シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「流浪の月」(2022年 日本映画)

2022年05月25日 | 映画の感想・批評


 「執着」を広辞苑でひくと「深く思い込んで忘れられないこと」とある。10歳の家内更紗と19歳の佐伯文はほんの短い間共に暮らしたことを心の糧に、二人にとって容赦のない社会の中で、この執着を決して手放そうとはしなかった。その姿は壮絶だが、限りなく尊い。
 自由な両親のもとに育った更紗(広瀬すず)と厳格な家庭で育児書を教科書にして育てられた文(松坂桃李)。父の死と母の出奔により伯母の家に預けられた更紗は居場所をなくしていた。ある日夕暮れの公園で声をかけてきた大学生、文のアパートについていく。二人の無邪気な暮らしの外で、「小児性愛者の誘拐犯」と「被害女児」と騒がれた二人は固く握りあった手を無理矢理引き離されることになる。
 15年後、更紗はレストランでアルバイトをしながら恋人の亮(横浜流星)と暮らしている。文は風変わりな喫茶店のマスターとして静かに暮らしていた。二人とも子役からのバトンタッチが自然で違和感がない。世間の目という監視のもと用心深く生きてきた更紗を広瀬すずが抑えた演技で凛とした佇まいをみせている。ある日、職場の同僚達と入った喫茶店で文を発見する。注文を聞きにきたマスターの足元、茶色のモカシンの靴と細く長い植物のような指を見ただけで文と確信する。文にも気づかれないように秘かに店に通う更紗だが、やがて亮の更紗への暴力により、二人は急接近することになる。
 原作本は2020年の本屋大賞受賞作。文庫本にもなり広く読まれている。原作本の「事実と真実はちがう」が作品を貫いている。発育不全という身体症状に苦しんできた文。自分のせいで文を犯罪者にしてしまったと苦しむ更紗。二人をとりまく社会には育児放棄や性的虐待、ネット社会の悪意にDV…etcが溢れ、登場人物たちも各々に事情を抱えながら生きていた。更紗と文の関係は恋や愛ではない。まして社会的弱者が肩よせあってという構図では決してない。二人には互いを自らの意思で選ぼうとする人間としての強さがある。そこがこの作品の面白さ、魅力である。
 ロケ地は長野県の松本市。工芸品のお店も多く芸術の薫りのする美しく空気のきれいな地。「パラサイト半地下の家族」のホン・ギョンピョ撮影監督が、この町並を更に美しく魅力的に映像化している。
 作品を観終った時、ある事に気づいた。無意識のうちに原作本の情報を補完しながら観ていたのではないかと。回想シーンが何度も入る。風に揺れるカーテンの描写だけで二人が暮らした文の部屋だとわかるほど、原作を読んでいると抵抗のない構成である。果して原作を読んでいない人にはこの作品はどう受け取られるだろうか、と気になるところではある。
 公開初日に全国306の映画館で舞台挨拶の中継が行われた。この時李相日監督は「原作を読んでこの二人の関係を全面肯定した」と発言。この発言にはもちろん納得だが、監督と意見の合わないことが一つある。高橋一生の文に会いたかった。(春雷)

監督・脚本:李 相日
原作:凪良ゆう
撮影:ホン・ギョンピョ
出演:広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子、白鳥玉季、趣里、三浦貴大、内田也哉子、柄本明

「ツユクサ」(2022年 日本映画)

