シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ザ・トライブ」(2014年ウクライナ=オランダ)

2015年06月21日 | 映画の感想・批評
 原点に回帰したような映画といえばよいか。もともと映画には音声が無く、観客は映像だけを頼りに意味を読み取ることに専念した。発声映画(トーキー)の誕生によって、世界語といわれた映画の様式が大きく変化してしまった。その映画の歴史を再び押し戻すかのような着想である。
 ウクライナ映画というだけでも物珍しいというのに、全編これ手話だけ。一切の台詞、音楽を排した構成にまず驚かされる。舞台は寄宿制の聾唖学校である。ひとりの少年が寄宿舎に入り、不良仲間に引き込まれて、少女売春のポンびきを担わせられる。その売春稼業の親玉は学校で技術を教える悪徳教師だ。夜な夜な教師が運転するバンに少年と少女ふたりを乗せ長距離トラックのたまり場に赴いて、運転手相手に売春を行うのである。やがて、少年と少女のひとりの間に恋が芽生えると、教師、不良仲間らとの均衡が崩れ、衝撃的なクライマックスへと突入するのである。
 登場人物はいずれも手話でしか会話しない。しかも、手話に対する字幕は付かない。つまり、会話自体には意味がないといってもよいだろう。われわれはただスクリーンに映るかれらの一挙手一投足に全神経を集中させて、登場人物の感情の起伏を感得し、物語の流れを追わなければならない。たとえば、悪徳教師のもとを訪れる中年男がイタリア土産を持っていたり、その男の斡旋で少女ふたりがパスポート取得の手続きを行うとか、どうやらイタリア移住を考えているらしいといった程度の断片的な事情がうっすらと見えてくる。
 ウクライナ語の原題も「種族、部族」という意味らしいが、英語タイトルの「トライブ」を辞書で引くと「仲間、手合い、連中」という語義もある。まあ、「不良仲間」というニュアンスか。出演者がほとんど素人だというのも映画というものの本質を考える上で大いに頷けるのである。第67回カンヌ国際映画祭批評家週間のグランプリ受賞。 (健)

原題:Plemya
監督・脚本:ミロスラヴ・スラボシュピツキー
撮影:ヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィチ
出演:グリゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコヴァ

「あん」 (2015年 日本映画)

2015年06月11日 | 映画の感想・批評


 1997年、生まれ育った奈良を舞台にしたデビュー作「萌の朱雀」でいきなりカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞。2013年にはついに日本人監督として初めて審査員を務めるなど、世界が認める河瀬直美監督の最新作。その経歴と高い芸術性で、いつもなら少々襟を正して鑑賞する必要性すら感じてしまう河瀬作品なのだが、今回の題材は「あん」。ドラえもんも大好きなあのどら焼きの餡なのだ。これならとっつきやすい!
 実は小生も無類のあん好き。初めて訪れた街で焼きたてパンの店を見つけたら、迷わず「あんパン」を買って食べるのが常なのだ。そんな時いつも思うことがある。あんといえども千差万別。一つとして同じ味のあんはないということ。微妙に違うんですよね。そしてあんパンのおいしいパン屋さんなら、ほかのパンもおいしいということ。いえる、イエル?!
 主人公・千太郎が任されている、桜通りに面した小さなどら焼き屋「どら春」に、徳江という老女がアルバイトがしたいとやってくる。一度は断ったものの二度目にやってきた時に置いていったタッパー入りのあんを食べてみてびっくり!!その味に惚れ込んだ千太郎は徳江をあん作りの担当として雇うことにする。さあ、究極のあん作りの始まり、はじまり~~~。
 “豆へのもてなし”の気持ちを大切にして、前日に小豆を水に浸して柔らかくし、何度もアクをとるところから、2時間かけて蜜漬けしたあと加熱し、豆が壊れないように注意して練って完成するまで、観る者は徳江が教えてくれるあん作りに釘付けになる。完成した光り輝くあんの何と美味しそうなこと!!これだけでも十分なのだが、河瀬監督が用意していたテーマはもっともっと大きなものだった。徳江が76才という高齢にもかかわらず働き口を探していたのには、深いわけがあったのだ。
 徳江を演じる樹木希林の演技は相変わらず素晴らしいが、今回の収穫はなんといっても千太郎演じる永瀬正敏。40歳を超えて、こんないい味を引き出せたのは、やはり河瀬監督の力量だろう。とにかくその人物になりきるよう、生活の場や習慣まで変えるように注文したとか。作品に対する真剣さがいろんな画面からにじみ出ている。お見事!
(HIRO)  

監督:河瀬直美
脚本:河瀬直美
原作:ドリアン助川
撮影:穐山茂樹
出演:樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、市原悦子、水野美紀 浅田美代子

「駆込み女と駆出し男」(2015年日本映画)

2015年06月01日 | 映画の感想・批評
 ずいぶん丁寧に作られているという感想をもった。新聞記事に撮影の苦労話が出ていて、筆者も以前から気になっていたことだが近ごろの時代劇のカツラがいやに茶色っぽいのは目の錯覚ではなく本当に茶色なのだそうで、原田眞人監督はまずそれに注文をつけて黒に直させたという。つまり、そういう枝葉末節から嘘を排除してリアリズムに至る道筋をつけるというのは、話が荒唐無稽なほど必要なことだ。いや、何もこの映画がことさら荒唐無稽というわけではないが。
 幕府公認の駆込み寺、東慶寺は鎌倉にある。何しろ封建時代ゆえに女性のほうから離縁することはできない。唄の文句ではないが、離縁は男性側から所謂「三行半(みくだりはん)」を投げて成立する。しかしながら、現実には今でいうDVやら何やらで女性側にも離縁の権利を認めないとまずいという話になる。まあ、いってみれば少しは人権意識が芽生えた結果とも受け取れる。それで、江戸時代に縁切寺というものが成立した。どうしても離縁が許されない事情があって、亭主から逃れたい女が東慶寺に駆け込むのである。追っ手が来ても履き物を寺の門前から放り投げて中に入れば駆込みが成立し、あとは門前に控える駆込み宿が身を預かって事情を聴取し、縁切りの正当性が認められると初めて入山できる。それから2年の歳月を経て晴れて離縁が成立するというシステムである。
 江戸時代の末期、その駆込み宿の女主人(樹木希林)の前に医者を志望しながら戯作者に憧れる脳天気な甥(大泉洋)が現れる。そこへちょうど訳あって駆け込んできたふたりの女(戸田恵梨香と満島ひかり)とそれを取り戻そうとする亭主たち。加えて、ときの老中水野忠邦が奢侈禁止・風俗粛正を強引に推し進める天保の改革に便乗して縁切寺を廃止しようとする勢力との確執など、幕末の政情と江戸の人情の機微にふれ、物語にメリハリをつけている。井上ひさしの遺作をベースとした時代劇の収穫である。(健)

監督・脚本:原田眞人
原案:井上ひさし
撮影:柴主高秀
出演:大泉洋、戸田恵梨香、満島ひかり、樹木希林、堤真一、山崎努