NYに住むコメディアン、アルビー・シンガー(ウッデイ・アレン)はアニー・ホール(ダイアン・キートン)と出会い、まもなく二人は恋仲になる。アルビーは40歳過ぎのブルックリン育ちのユダヤ人で、悲観的な人生観をもっている。アニーは明るくて、ファッションセンスがよく、プロの歌手を目指している。二人はテニス場で意気投合し、同棲するようになるが、次第に互いの生活スタイルや家庭環境の相違点が浮かび上がってくる。二人とも他にも恋人ができるようになるが、それでもまた元の鞘に収まっていた。ところがハリウッドのレコード・プロデューサーがカリフォルニアへ来ないかと誘うと、アニーはアルビーの反対を押し切ってロサンゼルスに移住してしまった。アルビーは寂しさに耐えられなくなって迎えに行くが、アニーはNYへ戻らなかった。
アルビーは「死」が強迫観念になっていて、15年間精神科医に通っている。神経質で皮肉屋で、2度の離婚歴があり、カリフォルニアに行くとロサンゼルス病にかかってしまう。NYにしか住めないユダヤ人だ。スタンダップコメディアンで、収入はそれなりにありそうだ。アニーはブルーミングデールズ(高級百貨店)で買物をするのが大好きで、セックスの前になると不安になりマリファナを使う。ドラッグを常用していて、アルビーとの関係が行き詰まると、彼に促されて精神科を受診した。
たぶん70~80年代のNYアップタウンに住む人たちにとっては、ブルーミングデールズで買物をすることや精神科医にかかること、離婚歴があることは一つのスティタスだったのだろう。ここで描かれているのはセレブな都会派知識人の日常で、この映画はニューヨーカーの生活スタイルを切り取ったものではないかと思う。
恋愛を描いてはいるが、昔の恋愛映画のように愛の障壁があるわけでもなく、戦争や事故や病気で二人が引き裂かれるという悲劇もない。あるのは生き方の違いが顕著になり、夢を追うためにパートナーと別れた女性と、その女性のことをいつまでも忘れられない男性の話だ。別れた後にNYの映画館の前で偶然再会するが、その時には互いに恋人がいた。アニーが今の恋人を引っ張って『悲しみと哀れみ』(69)(かつてアルビーが見ようと誘い、アニーに断られた映画)を見に行こうとしているのを見て、アルビーは心の中で密かに「勝った」とほくそ笑む。後日、ランチを一緒にした時、アルビーはアニーの素晴らしさを改めて認識し、アニーと過ごした楽しい日々を回顧する。別れても友だちとして付き合うのは、理想的な恋愛の終わり方で、これも都会人の洗練されたライフスタイルなのかなと想像する。
この映画にはさまざまな映画技法が使われている。観客に向かって話しかけたり、画面を分割して対照的なものを写したり、登場人物の心理を字幕で表したり、アニーの体から心だけが離脱したり、有名人を実名で登場させたり(マクルーハンやトルーマン・カポーティ)・・・観客に向かって話したり、有名人を実名で登場させるのはジャン=リュック・ゴダールがよく使う技法で、必ずしも新しいというわけではないが、ウディ・アレンはこうした技法を使ってアルビーとアニーの心のすれ違いをうまく表現している。
アルビーはアニーとの体験をもとに芝居を作った。そこではアニー役の女優は最後にアルビー役の俳優とよりを戻すという、現実とは正反対の結末になっている。アルビーの願望なのか、妄想なのか。せめて芸術の上だけでも、理想的に事が運ぶように思ったとアルビーは語っているが・・・
映画のラストでアルビーは小話を披露する。
<小話>
精神科医に男が「弟は自分がメンドリだと思い込んでいます」と言うと、
医師は「入院させなさい」、男は「でも卵は欲しいのでね」
<アルビーの話>
男と女の関係もこの話に似ています。およそ男女関係は非理性的で、不合理なことばかり。それでもつきあうのは卵が欲しいからでしょう。
卵は何を意味しているのだろう。自分をメンドリだと思い込んでいる弟が産むものだから、たぶん幻想、妄想、想像、錯誤、誤解、思い込み、勘違いetc.・・・恋愛は良い意味でも悪い意味でも幻想や妄想を生み、錯誤や勘違いによって成り立っていると言いたいのだろうか。そう言えば、ウディ・アレンには恋愛妄想をテーマとした作品が多いような気がする。
最後に面白い話をひとつ。『ボギー!俺も男だ』(72)という映画がある。ウディ・アレンが制作した舞台劇を映画化したロマンティック・コメディで、『カサブランカ』(42)のパロディと言われている。この映画の原題である“Play it Again、Sam”は、『カサブランカ』の中でイングリット・バーグマンがピア二ストのサムに「思い出の曲をもう一度弾いて」と頼むセリフに由来すると言われている。ところが実際には『カサブランカ』の中に“Play it Again、Sam”というセリフは見当たらない。ずいぶん昔、アメリカ人の友人が『カサブランカ』を目を皿のようにして見たが、そんなセリフはなかったと興奮気味に語っていたのを思い出す。映画のタイトルになっているぐらいだから、みんなあるはずだと思っていた。
実際には“Play it, Sam. Play <As Time Goes By>” 「あれを弾いて、サム。『時の過ぎ行くままに』を」と言っているようで、原題とは微妙に異なる。作り手にまんまと思い込まされていたようだ。ウディ・アレンのいう恋愛もおそらくこんな幸福に満ちた勘違いのようなものなのだろう。(KOICHI)
