シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「侍タイムスリッパー」(2024年 日本映画)

2024年10月30日 | 映画の感想・批評


 猛暑も和らぎ、一気に秋の気配が深まった今日この頃、文化の秋ということで、映画を観るにももってこいの季節となった。いざ地元のシネコンに行ってみると何ともたくさんの作品が上映されている。本数を調べてみたら、ちょうど30本!好みが多様化している現代人にとってはありがたいことなのだが、一本一本を提供している配給会社にとっては、どの作品もヒットさせるという苦労は並大抵のことではあるまい。そんな中、夏休みに池袋の映画館1館上映されて満席が続き、2週間後にプラスされた川崎でも好調。さらに2週間後には全国の劇場へと公開が拡大していき、ついに今週は150館以上で上映され、観客動員数も全国5位となった作品がある。「侍タイムスリッパー」だ。
 このような形態で大成功を収めたのが、忘れもしない6年前に公開された「カメラを止めるな」。今作同様その面白さがSNSで拡散され、あれよあれよという間に興収30億を超えたという超話題作だ。上田慎一郎監督が滋賀出身とあって、ご当地で様々なイベントが催されたことも記憶に新しいが、監督に脚本、資金調達からポスターのデザインにいたるまで、1人11役をこなした安田淳一監督も、池袋の観客の盛り上がる様子から「第2のカメ止め」を意識したそうで、それが現実となりつつある今、涙まで溢れてくる感動を味わえた以上、推すしかない。
 時は幕末、舞台は京都。会津藩士高坂新左衛門が長州藩士山形彦九郎の暗殺密令を家老から受け、その最中に雷に打たれてタイムスリップ。たどり着いたのは現代の時代劇撮影所だった。その後、その立ち振る舞いと剣術の上手さから「斬られ役」として活躍することになるのだが・・・。なるほど、時代劇をカメラで撮影しているシーンは「カメ止め」を彷彿させるところがあるし、出演者がほぼ無名の俳優達で占められていることも同じ。何とも素人っぽい台詞の言い回しに、最初は大丈夫かなと思ったりもしたが、慣れてくるとだんだん心地よい響きとなってくるのが不思議。それもそのはず、ヒロイン役の沙倉ゆうのにいたっては直前まで助監督、制作、美術、小道具を担当していたスタッフの一員だったそうで、この作品で監督の希望に応える役者魂が発掘されたと言っても過言ではない出来映え。そして何といっても感動的だったのは、甲賀の油日神社でロケが行われたという真剣を使っての立ち回りのすごさで、主人公役の山口馬木也と敵役冨家ノリマサの迫真の演技に見入ってしまった。刀と刀がぶつかり合う反響音に、本当に真剣を使っているのでは?と思わせてしまうほどの言い知れない緊張感には、思わず手に汗が・・・。
 ここには東映京都撮影所が全面協力した功績が大きい。主人公達を指導した殺陣師・関本役の峰蘭太郎は実際に「斬られ役」として活躍し、殺陣技術集団・東映剣会の会長を歴任した人。数多くの時代劇出演の経験を生かし、所作指導をすると共に、斬られ役一筋に生きた故・福本清三さんの代役として関本役を見事に演じきった。他にも東映京都の並々ならぬスタッフ・役者達がこの作品を支えている。とにかく皆さん、時代劇が大好きなのだろう。しかし、制作の激減という厳しい現実が。今まで培ってきた時代劇の醍醐味を後世にも末永く伝えていくために、侍タイムスリッパーは必要不可欠なのだ。ラストシーンに込められたこの作品に関わったすべての人たちの熱き想いに、また涙。
 (HIRO)

監督:安田淳一
脚本:安田淳一
撮影:安田淳一
出演:山口馬木也、冨家ノリマサ、沙倉ゆうの、峰蘭太郎、田村ツトム、紅萬子、福田善晴、高寺裕司

「ぼくが生きている、ふたつの世界」(2024年 日本映画)

2024年10月23日 | 映画の感想・批評
コーダ(CODA)の話。「コーダ あいのうた」(2021年.アメリカ)がアカデミー作品賞など3部門に輝き、このブログでも取り上げたことがある。あの時に、聴覚障害者の両親のもとで育つ健聴者の子どものこととして、コーダという言葉があることを恥ずかしながら初めて知った。

