シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「恋人たち」(2015年日本映画)

2015年11月21日 | 映画の感想・批評
 

 心に響くような映画がある。橋口亮輔監督の7年ぶりの新作はそういう映画である。
 何年も前に妻を通り魔に殺された若い男はその理不尽ともいえる運命を恨みながら生きる目的を見失って、ただただ犯人に対する憎しみだけを募らせている。弁当屋で働く中年主婦は覇気の消え失せたような無表情の夫と口うるさい姑に囲まれてつまらない毎日を送っているが、刺激を求めて火遊びに走る。おそらくこれまで(ゲイであること以外は)思いのままの人生を謳歌し、他人に対する思いやりなどどこかに置き忘れてきたのではないかと思わせる自己中心的な若手弁護士。そのかれが足を骨折した揚句、年下の同性のパートナーには愛想を尽かされるし学生時代からの親友との友情も変な誤解がもとで壊れるしで、初めてといってよい挫折を味わう。この三人のそれぞれの人生が交互に描かれ、時には交錯する。
 橋口監督は、独特の間というか、場面転換をスパッと切らないで人物をしばらく撮り続けて余韻を漂わせるようなショットを積み重ねる。監督自らが編集しているので、拘りのあるスタイルなのだろう。それから、橋口は若書きともいえる処女作「二十歳の微熱」以降の数作で繰り返し描いた特殊な恋愛の世界を「ぐるりのこと」でもそうだったが、普遍化できるまでに成長した。53歳になる監督に「成長」とは失礼な言い方かもしれないが、これは褒め言葉である。
 橋口は「シナリオ」誌のインタビューに答えて、妻を殺された男役の男優(篠原篤)が愛妻を偲んでしみじみ泣く場面でどうしても泣けないということがあって撮影を延ばし延ばしにして待った結果、ようやくその男優が本当に泣ける(つまり演技ではないということだ)心境にいたって撮影が無事終了したという話を披露していた。たしかに、この映画のハイライトともいえるその場面は演技を越えた迫真性があった。
 主人公の三人の男女優はほとんど無名に近い人びとである。それを光石研や安藤玉恵といったクセ者の名脇役がしっかり支えて、日本映画が得意としてきた庶民生活の写実的スケッチに成功した。個々のエピソードの苦さは半端ではないにしても、ほのかな甘さがブレンドされた愛の物語である。(健)

監督・原作・脚本:橋口亮輔
撮影:上野彰吾
出演:篠原篤、成嶋瞳子、池田良、光石研、安藤玉恵、木野花、黒田大輔、リリー・フランキー

「バクマン。」 (2015年 日本映画)

2015年11月11日 | 映画の感想・批評


 例年より遅くなった就職戦線も今がたけなわだが、若い人たちにとって仕事を決めるというのは人生の一大事。できたら自分の好きなこと、本当にやりたいことをやって生活できたらと思うものだが…。本作の主人公真城最高(ましろもりたか・サイコー)と高木秋人(たかぎあきと・シュージン)が目指したのはマンガ家。それもマンガ家志望なら誰もが憧れる「週刊少年ジャンプ」の連載に採用され、人気投票1位を獲得するというものだ。
 夢を追いかけるこの二人の関係が面白い。サイコーは並外れた画力の持ち主で、子どものころからマンガ家志望。影響を受けたのはマンガ家だった叔父の川口たろうだが、川口の壮絶な死に直面し一度は夢をあきらめていた。一方のシュージンは文才があり、作文や感想文が得意。マンガ家になりたいとは思っていたが、絵が下手なことは自らも認めるところ。そこで自分の相棒となる絵の上手な人物を探していて、見つけたのがサイコーだったというわけだ。二人がタッグを組めばこわいものなしといいたいところだが、そこにはたくさんのライバルたちが待ち受けていた。特に十期ぶりに手塚賞に選ばれた新妻エイジ(染谷将太好演)は二人と同じ17歳の天才。この三人がマンガの世界に入ってペンを持って戦うCGバトルはかつて見たことのない迫力シーンになっている。人格の80%はマンガでできていると自負するほどのマンガ好き・大根仁監督が最も描きたかったのはきっとこのシーンだったに違いない。
 サイコーを演じるのは佐藤健。シュージンには神木龍之介。二人は「るろうに剣心」でも共演しているだけあって息もぴったり。そして何よりも原作の二人になりきって懸命に演じているところがいい。映画を観終わって真っ先に書店で原作を探したが、その表紙を見て納得した。まさにそこには佐藤と神木そのものがいたからだ。
 この傑作をかつて二人と同じようにジャンプのマンガ家を目指し、このブログの源となった本「シネマ見どころ」のイラストを担当してくれた「しみずやすお」氏に捧ぐ。感謝。
 (HIRO)

