シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ジュディ 虹の彼方に」(2019年 イギリス=アメリカ)

2020年03月25日 | 映画の感想、批評
 20世紀を代表するアメリカの女性エンターティナー、ジュディ・ガーランドの晩年を描いた佳作である。この映画でタイトル・ロールを演じたゼルウィガーがアカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得したことは記憶に新しい。
 ジュディといえば往年の映画ファンには「オズの魔法使」(1939年)のドロシー役だが、アメリカでは国民的名画となっているから常時TV放映されていて老若男女を問わず人口に膾炙した名作だ。ヴィクター・フレミングはもう一本の国民的名画「風と共に去りぬ」(39年)があり、この二作で映画史に名を留める功績を残した。
 MGMの辣腕経営者ルイス・B・メイヤーは、今なら児童虐待に問われるほど寝る間も食事もろくに与えず、少女スターのジュディを徹底的にこき使った。貪欲そうなステージママがついているからジュディには逃げ場がなかったのだろう。彼女の実父はヴォードヴィリアンだったらしいが、その影は薄い。しかし、彼女の才能は明らかに父のDNAだと思う。メイヤーが彼女の父親を「同性愛者」となじる場面がある。ジュディはエリザベス・テーラーと並んで性的少数者を擁護したことで有名だが、父親っ子だった可能性を匂わせる。映画の後半、ロンドン公演のときに同性カップルに寄り添う姿が描かれているのもそうした背景がある。
 冒頭でホテルを追い払われた失意のジュディが長女ライザ・ミネリを頼って、あるパーティに姿を現すと、手持無沙汰のジュディに若い男(のちに5番目の夫となる)が声をかける。「世界一のエンターティナーがグラスも持たずにいるのを放っておけない」と。彼女がジョークで返す、「え?シナトラが来ているの?」と。男は「いや、あなたはシナトラ以上だ」と微笑む。たしかに、シナトラより上手いかもしれない。
 普通の女の子ではない超繁忙な少女時代を過ごし、MGM青春ミュージカルの盟友ともいえる少年スター、ミッキー・ルーニーに対する淡い恋心と失恋もあって、そうした諸々が彼女の精神を蝕み神経をずたずたにして不眠症、不安神経症を悪化させたのだ。3番目の夫が製作した「スタア誕生」(54年)でも、ジュディは現場でトラブって鼻つまみだったらしい。私生活は乱れ、五度にわたって結婚と離婚を繰り返し、何度も舞台に穴をあけた挙句、遅刻しては観客と口論になるという失態を演じた。もはや映画、TV、興行界から見放された。
 アメリカに残した幼いふたりの子ども(3番目の夫と親権を争った)と、普通の親子として一緒に暮らすことをひたすら願い、経済的自立のために決断したロンドン公演でも前述のような醜態を重ね、契約を打ち切られる。不世出の歌手はこうして帰米せぬまま、1969年6月、47歳の若さで客死したのである。(健)

原題:Judy
監督:ルパート・グールド
脚本:トム・エッジ
原作:ピーター・クィルター
撮影:オーレ・ブラット・バークランド
出演:レネイ・ゼルウィガー、ジェシー・バックリー、マイケル・ガンボン、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェル

「リチャード・ジュエル」(2019年 アメリカ映画)