アメリカ作品と同様、本作品でも聴覚障害を持つ両親はろう者俳優の忍足亜希子と今井彰人が演じている。主人公の大を中学生から演じた吉沢亮がなかなかいい。「え、中学生を?ちょっと無理じゃないの」と思いかけたが、思春期特有の不貞腐れ加減が「あるある!」加えて、両親の通訳をし、周囲からは奇異な目で見られ続けている少年の苦悩。高校受験は失敗するわ、やがて確たる目的もないままに東京へ。それは父が背中をおしてくれたのだが。
アルバイト先のパチンコ屋で聾の中年女性と出会い、手話サークルに誘われる。聴覚障害の世界から離れたはずが、そこでの出会いのおかげで、手話にも方言があることを知る。また親切心というよりも実家の日常の上にあったであろう、料理店での注文を通訳することが、聾者の人たちに「できるはずのことを奪わないで」と言われて初めて、気づくこともある。これは自分にも当てはまる。親切のつもりがそれは当事者の人たちのチャンスを奪っているかもしれない。自己満足にすぎないかもと。

幼少期を演じた子役たちも良かった。無邪気に母親の通訳をし、甘える子ども時代のかわいらしさ。家の郵便受けを使っての母との手紙のやり取りは温かい。父親は釣りに連れて行ってくれる。やがて小学校に入学し外の世界を知り、我が家の特殊性を知っていく。
赤ちゃんを育てながらの失敗談をいくつも乗り越え、工夫する聴覚障害夫婦と、妻の両親。おじいちゃんは自称?元ヤクザなのか、粗野な人。音のある世界で生きるにはごめんこうむりたいかも。新興宗教にのめりこんでいるおばあちゃん役の烏丸せつこが十分はまっている。当たり前のお年なのだけれど、感慨深い。

「コーダだから」とかでなく、どこにでもある息子の旅立ち。それをさらっと応援できる母の愛情深さ。息子がいなくなれば不便なこともあるだろうに、それよりも田舎の小さな町で鬱屈するよりも、広い世界に押し出そうとするこの両親の親の姿はすばらしい。
「スーツを一着持っていれば役に立つのよ」母が選ぶネクタイは派手すぎて、「まるでホストみたい」と息子は苦笑する。
母親を演じた忍足亜希子が明るく、愛情深く、この作品の主人公は彼女こそ。とても素敵な役者さん。以前に何の作品で見かけたのか、名前に記憶はあるのだけれど。
このお母さんの在りよう、今更だけど見習いたい。子離れ、できてるかな、できてないなあ。一人で観に行ったのは正解かも。息子と一緒では面はゆい思いをしたかも。

エンドロールで流れる音楽がいい。母の手紙の内容だった。ちゃんと歌詞が示されていて、改めて作品世界を振り返らせてくれる。字幕付き上映だったのも良かった。
まるでドキュメンタリーを見ているような感覚になった。「コーダ あいのうた」のようなドラマティックさはないが、どこの家庭にもある、普遍的な親子の愛情と、息子の自立の物語。東北の漁村と、鉄道の風景も素敵で、あの駅を一度訪ねてみたくなった。
(アロママ)

監督;呉美保
脚本:湊岳彦
撮影:田中創
原作:五十嵐大「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた 30 のこと」(幻冬舎刊)
出演:吉沢亮、忍足亜希子、今井彰人、烏丸せつこ、でんでん


「HAPPYEND」(2024年 日本・アメリカ)

