シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ケイン号の叛乱」(1954年 アメリカ)

2021年02月24日 | 映画の感想・批評


 エドワード・ドミトリク監督は所謂ハリウッド・テンのひとりで、赤狩りの標的となって収監された。その後転向して、ジュールス・ダッシン(ギリシャに逃れる)を密告するという「裏切り」のレッテルを貼られた苦い体験をもつ。
 そのかれを社会派の名プロデューサー、スタンリー・クレイマーが起用して製作したのが、ピュリッツアー賞受賞の原作を映画化したこの映画である。
 主演に絶頂のハンフリー・ボガートを迎え、その脇には主演級の大物俳優を配した布陣である。同年に「麗しのサブリナ」でオードリー・ヘプバーンをエスコートしたボギーが、この映画では一転卑劣、卑怯極まりない怯懦な戦艦の艦長を演じる。この人はこういう役をやらせると乗りに乗ってきて、天下の大スターがよく引き受けたというような汚れ役を楽しそうに演じている。
 ときは太平洋戦争のただ中。一流大学出のエリート将校キースが配属された戦艦ケイン号の艦長デヴリースは一見だらしなくて鷹揚で、キースにはそれが気にくわない。異動で艦長が交代することになりキースは喜ぶが、他の将校や兵士たちは名残惜しそうだ。不思議に思うキースに先輩将校はいう、「それがわかれば君も一人前だ」と。
 新たに赴任してきたクイーク艦長は前艦長とは対照的なタイプで、規律を重んじ、厳格・完璧主義。これぞ海軍だ、とキースは好感を抱く。ところが、どうも様子が違ってくる。些細なことで気色ばみ、苛立つ艦長の姿に副長以下の将校や兵士は徐々に距離を置くようになるのだ。たとえば、デザートのイチゴの数が足りない、誰か盗み食いした奴がいると激昂し、大騒ぎになるという按配である。あるいは、自分の不注意で起きたトラブルを部下のせいにする。こういう上司はいるものだ。
 その傾向がやがて度を超してきて、艦長はパラノイアではないかと、キースを含む将校たちが疑いを強めて行く。通信長のキーファー大尉は親友で副長のマリク大尉に軍規に則って艦長を解任し君が指揮をとれと進言する始末だ。
 そうして、運命の日が来る。台風に巻き込まれた戦艦が暴風雨に揉まれてあわや沈没かという危機に際し、ただおろおろする艦長は操舵がなっとらんとわめき散らすだけで、ひたすら軍の命令どおり前進しろといって聞かない。もはやこれまでと決心したマリク副長は軍規を楯に艦長の解任を宣言し、自らが指揮権を奪って無事帰還するのである。
 終盤の軍法会議が見どころだ。私の好きな名脇役E・G・マーシャルが検察官を演じ、反逆罪で訴追されたマリク大尉を追及すれば、弁護人役のホセ・フェラーが丁々発止と渡り合う。証人として出廷したキースは艦長の狂気を証言するが、次に証言台に立ったキーファーは正常だったと証言してマリクを唖然とさせる。このあたりは、かつてダッシンを売った監督自身の心情がにじみ出ているような辛い場面だ。
 最後に証言するクイーク艦長が法廷でも徐々に精神の不安定さを露呈し、その狂気の様が暴かれる見せ場は、何かに取り憑かれたようなボギーの鬼気迫る名演であった。アカデミー賞の最優秀主演男優賞にノミネートされるが、マーロン・ブランドに破れ、主演オスカーの二度受賞はならなかった(因みにボギーはブランドに競り勝って最初のオスカーを手にしている)。秀作である。(健)

原題:The Caine Mutiny
監督:エドワード・ドミトリク
原作:ハーマン・ウォーク
脚色:スタンリー・ロバーツ
撮影: フランツ・プラナー(フランク・プラナー名義)
出演:ハンフリー・ボガート、ホセ・フェラー、ヴァン・ジョンソン、フレッド・マクマレイ、ロバート・フランシス

「ヤクザと家族 The Family」(2021年日本映画)

