今泉力哉監督のロマンティック・コメディ。前作「愛がなんだ」では愛する男と自己同一化をしようとする女の狂気を描いていたが、今回の作品では個性的なキャラクターは登場せず、ありふれた人間のゆるい恋愛がテーマとなっている。
マーケットリサーチ会社に勤める佐藤(三浦春馬)は、就職活動中の紗希(多部未華子)に街頭アンケートに答えてもらった。後日、偶然に紗希の姿を見つけた佐藤は再び紗希に声を掛ける。やがて二人は愛し合うようになり同棲を始めるが、優柔不断な佐藤はなかなかプロポーズができない。物語は二人の恋愛を中心に、ヘビー級ボクサーと美容師、佐藤の友人夫妻、友人夫妻の娘・美緒(恒松祐里)、佐藤の上司、ボクサーといじめられっ子etc…の恋愛、家族愛、友情が盛りだくさんに描かれている。
この作品のポイントは2部構成になっているところで、前半と後半に10年という歳月が流れている。後半に突然登場する女子高生が最初は誰だがわからないが、やがてそれが美緒の成長した今であることわかる。ボクサーを応援する青年が、昔いじめられっ子だった少年であることが見えてくる。この人は10年前の誰それではないかと想像するのは楽しいが、作品として見た場合に10年という時間を生かしきれていない気がする。時間の経過というのは謎めいたものであり、変化こそ好奇心を掻きたてるものなのに、観客を驚かせるような意外性はあまり感じられない。
監督が10年という長い年月を挿入したのは、美緒が恋愛のプレーヤーになるのを待っていたからではないか。佐藤は美緒に彼女の両親のなれそめを語るうちに、佐藤自身が出会いの大切さに目覚めてしまう。紗希との出会いがかけがえのないものであることに気づいた佐藤は、初めて心の底から紗希を失いたくないと思う。つまり佐藤と紗希がゴールインするためには、美緒が成長するための10年が必要であったのだ。
ちなみにロマンティック・コメディ(ラブ・コメディは和製英語)はエルンスト・ルビッチの「結婚哲学」(24)に始まるのではないかと筆者は考えている。サイレント時代のラブ・ロマンスは恋愛を真摯に描くものが多く、コメディは喜劇役者によるスラップスティック・コメディが中心であった。恋愛の機微や男女の心理、三角関係をコミカルに描き、恋愛そのものを笑いの対象としたのは「結婚哲学」が最初ではないか。それまでにも恋愛映画風のコメディはあったが、あくまでもドタバタが中心であり、恋愛を掘り下げて描くものではなかった。ルビッチは都会的で洗練されたソフィスティケイテッド・コメディを開拓したが、この手法をチャプリンの「巴里の女性」(23)(コメディではない)から学んだと言われている。やがてトーキーの時代が来るとソフィスティケイテッド・コメディの中からスクリューボール・コメディが登場し、現在のロマンティック・コメディへとつながっていく。「巴里の女性」と「結婚哲学」が直接間接に後世の映画作家に与えた影響は測り知れず、今日まで世界中のあらゆるところで量産されてきたロマンティック・コメディの原点はこんなところにある。(KOICHI)
原題:アイネクライネナハトムジーク
監督:今泉力哉
脚本:鈴木謙一
撮影:月永雄太
出演:三浦春馬 多部未華子 恒松祐里
マーケットリサーチ会社に勤める佐藤(三浦春馬)は、就職活動中の紗希(多部未華子)に街頭アンケートに答えてもらった。後日、偶然に紗希の姿を見つけた佐藤は再び紗希に声を掛ける。やがて二人は愛し合うようになり同棲を始めるが、優柔不断な佐藤はなかなかプロポーズができない。物語は二人の恋愛を中心に、ヘビー級ボクサーと美容師、佐藤の友人夫妻、友人夫妻の娘・美緒(恒松祐里)、佐藤の上司、ボクサーといじめられっ子etc…の恋愛、家族愛、友情が盛りだくさんに描かれている。
この作品のポイントは2部構成になっているところで、前半と後半に10年という歳月が流れている。後半に突然登場する女子高生が最初は誰だがわからないが、やがてそれが美緒の成長した今であることわかる。ボクサーを応援する青年が、昔いじめられっ子だった少年であることが見えてくる。この人は10年前の誰それではないかと想像するのは楽しいが、作品として見た場合に10年という時間を生かしきれていない気がする。時間の経過というのは謎めいたものであり、変化こそ好奇心を掻きたてるものなのに、観客を驚かせるような意外性はあまり感じられない。
監督が10年という長い年月を挿入したのは、美緒が恋愛のプレーヤーになるのを待っていたからではないか。佐藤は美緒に彼女の両親のなれそめを語るうちに、佐藤自身が出会いの大切さに目覚めてしまう。紗希との出会いがかけがえのないものであることに気づいた佐藤は、初めて心の底から紗希を失いたくないと思う。つまり佐藤と紗希がゴールインするためには、美緒が成長するための10年が必要であったのだ。
ちなみにロマンティック・コメディ(ラブ・コメディは和製英語)はエルンスト・ルビッチの「結婚哲学」(24)に始まるのではないかと筆者は考えている。サイレント時代のラブ・ロマンスは恋愛を真摯に描くものが多く、コメディは喜劇役者によるスラップスティック・コメディが中心であった。恋愛の機微や男女の心理、三角関係をコミカルに描き、恋愛そのものを笑いの対象としたのは「結婚哲学」が最初ではないか。それまでにも恋愛映画風のコメディはあったが、あくまでもドタバタが中心であり、恋愛を掘り下げて描くものではなかった。ルビッチは都会的で洗練されたソフィスティケイテッド・コメディを開拓したが、この手法をチャプリンの「巴里の女性」(23)(コメディではない)から学んだと言われている。やがてトーキーの時代が来るとソフィスティケイテッド・コメディの中からスクリューボール・コメディが登場し、現在のロマンティック・コメディへとつながっていく。「巴里の女性」と「結婚哲学」が直接間接に後世の映画作家に与えた影響は測り知れず、今日まで世界中のあらゆるところで量産されてきたロマンティック・コメディの原点はこんなところにある。(KOICHI)
原題:アイネクライネナハトムジーク
監督:今泉力哉
脚本:鈴木謙一
撮影:月永雄太
出演:三浦春馬 多部未華子 恒松祐里