2020年03月18日 | 映画の感想、批評


 1996年7月27日、実在の警備員リチャード・ジュエルはアトランタ・オリンピックの会場近くの公園で爆発物を発見し、多くの人の命を救った。マスメディアはリチャードを英雄と称賛したが、数日後、地元紙はFBIが爆発物の第一発見者であるリチャードを犯人ではないかと疑っていると報じる。ここからマスメディアの過剰報道とFBIの常軌を逸した捜査が始まる。本来、権力に批判的であるべきマスメディアがFBIの片棒を担ぎ、冤罪を生み出しているという皮肉。地元紙の女性記者が色仕掛けでFBIの捜査官から情報を聞き出すシーンがあるが、イーストウッドのマスメディアに対する不信感が表れている。
 リチャードは弁護士のワトソン・ブライアントと共に無実の罪を晴らす闘いに挑んでいく。とは言っても犯人探しの謎解きやサスペンスがあるわけではない。爆破事件まではスリリングな展開が続くが、後半はFBIとマスメディアに翻弄されるリチャードと母親の苦悩と彼らを守ろうとするワトソンの姿が描かれている。ワトソンはリチャードにFBIとの交渉戦術については教えるが、自ら爆破事件の新犯人を捜すわけではない。アクションも控えめである。
 リチャードはFBIや警察という体制側の人間に無邪気な憧れを抱いていて、拳銃を集めたり、警察官の制服姿で得意げに写真に写ったり英雄願望を持っている。FBIはリチャードの性格をよく見抜いていて、有利な供述を得るために、巧みに捜査協力を依頼する。ワトソンは能天気なリチャードが余計なことを話さないか気が気ではない。「わからないことを、わかったふりをしてしゃべってはいけない」と口を酸っぱくして忠告しているのだが、リチャードは自分は体制側の人間と思っているのか、FBIに協力的で自分に不利なことまでしゃべってしまう。ワトソンのイライラは募るばかり。この二人の関係がまるで漫才のボケとツッコミのようでおかしい。バディ・ムービーの面白さがある。
 ラスト近くのFBIの事情聴取でも、ワトソンの忠告にもかかわらず、リチャードはペラペラしゃべりだす。ワトソンは頭を抱えてしまうのだが、リチャードは最後に「自分が犯人であるという証拠を出せ。家宅捜査をして爆弾の部品でも見つかったのか」とFBIに迫る。FBIは反論できず、その後しばらくしてリチャードへの捜査は打ち切りになる。主人公の天然キャラが結果的に功を奏するところは「運び屋」にも通ずるものがある。単純で情熱的で、正直で作為なく生きている人間への共感。イーストウッドが描きたかったのはミステリーやサスペンスではなく、リチャードの人間性ではないだろうか。マニアックで英雄願望があるけれど、家族を大切にし、純粋な愛国心をもっている男・・・イーストウッドの愛するキャラクターがここにある。(KOICHI)

原題:Richard Jewell
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ビリー・レイ
撮影:イヴ・べランジェ
出演:ポール・ウォルター・ハウザー  サム・ロックウェル  キャシー・ベイツ

「ラストレター」(2020年日本映画)

2020年03月11日 | 映画の感想、批評
 裕里(松たか子)の姉が亡くなった。その姉宛てに届いた同窓会に、姉が亡くなったことを伝えに行った裕里が姉に間違われ、言い出せないまま(そんなことあるか?とも思ったが)に、初恋の人と再会し、手紙でのやり取りが始まるところから映画が始まる。その手紙がひょんなことから、行き違いになり、出会う筈が無かった人々を繋げていく物語である。
 SNSが浸透し、手紙を書くこと自体が少なくなり(というか「私は無い・・・」)、企業間では年賀状を廃止するケースも出てきた時代に、本作品では、手紙(しかもラブレダー)が、時間を超えて、世代を超えて、繋がる。面と向かっては言えないこと、その時には言えなかったことを、手紙に綴る。あの時はそう想っていたのか。今もそう想っているのか。映画ならではの時間軸を自由に行き来して、「人」を照らし出していく。同じ時間を生きてきて、これ程、違う人生になっていくのか。手紙をきっかけとして、その人その人が生きてきた時間を包み込む「懐」のようなものを感じた。広瀬すずと森七菜は、一人二役となっているが、広瀬すずに至っては、一人三役(?)とも取れる幅の広さだった。雑誌で読んだが、監督は、劇中に出てくる『美咲』という小説も、映画の中では、その中身までは披露されないが、実際に書いて撮影に入ったとのこと。監督の作品に込める意気込みとストーリーの奥深さを感じた。
 広瀬すず演じる鮎美の妹役の森七菜に出会えたのは嬉しかった。「天気の子」の声優だそうだが、本作品の撮影時はほとんど無名で、オーディションで選ばれたとのこと。回想シーンの神木隆之介との告白シーンの表情は特に素晴らしかった。叶わない恋心とは分かってはいるものの、気持ちを吐き出さないと自分が潰れてしまう青春時代の切ない感情を表現していた。次回作にも期待したい。また、主題歌を彼女が歌っている。どこかで聞いたことあるなと思わせる懐かしい曲調で、本作品のイメージそのままであった。
 最後に、岩井俊二作品は、前作の「リップヴァンウィンクルの花嫁」に続いて2本しか観ておらず、熱狂的な岩井俊二ファンが多い中、この作品を取り上げることにどこか恐縮しながら、書いた。ファンとしては、豊川悦司と中山美穂の絡みを取り上げるだろうが、私は違う角度で書いてみた。もちろん、二人共、圧巻の演技で、短いながらも存在感たっぷりだった。
(kenya)