2022年05月18日 | 映画の感想・批評


 大ヒットした「学校の怪談」の後、「愛を乞うひと」や「閉鎖病棟ーそれぞれの朝-」等で、人生の厳しさ、生きる尊さを描いてきた平山秀幸監督が、10年以上も脚本家の安部照雄氏と共に温めてきた作品が完成した。今回は見終わった後もホッコリ感が持続する大人のためのファンタジー。
 主人公の芙美は海辺の田舎町で一人暮らし。ボディタオルを製造する会社で働き、同僚の直子や妙子、それに直子の息子・航平等、何でも話し合える友達もいる。どういうわけか断酒会にも入っているが、毎日の食事や家事など、平凡だがキチンとした生活ぶりだ。そんな芙美が断酒会の帰り道、車に何かがぶつかり横転してしまうという事故に遭う。どうやら原因は近くに隕石が落ち、その破片が飛んできたようだ。航平が調べてみると隕石に遭遇する確率は何と1億分の1らしい。日本人なら一人か二人ということになる。どれくらいの期間での話なのかわからないが、とにかく奇跡的であることは確かだ。
 そんな芙美にある一つの出会いが。それは、なじみのバーで偶然出くわした篠田という男性だ。ジョギング中に何度か見かけたことがあり、草笛が上手いことは知っていた。友達にも恵まれ、日々楽しく暮らしていると思える芙美だが、時折哀しみの表情が現れることもある。それは、こちらも一人暮らしをしている篠田も同じだったようで・・・。
 芙美を演じるのは小林聡美。その独特の個性と、大林宣彦監督の「転校生」でデビューした時の少女らしさが、40年の時を経ても全然変わっていないところが魅力の一つ。新たな世界に向かって一歩踏み出すヒロイン、芙美ちゃんに応援の拍手!!元歯科医の篠田に松重豊。渋い演技力には定評があるが、今回の憂いのある表情にも、何かありそうだと惹き付けられる。題名にもなっているツユクサを使って草笛が吹けるように何度も練習したそうだが、自分も先日、イチゴ畑の草取りをしていて偶然ツユクサを見つけ、思わず篠田に教えてもらったように吹いてみた。タンポポやカラスノエンドウ、スズメノテッポウ等を使って子どもたちと遊んだことはあるのだが、ツユクサは初めて。ブビーッっと何ともいえない音がした。篠田は死んだ奥さんから吹き方を教えてもらったそうだが、その思ったより低音でもの悲しい響きには、吹いているときの篠田の心情がよく表されていたと、改めて感じてしまった。しかし、このどこにでもありそうな雑草のツユクサが、奇跡の出会いを呼び起こしてくれたのも確かだ。
 全編を貫くノスタルジックな雰囲気もいい。鉄道も通っていない伊豆のロケ地ののどかさ、勤務前のラジオ体操も懐かしいし、篠田が芙美に告白するところでは、子どもたち以上に純情な二人の表情に、自分の青春時代を勝手に重ね合わせたりして・・・。エンドロールを流れる主題歌、中山千夏の「あなたの心に」を聞いてググッとくる人は限られているかもしれないが、そんな世代に新たな勇気と新鮮な空気を運んでくれる、何とも愛おしい作品だ。
(HIRO)

監督:平山秀幸
脚本:安部照雄
撮影:石井浩一
出演:小林聡美、松重豊、平岩紙、江口のりこ、斉藤汰鷹、渋川晴彦、泉谷しげる、ベンガル、瀧川鯉昇、桃月庵白酒




「ふたつの部屋、ふたりの暮らし 」(2019年、フランス、ルクセンブルク、ベルギー)

2022年05月11日 | 映画の感想・批評
南フランスの町、アパルトマンの最上階に、通路を挟んで二つの部屋がある。ほとんどドアを開け放して、お互いの部屋に行き来している、70代の女性たち二人。マドレーヌとニナ。
マドレーヌの誕生日祝いに美容師の娘アンヌと孫息子、亡くなった父を大事に思っている息子フレッドが訪ねてくる。
マドレーヌはこの日、子どもたちに重大決心を話すつもりだったが、とうとう言いそびれてしまう。
隣の部屋のニナはドイツ人の独身女性。

二人は部屋を売ってローマに移住するつもりでいるのだが、マドレーヌはニナには「家族も承諾してくれた」と嘘をついてしまう。
ある日、二人で買い物に出た町で、担当の不動産屋からマドレーヌが売却を迷っていると聞かされたニナはマドレーヌに激怒して、捨て台詞をはいて立ち去る。
その日、マドレーヌの部屋から肉の焦げるにおいが流れてくる。ニナが駆け付けるとマドレーヌが倒れている。脳卒中を起こして救急搬送されたマドレーヌ。それからは病院を訪ねようとしても家族ではないニナは自由に面会もできない。ようやく退院してきたが、言葉と体の自由を失ったマドレーヌには泊まり込みの介護士が付き添い、アパートでも会えない。
ニナはマドレーヌが心配で、あれこれ策をめぐらし世話を焼こうとするが、ことごとく失敗。
当初はニナを親切な隣人と思っていたアンヌだが、異常なニナの行動に不安を感じ、母の病状が悪くなったとして、マドレーヌを療養施設へ送る。

マドレーヌは決して悪化していたわけでなく、言葉には出せないがニナの動きに反応し、やがてニナとともに施設を脱走。
その足取りと表情の生き生きした変化は、おお、がんばれ!と思わず声が出そうになる。

老年期の女性同士の「共に生きたい」がかなえられるのか。社会的には徐々に理解しようという動きは出始めている。
さてさて、家族となると全面的に受け入れられるものなのか。
介護士の仕事の不安定さ、おそらくアジア系の貧困家庭の女性なのだろう。仕事に対するモチベーションにも怪しいものがある。いずこの国も同じだなと感じさせられる。

