方の領地に脱出する機会をうかがっているのだ。
姫に新人の上原美佐が、侍大将には三船敏郎が扮し、ふたり組を千秋実と藤原釜足が好演した。周知のように、この四人は「スター・ウォーズ」のキャラのモデルとなった。
金塊に目がくらんだふたり組は敵地からの脱出を企図する姫と侍大将の手助けをする。そこへ秋月軍の残党を追う山名軍が絡んで、果たして、かれらは無事に金塊ともども目的地にたどり着くことができるのか。こうした登場人物が右往左往するおかしさとスリルがこの映画の見どころである。つまり、あくまで明るい活劇というスタイルが本領であって、こちら側を三悪人といっているぐらいだから「用心棒」のような征伐すべき極悪人は出て来ない。おそらく、そこが迫力を欠いている点だろう。
黒澤の処女作「姿三四郎」でタイトルロールを演じた藤田進が山名方の武将に扮し、終盤で処刑場に引き立てられる姫君の意気にほだされて、姫君と侍大将、従者の若い女を逃すという快挙に出る。その藤田が、味方の陣営に「裏切り御免!」と言い放つ寝返り場面には、初めてこの映画を見たとき思わず吹き出してしまった。これは日本映画史上の名セリフのひとつである。当時、京一会館(全国的に名を知られた一乗寺の名画座)の場内はワッと沸いた。あの重厚な藤田(もともとこの役は八代目松本幸四郎、のちの初代白鸚が演じる予定だったという)が演じるからおかしいのである。いま見てもやっぱり笑ってしまう。こういうユーモアのセンスが黒澤の持ち味のひとつだ。
ただ、私がどうも気恥ずかしく思うのは火祭りの場面。あの演出はいくら世界の黒澤でもいただけなかった。案外、この場面をほめている人もいて、私にはほめている人の感覚が理解できない。あれはどう見たって日本の土着の踊りではない。他民族か新興宗教、または前衛舞踏にしか見えなかった。
午前十時の映画祭で上映中(グループAは10月1日から)なので興味のある方はどうぞ。(健)
監督・脚本:黒澤明
脚本:菊島隆三、小国英雄、橋本忍
撮影:山崎市雄
出演:三船敏郎、千秋実、藤原釜足、藤田進、志村喬、上原美佐
冒頭、敗残兵と思しきふたり組の雑兵が「お前のせいでこんなことになった」と罵り合いながら荒涼たる道を行く。結局、喧嘩して別々の方向へ立ち去るのだが、途中で敵の山名軍の捕虜になり再会する。捕虜たちは落城した秋月家の埋蔵金を発掘する過酷な労役に耐えられず暴動を起こし、その騒動のすきにふたりは逃亡するのである。
戦国時代は、兵農がまだ分離されていなくて、いくさになると領地の百姓が報償を餌に、にわか仕立ての鎧兜を着せられ、鑓や刀を持たされて戦闘に狩りたてられた。指揮をとるのは武士だけれど、末端の兵士は素人集団だった。戦国の世が平定されて、天下人となった秀吉は百姓が反抗しないように刀狩りを行い、ここに兵農分離が確立され、身分の固定化がはじまる。
さて、このいかにも頼りなくて不甲斐ないふたり組が男勝りの姫君と腕っぷしの強そうな侍大将に遭遇する。実はこの姫君は秋月家の世継ぎで、お家再興を願う侍大将と潜伏しながら大量の金塊を抱えて味方の領地に脱出する機会をうかがっているのだ。
姫に新人の上原美佐が、侍大将には三船敏郎が扮し、ふたり組を千秋実と藤原釜足が好演した。周知のように、この四人は「スター・ウォーズ」のキャラのモデルとなった。
金塊に目がくらんだふたり組は敵地からの脱出を企図する姫と侍大将の手助けをする。そこへ秋月軍の残党を追う山名軍が絡んで、果たして、かれらは無事に金塊ともども目的地にたどり着くことができるのか。こうした登場人物が右往左往するおかしさとスリルがこの映画の見どころである。つまり、あくまで明るい活劇というスタイルが本領であって、こちら側を三悪人といっているぐらいだから「用心棒」のような征伐すべき極悪人は出て来ない。おそらく、そこが迫力を欠いている点だろう。
黒澤の処女作「姿三四郎」でタイトルロールを演じた藤田進が山名方の武将に扮し、終盤で処刑場に引き立てられる姫君の意気にほだされて、姫君と侍大将、従者の若い女を逃すという快挙に出る。その藤田が、味方の陣営に「裏切り御免!」と言い放つ寝返り場面には、初めてこの映画を見たとき思わず吹き出してしまった。これは日本映画史上の名セリフのひとつである。当時、京一会館(全国的に名を知られた一乗寺の名画座)の場内はワッと沸いた。あの重厚な藤田(もともとこの役は八代目松本幸四郎、のちの初代白鸚が演じる予定だったという)が演じるからおかしいのである。いま見てもやっぱり笑ってしまう。こういうユーモアのセンスが黒澤の持ち味のひとつだ。
ただ、私がどうも気恥ずかしく思うのは火祭りの場面。あの演出はいくら世界の黒澤でもいただけなかった。案外、この場面をほめている人もいて、私にはほめている人の感覚が理解できない。あれはどう見たって日本の土着の踊りではない。他民族か新興宗教、または前衛舞踏にしか見えなかった。
午前十時の映画祭で上映中(グループAは10月1日から)なので興味のある方はどうぞ。(健)
監督・脚本:黒澤明
脚本:菊島隆三、小国英雄、橋本忍
撮影:山崎市雄
出演:三船敏郎、千秋実、藤原釜足、藤田進、志村喬、上原美佐