監督:大根仁
脚本:大根仁
撮影:宮本亘
原作:大場つぐみ、小畑健
音楽:サカナクション
出演:佐藤健、神木隆之介、染谷将太、小松菜奈、桐谷健太、新井浩文、山田孝之、リリー・フランキー、宮藤官九郎






「顔のないヒトラーたち」(2014年ドイツ映画)

2015年11月01日 | 映画の感想・批評
 最近ヒトラー関連の問題作が相次ぎ公開されている。ベテランのオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督「ヒトラー暗殺 13分の誤算」も力作であるが、私には「顔のないヒトラーたち」のほうが映画としておもしろかった。冒頭いきなりハッとさせる掴みの手法といい、音楽の使い方といい、監督はまだ若いイタリア人だそうだが、映画的なセンスがあるというか、見ていて思わず引き込まれてしまう魅力があった。興味のある方はぜひ見比べていただきたい。
 私は寡聞にして知らなかったのだが、ドイツは第二次大戦の戦犯をニュールンベルク裁判で裁いたあと、保守派のアデナウアー首相がナチの犯罪は清算されたからドイツの歴史はリセットされ、もはや過去に囚われるべきでないと、アウシュヴィッツの犯罪を葬り去ろうとしたらしい。どこかの首相と同じ発想ではないか。それで、驚くべきことに1950年代の西ドイツではアウシュヴィッツのことが殆ど知られなかったという。
 映画は、フランクフルトの正義感あふれる堅物の若い検事が地元の小学校の教師にアウシュヴィッツ収容所で働いていた人物がいるとの告発を耳にし、俄然関心を寄せて調査に乗り出すところから始まる。上司や同僚たちは反ドイツ的な行為はやめろ、今さら蒸し返してどうなると忠告する。しかし、検事はますます闘志を燃やし、地元紙の記者と力を合わせて一般市民に身を潜めた収容所の幹部や看守たちに相応の罪を償わせることを誓うのである。
 たまたま、検事総長(連邦制なので州単位に存在する)がユダヤ系で収容所体験があったことから、確証を得た時点で捜査にゴーサインを出す。検事がさまざまな捜査妨害や挫折を乗り越えながら証人を探し出し、年配の秘書やいつの間にか味方になった同僚検事の応援で1件ずつ丁寧に証拠を積み上げて行く過程が緊迫感を持って描かれる。こうして63年12月、とうとう19人の元親衛隊員らが起訴されて「フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判」が開始されるのである。
 開廷の直前に検事を激励にやって来た総長が「君を誇りに思う」というところは胸が熱くなった。 (健)

原題:Im Labyrinth des Schweigens
監督:ジュリオ・リッチャレッリ
脚本:ジュリオ・リッチャレッリ、エリザベト・バルテル
撮影:マルティン・ランガー、ロマン・オーシン
出演:アレクサンダー・フェーリング、アンドレ・シマンスキ、フリーデリーケ・ベヒト、ヨハネス・クリシュ、ハンジ・ヨフマン、ヨハン・フォン・ビューロー、ゲアト・フォス