2021年02月17日 | 映画の感想・批評

 
 2年前の「新聞記者」で映画界を席巻した藤井道人監督が、ヤクザの世界で生きる一人の男を主人公に、ヤクザになる前、なった後、事件を起こし14年の刑期を終えて出所してきた後の3つの時代に分けて、1本の作品に仕上げた。
 主人公の山本を演じるのは綾野剛。これは観るしかない!義理人情の世界、怒号の飛び交うシーンには、「新宿スワン」や「日本で一番悪い奴ら」(警察官役だけど)でもピッタリとはまる綾野剛を観られると思って行ったが、実際はとても深いテーマの映画だった。決して、前述の映画にテーマが無いということではなく、本作品は今の時代に合わせた内容だったということである。
 もちろん、従来のヤクザ映画にあるシーンも満載だが、出所してきた後の山本の生き方に焦点が当てられた作品だと感じた。出所後、久し振りに再会した元同僚は、堅気になって元ヤクザを隠して生きている。行き付けだったお店で食事をしても、何かよそよそしい。入所する前に出会った尾野真千子演じる恋人を探し出すが、最初は、元ヤクザということで会うことを断られる。その後、一緒に暮らすようになるが、綾野剛が元ヤクザで服役していたとSNSで拡散してしまい、尾野真千子が職場を追われることになる。娘も転校を余儀なくされる。山本が戻ってきたことで、一生懸命築いてきたものが一瞬で壊されてしまった。関係していた人がどんどん去っていく。今の現実はそうなのだろう。締め付けを受ける側と、一方で、締め付けをする側でもある、事件を解決しなければならない警察からの立場も作品内で表現され、社会の抱える複雑な面を捉えている。冒頭、舘ひろしが綾野剛と親子の盃を交わすが、最初は、生活の糧が無いものの、自分の父親(設定では、綾野剛の父親は覚醒剤で命を落としていた)のこともあり、組に入ることを躊躇していた。が、舘ひろしの「行く処はあるのか?」の一言に涙するシーンがある。「ヤクザ」はこの時代はダメだけど、大事にする部分もあるのでは?と訴える。それは家族なのでは。血は繋がっていないけど、本当の家族以上の家族。出会った頃に、尾野真千子(ホステス役)が綾野剛に「なんでヤクザやっているのですか?」と尋ね、綾野剛が少し考えて、ボソッと「家族だから」と応える。そう、本作品は、所謂ヤクザ映画ではなく、「家族」をテーマにした映画なのである。だから、副題には「The Family」が付いているのでは。
更に、磯村隼人演じる「半グレ」も現代の社会問題の一つである。活動が大きくなり、寺島しのぶ演じる母親が心配するシーンがある。ここには血が繋がった「家族」があった。
 世の中、綺麗事だけでは生きられない。親子の関係、時代の変化、世間からの目、現在の社会問題等々、多方面の要素を織り交ぜ、素晴らしい脚本になっていたと思う。    
 豪華俳優陣で一つ一つのエピソードも重いので、もっと長尺でも良かったかも。引っ越ししなければならなくなった尾野真千子が、これまで耐えて耐えて頑張ってきたことが、好きな人に壊された無念さや今後の不安とが混じって流す一粒の涙や、ラストの綾野剛と市原隼との絡みもとても印象的で、記憶に鮮明に残っている。
(kenya)

監督・脚本:藤井道人
撮影:今村圭佑
出演:綾野剛、舘ひろし、尾野真千子、北村有起哉、市原隼人、磯村勇斗、康すおん、二ノ宮隆太郎、駿河太郎、岩松了、豊原功補、寺島しのぶ他

「花束みたいな恋をした」(2021年 日本映画)

2021年02月10日 | 映画の感想・批評
 花束みたいな恋をした。このタイトルを目にしたとき、人は一生のうちに何度花束を受けとるだろうと考えてみた。花束を受けとったときの胸の衝撃、その後に感じる心地よい一体感、そして花の香につつまれる幸福感。それを何度味わえるだろうか・・・。
 大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、東京の京王線明大前駅で、終電を逃したことから偶然に出会う。好きな本や音楽、映画がことごとく一緒で、あっという間に恋に落ちる。卒業後に、それぞれの親の反対がありながらも同棲を始め、就職活動を続ける。簿記の資格を取った絹が先に就職を決め、麦も好きなイラストを諦め営業の仕事に就く。こうして二人の共同生活は続いていく。
 麦と絹。一文字で男女の区別がつきにくい平成の名前の特徴だが、ジェンダーレスなのはいい。菅田将暉主演の前作「糸」でも、主演の二人は漣と葵だった。物語はそれぞれのモノローグで始まり進んでいく。臨場感があり効果的だ。二人でミイラ展に行き、アキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」を観る。近所にお気に入りのパン屋をみつけ、拾った黒猫に二人で名前をつける。いさかいもなく、キラキラした日々は続く。
 脚本は坂元裕二。19才で第1回フジテレビシナリオ大賞を受賞してデビュー。数々のヒット作を生みだしてきた、今の日本を代表する脚本家の一人だ。ちなみに関西出身。今回は特定のSNSを脚本に織りこんだと聞く。土井裕泰監督とはドラマ「カルテット」で組み、映画では初タッグとなる。
 この作品には、恋愛ものにありがちな恋のライバルも、難病も事故も、家族関係のしがらみも、相談と称して口を挟む友人も出てこない。それなのに、二人のキラキラはゆっくりと確実に失われていく。その過程が静かに丁寧に描かれている。
海辺で二人が戯れるシーンに麦のモノローグが重なる。「はじまりは、おわりのはじまり」。このシーンは印象的で心に残る。
 麦が絹にむかって言う「僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持です」の言葉は、二人の未来を象徴的に語っている。やがて結婚を口にすることで、麦は従来の男と女の関係性に搦めとられてしまう。別れ話に修羅場はなく、二人はファミレスのテーブルをはさんで静かに思いを語り、別れていく。出会いから5年が経過していた。
 エンドロールで流れる大友良英の軽快な音楽が、座席に沈みこんでいた気分を、ほんの少し和らげてくれる。
 花束がやがてドライフラワーとなり、部屋の一角に慎ましやかに置かれている、そんな風景を心の内に秘めている人におすすめの作品である。 (春雷)

