シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「日本誕生」(1959年 日本映画)

2021年06月30日 | 映画の感想・批評
 東宝映画1000本製作記念として作られた182分の大作で、ヤマトタケルノミコトの英雄譚を中心に、天岩戸神話やスサノオノミコトの八岐大蛇退治等が神代のドラマとして挿入されている。「古事記」「日本書紀」の世界を実写で描いているため、ともすれば荒唐無稽な展開になってしまうところを、特技監督の円谷英二が異次元の世界を幻想的で臨場感のある映像に仕上げている。
 日食を背景とした荘重なオープニング。天地開闢、高天原、イザナギ・イザナミの誕生、国生み神話・・・と神々が支配していた時代の話が続いた後に、物語はヤマトタケルの時代へと下る。熊襲征伐に成功したヤマトタケルは、父親である景行天皇から休む間もなく東国征伐を命じられる。父への不信感を抱いたまま伊勢を訪れ、叔母であるヤマトヒメノミコトから草薙剣を授かる。やがて戦いの無意味さに気づいたヤマトタケルは征伐を中止して帰途につくが、彼を皇位につけたくない大伴氏の一派のだまし討ちにあい命を落とす。死後その魂は白鳥へと変わり、大伴氏の一派は神罰により溶岩流と洪水に呑まれて全滅する。巨大な地割れの中に敵兵が落ちていくシーンは、人工的に作った地面に地割れを起こして実際に人間を落としたらしい。スケールの大きな映像は円谷英二の面目躍如たるところだ。
 太平洋戦争中、軍の要請を受けて東宝は戦意高揚映画の制作に乗り出した。若き日より特撮を研究してきた円谷は活動の場を戦争映画に見出し、「ハワイ・マレー沖海戦」(42)や「加藤隼戦闘隊」(44)等の成功によって一躍時の人となる。戦後は一時期公職を追放されるが、東宝に復帰してからは「ゴジラ」をはじめとする怪獣映画で目覚ましい活躍を見せた。特撮が戦争によって花開き、映画技術を飛躍的に向上させたという歴史の皮肉がここにある。
 興味深いことに原作の「古事記」「日本書紀」には大伴一派の裏切りや溶岩流と洪水の場面はない。クライマックスを際立たせるための東宝製作部の脚色である。原作ではヤマトタケルは伊吹山の神が降らせた雹(ひょう)に当たって、体を弱らせ絶命する。山の神を侮ったために神の逆鱗に触れたのだ。ヤマトタケルは猛々しく勇敢な反面、自分の力に対する傲りがあり、けして完成された人間ではない。未熟で壊れやすく、やさしさと残酷さを併せ持つ矛盾した主人公である。スサノオノミコトと並ぶ日本神話のヒーローであるにもかかわらず、女性に変装して熊襲に近づき殺したり、友だちになった出雲建に偽の刀をもたせて殺害したりと、現代人から見れば違和感を覚えるような行動もとっている。「古事記」ではライバルを倒すときに非情で卑劣な手段をとることが多々あり、この時代にだまし討ちが悪であるという価値観はなかったようではあるが・・・いずれにせよ、こういう善悪両面を備えたキャラクターが活躍するのが「古事記」の魅力なのだが、映画では掘り下げた人物造形はしていない。ヤマトタケルは父親との愛憎関係に悩むナイーブな青年として描かれている。
 オトタチバナヒメやミヤズヒメとの悲恋が切なく、若くして亡くなったヤマトタケルの英雄譚は叙事詩というよりも抒情詩に近い。悲劇の英雄として日本人に愛されている。死の間際に詠んだ歌4首は国偲びの歌として著名であり、また死後に后や御子が詠んだ喪歌4首を「大御葬の歌(おおみはふりのうた)」といい、現在でも天皇の葬儀の際に演奏されている。ヤマトタケルの伝説は今でも生き続けているのだ。(KOICHI)

監督:稲垣浩
特技監督:円谷英二
脚本:八住利雄 菊島隆三
撮影:山田一夫 有川貞昌
出演:三船敏郎 司葉子 香川京子 原節子  二代目中村鴈治郎




「茜色に焼かれる」(2021年 日本映画)

2021年06月23日 | 映画の感想・批評
 シングルマザーの田中良子(尾野真千子)は、中学生になる息子の純平(和田庵)と市営住宅で暮らしている。7年前に夫(オダギリジョー)を不慮の交通事故で亡くした。花屋のパートと風俗で働いている。風俗の仕事をしていることで、息子はいじめに合っているが、それを学校に訴えても何もしてくれない。久し振りに会った同級生に振られる。パート職場で言い掛かりを付けられ、辞めさせられる。そんな事が次々と起こる中で、良子はどう生きていくのか・・・。
 良子は「まあ、頑張りましょ」が口癖である。明るく言い放つのではなく、自分を納得させるようにため息交じりに・・・。純平から、交通事故の加害者(事故当時、すでに老人だった)の葬式に行ったことを責められても、「顔を忘れたくなかったから」と言って、「まあ、頑張りましょ」と呟くのである。前向きでもなく、不遇な境遇を打破する力を振り払うことでもなく。因みに、生活はとても困窮しているのに、事故の賠償金は受け取っていない。何故か。加害者が謝っていないから。良子は一つの芯を持って生きているのである。とても、「強い人」「生きる力のある人」だと思う。口癖から想像するに、良子から見て、その人が頑張っているかいないかの基準があるのだろうか。そして、頑張っている人が頑張れない状況に陥ったことで、良子の気持ちにアウトプットする力が溢れ、狂気に満ちた表情でラストとなる。
 各俳優の演技も見ものだった。尾野真千子と片山友希(風俗店の同僚)との居酒屋での会話シーンは、真に迫っていて、怖かった。所々にカットが入る貧乏ゆすりの演出も良い。和田庵(純平)も良かった。永瀬正敏(風俗店の店長)も尾野真千子と同級生との争いを収めるシーンはスカッとした。ビデオ撮影シーンも良かった。
 劇中にコロナの話題がたくさん出てくるのは、私は初めてだったかも。それだけコロナが長引いてきているということか。コロナ前の状況に戻ってほしいが、全く同じは難しいと思うので、コロナと一緒に生きていくしかない。それも重ね合わせた作品のようにも感じた。尾野真千子が舞台挨拶時に、公開出来ることが嬉しいと涙したことをネットニュースで見た。尾野真千子も強い人なのだろうな。
(kenya)

