江戸時代幕末期は侍社会では大きな変動期だが、江戸の町の庶民の暮らしはいたって変わらない。
長屋も侍屋敷でも雨が続くと肥溜めがあふれ、地面はずぶずぶ。悪臭が立ち込める。そんな肥溜めから下肥を買い取り、船で近在の農家に運んで換金するおわい屋を営む矢亮(池松壮亮)。クズ紙集めを生業にしている中次(筧一郎)と雨宿りをしているところに、浪人の娘で、お寺で子どもたちに字を教えているおきく(黒木華)が行き会わせる。おきくは中次をひそかに慕っている。身なりも臭いもきつい矢亮には遠慮がない言葉をかけるが矢亮は気にもかけていない。
仕事の相棒を失った矢亮は中次を仕事に引き入れ、中次が長屋の回収を担当することになる。ある日、おきくの父源兵衛(佐藤浩市)が厠に入っているところへ中次が糞尿の回収をしに行くと、源兵衛が用を足しながら中次に語りかけてくる。
「せかいという言葉を知っているか?」せかいとは端っこがない。こんなセリフだったかと思う。「いつか好きなおなごができたら、せかいで一番好きだと言ってやれ」
佐藤浩市と父三国廉太郎もあまり似ていなかったが、筧一郎とも親子と言われなければ気づかない。役こそ父と息子ではなかったが、この親子初共演は大事な神髄を父から次世代に伝えているシーンでもあった。
黒木華がとにかく可愛い!時代劇にはぴったり。
声を失うまでのおきくは、「もう武家の娘ではない」からと、遠慮なく汚い言葉もポンポン口にする、なんの遠慮があろうものかという、気風の良さを感じさせてくれる。
父の巻き添えで喉を切られ、父も声も失った大きな喪失の日々、長屋の住民たちのいたわりの声も届かない。中次(筧一郎)がクズ紙を届けてくれたのにはようやく顔を出すがまだ立ち直れない。ようやく、寺で文字を教えていた子どもたちと住職(真木蔵人)の言葉に動き出す事ができた。
美しい文字で手本を書きながら、おもわず「ちゅうじ」の名前を書いてしまって、ひっくり返ってじたばたと照れる姿の可愛さには涙がにじんだ。
中次のために作ったおにぎりを馬に蹴飛ばされて地面に散らばったのを丹念に拾い上げる。
身分の差も何も関係ない、声に出せなくても中次に思いを伝えるおきくのひたむきさがとても美しい。
おわい屋を営む矢亮(池松壮亮)のプライドの高さは見事。侍屋敷で、鬱屈した下っ端侍の理不尽な仕打ちにも、へこたれない。痛々しい姿なのだが、「俺たちが世の中の底辺を支えて、廻しているんだ!」という仕事に対する誇りにあふれている。ばらまかれた汚物も素手でかき集める。だって大事な商品なのだから。これを農家に届けない事には商売にならないし、作物も実らず、みんなが食べるものに困ってしまう。天秤棒の担ぎ方が本当にうまい。
「ここ、笑うところだよ」と、自嘲ぎみでなく、自分を鼓舞しながら、真理をつくセリフの数々。まさに哲学だ。
中世ヨーロッパでは汚物は市街地にばらまかれるだけ。きらびやかな宮中にだってトイレはなかったという。それに比べて、江戸時代の日本の循環型社会機構はすばらしいではないか。
ラストの若者3人が笑いこけながら走っていく姿はとても清々しい。
モノクロで助かった!時折挟まれるカラーシーンがまぶしい。
モノクロ映像だから耐えられるシーン、役者さんの演技力で十二分に想像してしまうくらい、臭いまで再現できてるわ
(アロママ)
監督:阪本順治
脚本:阪本順治
撮影:笠松則通
出演:黒木華、寛一郎、池松壮亮、佐藤浩市