監督:土井裕泰
脚本:坂元裕二
撮影:鎌苅洋一
出演:菅田将暉、有村架純、清原果耶、細田佳央太、オダギリジョー、戸田恵子、岩松了、小林薫

「朝が来る」 (2020年 日本映画)

2021年02月03日 | 映画の感想・批評


 少子化の問題が、コロナ禍で一層深刻さを増していると聞く。思ってもいなかった世界が現実となり、これから先、命を授かり育てることに不安を覚え、躊躇する若者が増えているそうで、生涯未婚率も上がる一方。何と20パーセントを超えたという。しかし、やっぱり子どもは宝。家族にとっても、地域にとっても、その未来を担うかけがえのない存在であることにかわりない。そして、子どもがほしくても叶わない親もまた、多数存在するのだ。
 カンヌ映画祭など海外でも輝かしい受賞歴を誇る河瀬直美監督が今回取り組んだのは、直木賞作家・辻村深月さんの小説「朝が来る」の映画化。特別養子縁組を通じて運命が交錯する育ての両親と生みの母親、そして生まれた子どもを通し、それぞれの苦悩とその先の希望を紡いだ、ミステリーを超えた感動作が誕生した。
 主人公の栗原佐都子は、夫・清和と来年から小学生となる息子・朝斗との3人暮らし。湾岸のタワーマンションの上階に住み、誰もがうらやむ生活ぶりなのだが、朝斗は実の子ではない。清和が無精子症で何度か顕微授精を行ったのだがうまくいかず、もう夫婦だけで生きていこうと決めた矢先、旅行先の宿で偶然NPO法人「ベビーバトン」のドキュメンタリー番組を見ることに。そこで「特別養子縁組」という制度があることを知り、「これは親が子どもを探すためではなく、子どもが親を探すための制度」という言葉に動かされ、説明会に参加。血の繋がりに関係なく、上手く家族を築いている人たちに接して、それでは自分たちも役に立てればと養子を迎える決意をする。あれから6年。幼稚園でのトラブルが落ち着き、平穏な日々が戻ったと思ったところに一本の電話がかかってくる。「・・・子どもを返してください」と。朝斗の生みの母親、片倉ひかりからだった。
 河瀬監督といえば自ら8ミリカメラを手に周囲の人や物事を撮ることから映画を始めたドキュメンタリスト。その「らしさ」はこの作品でも随所に見られる。まず、キャストに「役を積む」ことを要求すること。それは登場人物が経験してきたことやこれからするであろうことを、そのままリアルに体験して幾度となく積み重ね、その人物になりきるということらしい。栗原家の永作博美、井浦新、そして子役の佐藤令旺君も、有明のタワマンで日常生活と同じことをして、親子の関係を作り上げたそうだし、ひかりの家族が住んでいるのは河瀬監督の故郷、奈良。そこでも一軒家を借りて共同生活をし、ひかり役の蒔田彩珠は地元の中学校に通って授業を受けたり、部活にも参加したそうだ。役を積み上げ、それぞれの人物になりきった俳優たちの演技が極めて自然で素晴らしいのはここから来ているのだ。極めつけはベビー・バトン。実際にNPO法人の手を借り、劇中の説明会や実母の独白シーンにはすべてリアルな人たちが登場している。リアルだからこそ、その言葉や涙に心を打たれる。これ以上強いものはない。
 ロケーションにもこだわった。河瀬組ではセットを使っての撮影ということはまずない。すべて実際にある場所や建物が使われている。そして美しい自然も最大限に生かした。ひかりが向かったベビーバトンの寮がある広島の似島には、奈良にはない広々とした海があった。そこで見つけた太陽と雲が織りなす圧倒的な光景が、ひかりに新たな決意を生み出す。主題歌がうまく使われているのにも注目したい。「アサトヒカリ」というタイトルには母子3人の名前が入り、劇中で幾度となく母親たちが口ずさむ。何とエンドロールでは朝斗の歌声が聞こえ、そして・・・。河瀬監督流の見事な夜明けは、ここに極まれり!! 
 (HIRO)

監督:河瀬直美
脚本:河瀬直美、高橋泉
原作:辻村深月
撮影:河瀬直美、月永雄太、榊原直記
出演:永作博美、井浦新、蒔田彩珠、浅田美代子、佐藤令旺、中島ひろ子、平原テツ、駒井蓮、田中炊偉登、利重剛