2024年10月16日 | 映画の感想・批評
 今年のヴェネツィア国際映画祭に正式出品された問題作です。海外では黒沢清の「Cloud クラウド」などよりも高い評価を得ているこの映画が日本ではいまひとつ不評なのは残念です(ことわっておきますが、ぼくは「Cloud クラウド」も大好きです)。
 物語は近未来ものです。主人公は都立高校に通う3年生の仲良し5人組。ユウタと在日のコウは幼稚園からの幼なじみで離れられないバディともだち、そこにアタちゃん、黒人のトムと紅一点のミン(父親は中国人らしい)が加わる。かれらはそれぞれ個性豊かでときにはハメを外して校則や社会のルールを破ることもあります。しかし、決して不良なんかではありません。
 ある日、いかにも強権的な校長先生の新車フェアレディZが学校の中庭に「2001年宇宙の旅」のモノリスみたいに地面に垂直に突き刺さったまま放置されているのが見つかります。激怒した校長は全校生徒に聴き取りをはじめ、犯人捜しに躍起となります。当然、日ごろから素行の悪い5人組が標的となる。そもそも自動車を地面に突き刺すという仕業は高校生にできるわけがないのですが、そこにケチをつけるのは野暮というものです。あくまで近未来映画らしいシュールな趣向だと楽しむことです。
 いっぽうで、テレビに映し出された総理大臣(横死したA元首相がモデル?)が「憲法改正によって緊急事態条項が成立しました」と国会でぶち上げています。路上ではこれに反対する人びとがデモを行い、機動隊が容赦なく排除している。どうやら独裁政権が強権を振るって反政府デモを鎮圧しているのです。緊急事態条項とは戦前の戒厳令のことですから実は怖いのです。
 学校では例の校長が校内の至るところに顔認証の防犯カメラを設置し、生徒の行動を完全に監視するシステムを導入します。あるいはまた、コウは警官に外国人登録証の提示を嫌がらせで求められます。警官がスマホをかざして顔を撮ると自動的に個人情報(在日)がわかるようです。マイナンバーカードと紐づけているのでしょうか。それどころか、自衛隊が学校にやって来て勧誘のため授業のひとコマをもらう。どうも世の中がおかしな方向に動き始めているのです。コウは担任の先生や同級生のフミに誘われて反政府デモに参加するようになる。いまを少しでも変えるために日常をただ享楽的に過ごしていてよいのか、声を上げるべきではないのか、少年たちは徐々に目覚めてゆくのです。こういう若者たちがいる限り、日本国もまだだいじょうぶなのかもしれません。
 「反政府デモはテロだ」「憲法改正で自衛隊が国軍と認められれば徴兵制の復活もあり得る」・・・これはいずれも石破茂氏の過去の発言です。いま阻止すべき問題は足下にあるのです。
 半世紀以上むかしに名画座でみた大島渚の反体制映画「日本春歌考」を思い出しました。伊丹十三扮する教師に引率されて大学受験のために上京した男女の高校生4人組に当時高校生だったぼくは大いに共感したのでした。
 監督の空音央(そら・ねお)は米国生まれの映像作家でこれが長編デビュー作だそうです。映像も音楽のセンスもすこぶる優れているように見受けました。今後が大いに期待されます。(健)

監督:空音央
脚本:空音央
撮影:ビル・キルスタイン
出演:栗原颯人、日高由起刀、佐野史郎、中島歩、林裕太、シナ·ペン、ARAZI、祷キララ

「理由なき反抗」 (1955年 アメリカ映画)

2024年10月09日 | 映画の感想・批評
 17歳の少年ジム(ジェームス・ディーン)は泥酔して路上で倒れているところを警察に連行された。警察署には家出した少女ジュデイ(ナタリー・ウッド)や子犬を拳銃で撃った少年プレイトウ(サル・ミネオ)がいた。三人は中流階級の家庭に属しているが、それぞれ家庭内に不和を抱えており、親子関係のコミュニケーションが機能していなかった。ジムは両親、ジュデイは母親が迎えに来て帰宅を許されたが、プレイトウだけは同居するメイドが迎えに来た。
 翌朝、転校した高校に初登校したジムはジュデイやプレイトウと再会する。登校するや否や不良グループを率いるバズに目を付けられ、プラネタリウムの駐車場でナイフによる決闘を申し込まれる。流血の惨事となる前に守衛に阻止されたが、その夜、決着をつけるために崖の上で<チキンレース>(度胸試しのゲーム)を行うことになった。ジムは間一髪で車から脱出するが、バズは脱出できずに車ごと崖から転落して死ぬ。やがてバズの仲間に追われることになったジム、ジュデイ、プレイトウは隠れ家に逃げるが、プレイトウは眠っている間に二人がいなくなってパニック状態に陥る。拳銃を発砲し、取り囲んだ警官に射殺される。

