黒人の若者コリンは傷害事件で1年の刑を食らうが、残り3日間の保護観察(指導監督期間)を終えると晴れて刑期満了の身となる。日本の保護観察とは違って毎日門限までは外出が許されるが、午後11時までに留置場に戻るという条件のほか、一定の範囲を超えては移動できないとか、ヤクをやってはいけないとか、いろいろと条件がつく。
ある晩のこと、門限までに帰らなければとトラックで帰路を急ぐコリンが信号待ちをしているところへ黒人の男がぶつかりそうな勢いで走ってくる。それを追う白人警官が黒人を容赦なく無慈悲に射殺する現場を目撃するのである。かれは警官の顔に明確な憎悪を見て取る。これが終盤の伏線となっている。
幼なじみの白人のマイルズは黒人の妻と幼い娘を養っており、コリンは毎朝留置場を出るとマイルズの家に立ち寄り、仕事場(引越会社)へ一緒に行くのが日課だ。ふたりは仕事帰りに決まってつるんで遊び歩く。マイルズはコリン以上に切れやすい男で最近入手した拳銃を持ち歩いていて、それがコリンには頭痛の種だ。もし面倒に巻き込まれたら、せっかくの刑期満了が取り消されてしまうからだ。その心配を脅かすように、コリンの周囲では様々な事件が起きる。
コリンはマイルズを「ニガー」とからかい、マイルズはコリンに「ブロ(ブラザーの略)」と呼びかけても決して「ニガー」とはいわない。マイルズの中に差別者としての出自(白人)に対する負い目があるからだろう。人はそれぞれ育った環境や生活レベル、価値観、キャラが違うし、そこに人種や宗教が絡むと、上辺はわかり合っているように見えても、その根底にはお互いに越えられないボーダーラインが存在するのである。
カリフォルニア州オークランドを舞台に設定したのは必然性があるという(コリンとマイルズを演じたふたりのオリジナル脚本)。ここは米国でも有数の多様な人種が住む地域で、とくに黒人のハーレムが形成された結果、先鋭的なブラックパンサー党がこの地で生まれた。今では高級住宅地もあり、むしろ階層、貧富の格差が拡大して治安が悪化している面もあるようだ。
ラップ調のセリフの応酬がポップで、スピーディーな展開が心地よい。その一方で、張り詰めた琴の糸がいつ切れるかわからないような人間関係の緊張が描かれる。これが、コミカルな場面と対を成して作品のトーンにメリハリをつけている。
はじめのほうで心理学の教科書に必ず出て来る「ルビンの壺」の絵が話題にのぼる。みなさんもご存知だろう。黒地に気をとられて見ていると、その絵は左右対称の古代の壺に見えるが、見方を変えて白地に目を凝らすと対面する人の横顔に見える。しかし、同時に両方を認識することはできないという騙し絵だ。最近では人権研修の教材に用いられ、偏見や思い込みが一方的な見方、考え方を招く証左とされる。この絵を見てコリンが元カノにいう、「ブラインドスポッティング(盲点)」だと。それが、この映画の紛れもない肝である。(健)
原題:Blindspotting
監督:カルロス・ロペス・エストラーダ
脚本:ラファエル・カザル、ダヴィード・ディグス
撮影:ロビー・バウムガートナー
出演:ダヴィード・ディグス、ラファエル・カザル、ジャニナ・ガヴァンカー、ジャスミン・セファス・ジョーンズ