シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「フライト・ゲーム」(2014年英米仏加合作)

2014年09月21日 | 映画の感想・批評
 閉じられた空間で何者かによってひとり、ふたりと殺されて行くパターンはアガサ・クリスティの秀作ミステリ「そして誰もいなくなった」が初期の模範といってよいが、映画においては、たとえば「ハロウィーン」(78年)とか「エイリアン」(79年)はそのバリエーションの代表作だろう。実のところ、私はこういう設定が大好きと来ている。
 この映画はそういう意味できわめて正統的な「閉じられた空間における連続殺人」パターンを継承している。ニューヨーク発ロンドン行きの国際線の飛行機の中で、搭乗している連邦航空保安官ビル(リーアム・ニーソン)に対して何者かが巨額の身代金を要求し、応じなければ20分にひとりずつ乗客を殺して行くと、メールで脅迫するのだ。機長も地上にいる保安官の上司も悪戯だといって取り合わない。ところが、同じく乗り合わせていた航空保安官が紛らわしい敵対行動をとったため、ビルは反撃して殺してしまう。犯人からメールが届いて「そらいったとおりだろう」とほくそ笑んでいるのである。犯人は必ずこの150人の乗客の中にいるはずだ。そのうち機長までが謎の死を遂げるに及んで事態は深刻化する。おまけに犯人が指定してきた身代金の振込口座が実はビルの名義だと判明し、地上では連邦航空保安官が乗員乗客を人質にとって身代金要求のハイジャックを犯したとメディアが騒ぎ立てている。
 というわけで、地上も機内も敵に回して、味方は臨席に乗り合わせた女性(ジュリアン・ムーア)とスチュワーデス(ミシェル・ドッカリー)だけというビルの孤軍奮闘が始まる。そうして、第三の殺人が発生したあと、今度は機内のどこかに時限爆弾が仕掛けられていることがわかってからは、犯人捜しと爆弾除去のデッドタイムものとなって、まさにノン・ストップ(原題)ムービーとして突っ走るのである。機内という密室の中で繰り広げられる群衆劇として、よくできている。 (ken)

原題:Non-Stop
監督:ジャウマ・コレット・セラ
脚本:ジョン・W・リチャードソン、クリス・ローチ、ライアン・イングル
撮影:フラビオ・ラビアーノ
出演:リーアム・ニーソン、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ドッカリー、スクート・マクネイリー、ネイト・パーカー、コリー・ストール

「LUCY/ルーシー」 (2014年 フランス・台湾・アメリカ合作)

2014年09月11日 | 映画の感想・批評


 「レオン」でナタリー・ポートマンを発掘し、「ジャンヌ・ダルク」ではミラ・ジョヴォヴィッチの魅力を引き出したリュック・ベッソン監督が「自分の手で彼女たちを輝かせたい」と今回起用したのは、今が旬のスカーレット・ヨハンソン。闘うヒロインを描いた新たな感覚のSFアクション大作がまた一つ誕生した。
 人間の脳はいまだ解明されていないことも多く謎に包まれていて、普段はその能力の10%ほどしか機能していないらしい。もしその脳が100%覚醒したらどうなるか?!冒頭の、一つの細胞が時間とともにどんどん分裂していく場面から、見る者はベッソンが考え出した世界にぐいぐいと引き込まれていく。
 ベッソンは地球の多様性、異質な文化の融合も一つのテーマにしているようだ。その一つがバラエティに富んだキャスト。ルーシーを混乱の状況に追い込むマフィアのボスに韓国出身のチェ・ミンシク。ルーシーをサポートする脳科学者にはアフリカン・アメリカンのモーガン・フリーマン。そしてルーシーを守る刑事にエジプト出身のアムール・ワケドが演じている。舞台の設定も面白く、韓国マフィアが登場するのはソウルではなく台北。フリーマンやワケドの活躍の場はベッソンの出身地フランスのパリだ。この二つの街の雰囲気がまたいい。
 常識だと少々辻褄が合わない所もあるが、これもベッソンが脳を12%(?)覚醒させて生み出した世界だと考えれば楽しい。そこに米ILMの協力による視覚効果と特撮が加わって、想像をはるかに超えた世界が次々現れる。
 「E.T.」や「2001年宇宙の旅」など、往年の名作を思い出させるシーンはご愛嬌。ベッソンも根っからのSFファンだったんだね、きっと。
 (HIRO)
 
監督:リュック・ベッソン
脚本:リュック・ベッソン
撮影:ティエリー・アルボガスト
出演:スカーレット・ヨハンソン、モーガン・フリーマン、チェ・ミンシク、アムール・ワケド

めぐり逢わせのお弁当(2013年 インド・フランス・ドイツ)

2014年09月01日 | 映画の感想・批評
 夫と子どもを送り出した後、イラはスパイスなどをあれこれ工夫しながら夫の弁当を作り始める。最近夫は仕事から疲れて帰ってき、夫婦の間には会話もスキンシップもなくなってしまった。そんな夫の愛情を取り戻そうとイラは腕をふるっているのである。
 それにしても夫が出掛けてしまってからお昼の弁当作りなんて悠長な、と思っていたらインドのムンバイには、家庭で作られた昼食を集めに来て、自転車・列車などに積み込んで依頼先に配り、カラになった弁当箱を回収して家庭に返すダッバーワーラーとい弁当配達人がいるのだ。絶対間違うはずがない(とは思えないのだが…)と自信満々のダッバーワーラーの600万分の1の間違いで、イラのお弁当は夫ではなく全く知らない男サージャンのところへ届けられてしまったのだ。
 数年前に妻を亡くし早期退職を控えて味気ない生活を送っていたサージャンと、夫の浮気を疑いながらも家族の再生を願うイラ。見ず知らずの二人は弁当箱に、それぞれの近況や思い、悩みを綴った手紙を忍ばせる。まるでラブレターを読むように、毎日弁当箱に入った手紙を待つのが楽しみになってくる。
 電子メールなどの規格化された活字と違い、便箋(そのうち死語になりそう…)に綴られた文字やその文章には書いた人の人柄が表れる。会ったことのない相手だが、手紙の中の言葉が心に響く。「人はたとえ間違った電車に乗ったとしても、正しい場所へと導かれる。」 二人のこれまでの人生が「間違った電車」に乗っていたかどうかは分からないが、正しい場所にたどりつくための一歩を踏み出す決意をするのか。喧騒につつまれ、エネルギーに満ち溢れるムンバイで、イラとサージャンは出会うのか。ラストは映画を見た観客がそれぞれの思いを込めて描くことになる。(久)

原題:Dabba
監督:リテーシュ・バトラ
脚本:リテーシュ・バトラ
撮影:マイケル・シモンズ
出演:イルファーン・カーン、ニムラト・カウル、ナワーズッディーン・シッディーキー