マドレーヌの娘アンヌは「母の20年前の浮気」の相手が誰だったのか、ようやく気付いたのだろう。父の母に対するDVも知っていたのだ。だから、母の脱走を見て見ぬふりをした。父親が大好きだった息子は、母の苦しみを理解できなかっただろう。

懐かしいメロディに乗せて、ふたりが踊るシーンがある。はじめと終わりに。
その歌がまたいい。「愛のシャリオ」だったようだ。ラストに歌詞がスクリーンに流れる。

   あなたは私と生きるの すばらしい島の上で
   そこから世界を眺めるの 
   青に隠れた世界を 真新しい世界を
   地球には 国境などないのよ 
   地球には 月が幸運をもたらすの 
   ふたりの未来に
   あなたが私を愛するなら 
       Chariot Sul mio carro (パンフレット掲載分より)

会場はほとんどが女性、しかも中高年。いずれ我が身!とばかりに、ニナとマドレーヌの今後を憂いつつも、時限のある自由、だからこそ好きにさせてあげてよと応援したくなる。

冒頭と時折挟まれる、森の中で遊ぶ少女たち。カラスがたくさん不穏な空気を醸し出す。フランスでもやっぱりカラスは嫌われ者なのか?
この少女たちとのかかわりも少々謎めいていて、実は十分把握できなかったことがちょっと悔しい。
(アロママ)

原題:Deux
監督:フィリッポ・メネゲッティ
脚本:フィリッポ・メネゲッティ、マリソン・ボヴォラスミ
撮影;オーレリアン・マラ
出演;バルバラ・スコヴァ、マルティーヌ・シュヴァリエ、レア・ドリュッケール






「ハッチング-孵化-」(2021年 フィンランドほか)

2022年05月04日 | 映画の感想・批評
 サンダンス映画祭で評判となった北欧ホラーの佳作である。この手のホラーが好きなかたにはお薦めだが、こういうのが苦手なかたはやめておいたほうがよいと申し上げておく。
 そうして、スリラー・サスペンスとかホラーやショッカー(いまやすっかり死語となってしまった)が大好きな私は大いに堪能した。いやあ、よくできている。
 冒頭、父と母と姉、弟の4人家族が幸せそうに団らんするところへ一羽のカラスが飛び込んできて、高価そうなガラスの置物やシャンデリヤを床に落として粉々にした挙げ句に捕らえられる。母はためらうことなくカラスの首を折って始末してしまう。これが、その後の禍々しき出来事の予兆となるのである。
 ヒッチコック・ファンなら既にお気づきのとおり「鳥」の引用だろう。リビングルームで所狭しと暴れ回る様は「鳥」の再現といってもよい。
 起承転結の承の部分はこれからである。主人公の少女(姉)がひそかに巨大な卵を自室で育てているうちに、そいつが孵化して少女と変わらない大きさの雛が誕生する。怪鳥を目前にした少女は気味悪さに拒絶するが、いったん窓の外に追いやられた雛が再び室内に戻ってきて少女を慕う場面は鳥の習性をうまく取り入れているといえよう。学校で習った記憶によれば、鳥は孵化して最初に眼に入ったものを親と認識(刷り込み)してしまう。それで、少女につきまとい、彼女も情が移って拒めなくなるのである。
 あとはネタバレになるので多くを書くわけにいかない。ご想像のとおり、この雛が少女の父母や弟、友人などの周辺で次々にトラブルを引き起こして困らせるのだ。
 しかし、この映画のおもしろさはそんなところにはない。おそらく、サンダンス映画祭で評判となったのは、後半以降に徐々に明らかとなっていく隠れテーマが理由だと、私は推測している。
 ドイツにドッペルゲンゲルという概念があって、「自分とそっくりの姿をした分身。自己像幻視」(デジタル大辞泉)をいう。これをテーマとした有名な短編小説に芥川龍之介の「歯車」、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」があるが、要するに人間の二面性をあらわしているともいえ、ユング心理学でいう「影」(自分ではない自分、生きられなかった自分)の存在がすぐに頭に思い浮かぶだろう。
 雛が途中から少女のなり(分身)をしていて、雛が傷つけられると少女も同じ場所に傷を負うという設定は、このことを裏付けている。そう考えると、この映画は単純なホラーとかたづけるわけにいかず、その底辺に重たいテーマが横たわっているのである。(健)

原題:Pahanhautoja
監督:ハンナ・ベルイホルム
脚本:イリヤ・ラウツィ
原案:イリヤ・ラウツィ、ハンナ・ベルイホルム
出演:シーリ・ソラリンナ、ソフィア・ヘイッキラ、ヤニ・ヴォラネン