監督・脚本・編集:岩井俊二
原作:岩井俊二
撮影:神戸千木
出演:松たか子、広瀬すず、鹿野秀明、森七菜、小室等、水越けいこ、木内みどり、鈴木慶一、豊川悦司、中山美穂、神木隆之介、福山雅治他

「名もなき生涯」(2019年 アメリカ、ドイツ)

2020年03月04日 | 映画の感想、批評
 第二次世界大戦時ドイツに併合されていたオーストリアで、ヒトラーへの忠誠と兵役を拒否して死刑になった一人の農夫がいた。フランツ・イェーガーシュテッターという実在の人物の生涯を「シン・レッド・ライン」「ツリー・オブ・ライフ」のテレンス・マリック監督が描いた。

 フランツは愛する妻ファニと娘たち、母とファニの姉レジーとともに、山と谷に囲まれたオーストリアの小さな村で、農夫として暮らしていた。第一次世界大戦で父を失くしていたフランツは、1938年オーストリアがドイツに併合され、のどかだった村にも戦争の足音が聞こえてくるが、「罪なき人を殺せない。悪しき指導者には従えない」と兵役を拒否し続ける。しかしついに1943年召集令状が届き、エンス基地に出頭するが、ヒトラーと第三帝国への忠誠宣誓拒否を表明して逮捕された。

 ナチス・ドイツに飲み込まれてしまったオーストリア。フランツが暮らす小さな村でも無批判にナチスに傾倒し、兵役を拒否する彼に「裏切り者」「村に対して罪を犯している」などと敵意をむき出しにする村人が増えてくる。強硬ではないが「家族の安全を考えろ」「家族のために戦争に行くべきだ」と彼を説得しようとする隣人もいた。それでもフランツは自分の信念を曲げてヒトラーに加担することは出来なかった。敬虔なカトリック信者として神の前で正しくないことは出来なかった。

 父が戦死して残された母親の苦労を村の誰よりも知るフランツは、もし自分が死刑になったら残されたファニと3人の娘たちがどのような窮地に陥るのか想像に難くない。まして自分は戦死した父親と違って、国家に対する反逆者として死んでいくのだ。それでもフランツは自分の命を犠牲にしても、信念を貫くことを選んだのだ。

 果たして人はここまで強く信念を貫くことができるのだろうか、自分の命を犠牲にしてまで…。相手が強大であればあるほど抵抗する勇気を奮い起こすことは困難ではないだろうか。フランツは「もうすぐ戦争は終わるのだから、表面的に誓えばいい」というような決意を翻させようとする誘いを何度も囁かれるが、断固としてしりぞけ続ける。自分もフランツのように思考し行動できるだろうか。間違ったことにはっきりとNOと言えるだろうか。本当はNOと言いたいけれどなかなか言えない人たちと声を合わせることが大事なのではないだろうか。観るものに生き方を問いかける映画だ。(久)

原題:A HIDDEN LIFE
監督:テレンス・マリック
脚本:テレンス・マリック
撮影:イェルク・ヴィトマー
出演:アウグスト・ディール、ヴァレリー・パフナー、マリア・シモントビアス・モレッティ、ブルーノ・ガンツ、マティアス・スーナールツ、カリン・ノイハウザー、ウルリッヒ・マテス