原題:Annie Hall
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン マーシャル・ブリックマン
撮影:ゴードン・ウィルス
出演:ウディ・アレン ダイアン・キートン
アルビーは「死」が強迫観念になっていて、15年間精神科医に通っている。神経質で皮肉屋で、2度の離婚歴があり、カリフォルニアに行くとロサンゼルス病にかかってしまう。NYにしか住めないユダヤ人だ。スタンダップコメディアンで、収入はそれなりにありそうだ。アニーはブルーミングデールズ(高級百貨店)で買物をするのが大好きで、セックスの前になると不安になりマリファナを使う。ドラッグを常用していて、アルビーとの関係が行き詰まると、彼に促されて精神科を受診した。
たぶん70~80年代のNYアップタウンに住む人たちにとっては、ブルーミングデールズで買物をすることや精神科医にかかること、離婚歴があることは一つのスティタスだったのだろう。ここで描かれているのはセレブな都会派知識人の日常で、この映画はニューヨーカーの生活スタイルを切り取ったものではないかと思う。
恋愛を描いてはいるが、昔の恋愛映画のように愛の障壁があるわけでもなく、戦争や事故や病気で二人が引き裂かれるという悲劇もない。あるのは生き方の違いが顕著になり、夢を追うためにパートナーと別れた女性と、その女性のことをいつまでも忘れられない男性の話だ。別れた後にNYの映画館の前で偶然再会するが、その時には互いに恋人がいた。アニーが今の恋人を引っ張って『悲しみと哀れみ』(69)(かつてアルビーが見ようと誘い、アニーに断られた映画)を見に行こうとしているのを見て、アルビーは心の中で密かに「勝った」とほくそ笑む。後日、ランチを一緒にした時、アルビーはアニーの素晴らしさを改めて認識し、アニーと過ごした楽しい日々を回顧する。別れても友だちとして付き合うのは、理想的な恋愛の終わり方で、これも都会人の洗練されたライフスタイルなのかなと想像する。
この映画にはさまざまな映画技法が使われている。観客に向かって話しかけたり、画面を分割して対照的なものを写したり、登場人物の心理を字幕で表したり、アニーの体から心だけが離脱したり、有名人を実名で登場させたり(マクルーハンやトルーマン・カポーティ)・・・観客に向かって話したり、有名人を実名で登場させるのはジャン=リュック・ゴダールがよく使う技法で、必ずしも新しいというわけではないが、ウディ・アレンはこうした技法を使ってアルビーとアニーの心のすれ違いをうまく表現している。
アルビーはアニーとの体験をもとに芝居を作った。そこではアニー役の女優は最後にアルビー役の俳優とよりを戻すという、現実とは正反対の結末になっている。アルビーの願望なのか、妄想なのか。せめて芸術の上だけでも、理想的に事が運ぶように思ったとアルビーは語っているが・・・
映画のラストでアルビーは小話を披露する。
<小話>
精神科医に男が「弟は自分がメンドリだと思い込んでいます」と言うと、
医師は「入院させなさい」、男は「でも卵は欲しいのでね」
<アルビーの話>
男と女の関係もこの話に似ています。およそ男女関係は非理性的で、不合理なことばかり。それでもつきあうのは卵が欲しいからでしょう。
卵は何を意味しているのだろう。自分をメンドリだと思い込んでいる弟が産むものだから、たぶん幻想、妄想、想像、錯誤、誤解、思い込み、勘違いetc.・・・恋愛は良い意味でも悪い意味でも幻想や妄想を生み、錯誤や勘違いによって成り立っていると言いたいのだろうか。そう言えば、ウディ・アレンには恋愛妄想をテーマとした作品が多いような気がする。
最後に面白い話をひとつ。『ボギー!俺も男だ』(72)という映画がある。ウディ・アレンが制作した舞台劇を映画化したロマンティック・コメディで、『カサブランカ』(42)のパロディと言われている。この映画の原題である“Play it Again、Sam”は、『カサブランカ』の中でイングリット・バーグマンがピア二ストのサムに「思い出の曲をもう一度弾いて」と頼むセリフに由来すると言われている。ところが実際には『カサブランカ』の中に“Play it Again、Sam”というセリフは見当たらない。ずいぶん昔、アメリカ人の友人が『カサブランカ』を目を皿のようにして見たが、そんなセリフはなかったと興奮気味に語っていたのを思い出す。映画のタイトルになっているぐらいだから、みんなあるはずだと思っていた。
実際には“Play it, Sam. Play <As Time Goes By>” 「あれを弾いて、サム。『時の過ぎ行くままに』を」と言っているようで、原題とは微妙に異なる。作り手にまんまと思い込まされていたようだ。ウディ・アレンのいう恋愛もおそらくこんな幸福に満ちた勘違いのようなものなのだろう。(KOICHI)
原題:Annie Hall
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン マーシャル・ブリックマン
撮影:ゴードン・ウィルス
出演:ウディ・アレン ダイアン・キートン