 24歳で華々しく散ったジェームス・ディーンの、あまりにも有名な青春映画であり、すでに多くの人が見ていると思う。筆者も3度ぐらいは見ている。前半のナイフでの決闘シーンやチキンレースはスリリングで迫力があるが、後半は緊張感が薄れ、ラストでジムが両親と和解するところなどはご都合主義的な印象が拭えなかった。ジムは父親の不甲斐なさに失望しており、「パパのようになりたくない」と言うが、父親の愛は感じているように思える。ジムの父親は妻の言うことに服従するだけの不甲斐ない父親だが、息子を愛する気持ちに偽りはない。それに比べると事実上両親に捨てられたプレイトウはジムやジュデイ以上に深刻な心の問題を抱えている。もしジェームス・ディーンがプレイトウの役を演じたら、希望のない悲劇的な青春映画になったのではないかと思う。
 クライマックスの場面ではジムは常軌を逸したプレイトウを保護、救出する役割を演じており、主役であるジム自身に危機感があまり感じられない。ジムはキスしたばかりのジュデイそっちのけでプレイトウを心配していて、いつのまにか孤独な少年の物語から少年同士の友情を描く映画なっている。ジュデイとの恋愛も今ひとつ描けていない。物足らなく思いながら何げなくウィキペディアの解説を読むと、最初の脚本の段階ではプレイトウは同性愛者の設定で、ジムにキスを迫るシーンがあったとの記述がある。ヘイズコード(アメリカ映画の自主規制条項)が厳しかった時代なのでそのシーンはカットされたのだと思うが、完成した映画でもプレイトウがジムに同性愛的感情を抱いているのは感じられる。隠れ家にひとり取り残されたプレイトウが逆上したのは、ジムとジュデイが恋愛関係になったからだ。ジュデイにジムを盗られたと思って嫉妬したのだろう。ニコラス・レイ監督は本当は同性愛を含む男二人、女一人の三角関係を描きたかったのではないか。
 そう考えるとジムの不可解な行動の理由も見えてくる。プレイトウが左右ちぐはぐな靴下を履いているのをジムが愛情を込めて笑うシーンや、プレイトウの死後そのちぐはぐな靴下を見て激しく泣くシーンを見て、正直言って何故ジムがそれほどプレイトウにウェットな感情を抱いているのかピンとこなかった。これが同性愛的感情に基づくものだと考えると納得がいく。プレイトウを必死で守ろうとしたのも腑に落ちる。「ディア・ハンター」(78)で主人公のマイケルが親友のニックを命懸けで救出しようとする場面を同性愛的感情があるからだと評する意見があるが、「理由なき反抗」もそうかもしれない。テネシー・ウィリアムズ原作の「熱いトタン屋根の猫」(58)や「去年の夏、突然に」(59)のように、本作品も不道徳的だと言われてテーマが曖昧にされ、全貌を知ることが困難になってしまったのではないか。それとも永遠の二枚目、ジェームス・ディ―ンのイメージを壊したくなかったのだろうか。(KOICHI)

原題:Rebel Without a Cause
監督:ニコラス・レイ
脚本:スチュアート・スターン  アーヴィング・シュルマン
撮影:アーネスト・ホーラー
出演:ジェームス・ディ―ン  ナタリー・ウッド  サル‣ミネオ


「ヒット・マン」(2023年 アメリカ映画)

2024年10月02日 | 映画の感想・批評
 1990年代に偽の殺し屋として警察のおとり捜査に協力していた大学教授の実話をベースにした作品。偽の殺し屋と大学教授のアンバランスさに興味をもった。
 おとり捜査のスタートは、急遽の代役だったが、本来の担当者より逮捕に繋がるケースが増え、自分も楽しくなってきて、のめり込んでいくゲイリー(グレン・パウエル)だが、ある時、美しき人妻マディソン(アドリア・アルホナ)と、夫を殺してほしいとの依頼で出会うことになる。一目惚れしてしまったゲイリーは、職務に違反して、逮捕に結びつかないようにして、逃がしてしまう。それを薄々見抜いていた本来の担当者が、少しずつ追い詰めていく。そこから、秘密裡に恋愛関係を深めながらも、職務に忠実な自分を保つ為、取り繕いに取り繕いを重ねることで、歯車が狂い出していく。
 監督は「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレーター。とても良かった作品なので、期待して観た。とても面白かった。前作と同様に、自らの「変化」を自ら実感し、それを楽しむ(受け入れる)実感が伝わる。ゲイリーは、二足の草鞋を履くことで、本来の自分を律していたのだろうか。自らの原点はどこにあるのか。自分は何者なのか。どこに向かおうとしているのか。日々、悩んでいたのではないか。そんな自分を取り戻すきっかけは、マディソンだったのではないだろうか。劇中は、ハラハラドキドキの連続。追い込まれて、もう終わりか・・・と思ったら、奇跡的に復活。ジェットコースター並みで飽きることはなかった。ただ、ラストのオチは唐突に思えた。私は、ラストは、二人は逮捕され、服役後一緒に過ごすシーンがあるのではと思ったが、違った。ただ、映像にはなっていないが、本当は、実はまだ先があった、もしくは、その先は、観客に考えてほしいとのメッセージだったのではないかと思う。そんなエンドシーンであった。
 グレン・パウエルの変装も見物。こんな人いる!見たことある!依頼人に合わせて七変化。あの形相で現れると依頼人は間違いないと信じてしまうだろう。劇場でも、余りにもしっくりとした変装で、「分かる!」と感嘆な声が起こっていた。グレン・パウエルは初見だったが、脚本も担当しており、演技も含め本作に掛ける意気込みを感じた。相手役のアドリア・アルホナも初見だが今後の作品も観てみたい。
(kenya)

原題:Hit Man
監督:リチャード・リンクレーター
脚本:リチャード・リンクレーター・グレン・パウエル
撮影:シェーン・F・ケリー
出演:グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、オースティン・アメリオ、レタ、サンジャイ・ラオ、モリー・バーナード、エバン・ホルツマン、グラレン・ブライアント・バンクス