閉じられた空間で何者かによってひとり、ふたりと殺されて行くパターンはアガサ・クリスティの秀作ミステリ「そして誰もいなくなった」が初期の模範といってよいが、映画においては、たとえば「ハロウィーン」(78年)とか「エイリアン」(79年)はそのバリエーションの代表作だろう。実のところ、私はこういう設定が大好きと来ている。
この映画はそういう意味できわめて正統的な「閉じられた空間における連続殺人」パターンを継承している。ニューヨーク発ロンドン行きの国際線の飛行機の中で、搭乗している連邦航空保安官ビル(リーアム・ニーソン)に対して何者かが巨額の身代金を要求し、応じなければ20分にひとりずつ乗客を殺して行くと、メールで脅迫するのだ。機長も地上にいる保安官の上司も悪戯だといって取り合わない。ところが、同じく乗り合わせていた航空保安官が紛らわしい敵対行動をとったため、ビルは反撃して殺してしまう。犯人からメールが届いて「そらいったとおりだろう」とほくそ笑んでいるのである。犯人は必ずこの150人の乗客の中にいるはずだ。そのうち機長までが謎の死を遂げるに及んで事態は深刻化する。おまけに犯人が指定してきた身代金の振込口座が実はビルの名義だと判明し、地上では連邦航空保安官が乗員乗客を人質にとって身代金要求のハイジャックを犯したとメディアが騒ぎ立てている。
というわけで、地上も機内も敵に回して、味方は臨席に乗り合わせた女性(ジュリアン・ムーア)とスチュワーデス(ミシェル・ドッカリー)だけというビルの孤軍奮闘が始まる。そうして、第三の殺人が発生したあと、今度は機内のどこかに時限爆弾が仕掛けられていることがわかってからは、犯人捜しと爆弾除去のデッドタイムものとなって、まさにノン・ストップ(原題)ムービーとして突っ走るのである。機内という密室の中で繰り広げられる群衆劇として、よくできている。 (ken)
原題:Non-Stop
監督:ジャウマ・コレット・セラ
脚本:ジョン・W・リチャードソン、クリス・ローチ、ライアン・イングル
撮影:フラビオ・ラビアーノ
出演:リーアム・ニーソン、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ドッカリー、スクート・マクネイリー、ネイト・パーカー、コリー・ストール
この映画はそういう意味できわめて正統的な「閉じられた空間における連続殺人」パターンを継承している。ニューヨーク発ロンドン行きの国際線の飛行機の中で、搭乗している連邦航空保安官ビル(リーアム・ニーソン)に対して何者かが巨額の身代金を要求し、応じなければ20分にひとりずつ乗客を殺して行くと、メールで脅迫するのだ。機長も地上にいる保安官の上司も悪戯だといって取り合わない。ところが、同じく乗り合わせていた航空保安官が紛らわしい敵対行動をとったため、ビルは反撃して殺してしまう。犯人からメールが届いて「そらいったとおりだろう」とほくそ笑んでいるのである。犯人は必ずこの150人の乗客の中にいるはずだ。そのうち機長までが謎の死を遂げるに及んで事態は深刻化する。おまけに犯人が指定してきた身代金の振込口座が実はビルの名義だと判明し、地上では連邦航空保安官が乗員乗客を人質にとって身代金要求のハイジャックを犯したとメディアが騒ぎ立てている。
というわけで、地上も機内も敵に回して、味方は臨席に乗り合わせた女性(ジュリアン・ムーア)とスチュワーデス(ミシェル・ドッカリー)だけというビルの孤軍奮闘が始まる。そうして、第三の殺人が発生したあと、今度は機内のどこかに時限爆弾が仕掛けられていることがわかってからは、犯人捜しと爆弾除去のデッドタイムものとなって、まさにノン・ストップ(原題)ムービーとして突っ走るのである。機内という密室の中で繰り広げられる群衆劇として、よくできている。 (ken)
原題:Non-Stop
監督:ジャウマ・コレット・セラ
脚本:ジョン・W・リチャードソン、クリス・ローチ、ライアン・イングル
撮影:フラビオ・ラビアーノ
出演:リーアム・ニーソン、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ドッカリー、スクート・マクネイリー、ネイト・パーカー、コリー・ストール