監督・脚本:石井裕也
撮影:鎌苅洋一
出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏

「ファーザー」 (2020年 イギリス・フランス映画)

2021年06月16日 | 映画の感想・批評


 手元の資料によれば、2012年パリでの初演以来、ロンドンのウエストエンドやニューヨークのブロードウェイ等、世界30カ国以上で上演され、各国の最も権威ある賞を受賞、日本でも橋爪功、若村麻由美の共演で話題となった舞台の映画化。監督はこの舞台のオリジナル戯曲を手がけたフロリアン・ゼレール。2014年、フランスの演劇界では最高位とされるモリエール賞最優秀作品賞を受賞。一流プロデューサーたちの働きかけもあり、自身初となる長編映画の監督に挑戦する。
 主役を演じるのは「羊たちの沈黙」であの狂気のレクター博士を演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンス。映画化に当たり、監督はたっての希望が叶い、主人公の名前や年齢、誕生日までホプキンスと同じ設定にして脚本を練り直したというから、思い入れは相当なもの。ホプキンスはその期待に見事に応え、認知症を患い、少しづつ自分を失っていく父親を、パン職人だった自らの父親を思い出しながら演じたという。その表現力の素晴らしさには、二度目のオスカー受賞も誰もが納得できるというもの。
 娘のアンには「女王陛下のお気に入り」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したオリヴィア・コールマン。自分が娘であることさえわからなくなってきている父の世話をするべきか、自分の人生を新しいパートナーと共に生きるか、葛藤する姿をリアルに演じている。
 主なキャストはわずか6人。そのうちの何人かは複数の役を演じていることが後でわかってくる。観客はアンソニーのアパートに入ったときから、まるで迷路の中に入り込んだような気分になり、常に緊張感あふれる画面から抜け出せなくなる。明らかに容姿が異なるアンが出現したときには、これは一体どういうこと?!と戸惑ってしまうが、徐々に今映し出されているのはアンソニーの曖昧な記憶をつなぎ合わせてできあがったものだということに気づいてくる。それが現実なのか、父親の幻想なのかわからないように実に巧妙に演出されているので、見る者はますます目が離せなくなるのだ。これは舞台では表現できない映画の醍醐味。さらに居心地のよかったアパートが少しずつ姿や色が変化していくところも、迷宮度が増す結果となっている。
 自分の「確かさ」が侵されていくことに気づいたとき、その不安とはいったいどれほどのものがあるのだろう。確かさの象徴とも言うべき腕時計を探すアンソニーを見ながら、自分の身辺で起こった出来事を思い出す。精神は子どもに還り、さらに安らぐ母親の胎盤を求めて・・・。いずれはたどり着く道ながら、人間としての儚さと、現状を受け入れ生きていく切なさを痛感して涙。
 (HIRO)

原題:THE FATHER
監督:フロリアン・ゼレール
脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール
撮影:ベン・スミサード
出演:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン、マーク・ゲイティス、イモージェン・プーツ、ルーファス・シーウェル、オリヴィア・ウィリアムズ

「糸」 (2020年 日本映画)

2021年06月09日 | 映画の感想・批評
 2020年度キネマ旬報読者選出日本映画の10位に選ばれている作品。
 北海道が舞台のこの物語は 、平成元年生まれ、13歳の高橋漣と園田葵の不器用な初恋から始まる。ある日、養父からの虐待に耐えかねた葵が姿を消す。必死の思いで葵を探しだした漣は駆けおちを決行するが、すぐに警察に保護され、二人は遠くひき離されてしまう。8年後、東京での同級生の結婚式で再会するが、すでに二人の人生は別々の方向をむいていた。
 二人の思い出の地に残った漣はチーズ工房で働いていた。一方葵は母親とは違う生きかたを求め、東京で必死に生きていた。そして不本意な形で手にした大金をもとに、シンガポールでネイルサロンを経営する。仕事は脚光をあび成功したかにみえたが、共同経営者のうらぎりで破綻。日本に戻り一からの出直しとなる。先のみえない生活に疲れた葵がむかったのは北海道。子どものころに温かいご飯を食べさせてもらったこども食堂。そこで漣と葵は10年ぶりに再会する。
主演は菅田将暉と小松菜奈。18年間に二度しか顔をあわせないが、13歳のときに引き離された手がまた繋がるのだと思わせるものがある。北海道、東京、沖縄、シンガポールと舞台は移るが、それは葵の心の彷徨であり、漣は地元で慎ましやかに生きていこうとしていた。そしてここにもう一つのラブストーリーが生まれる。
 漣の職場の先輩で面倒見のいい女性、香を榮倉奈々が印象深く演じている。二人は結婚。平穏な日々が続いていたが、香の妊娠中に病がみつかり出産後に治療するも手遅れであった。日毎に暗い表情をみせる漣とは対照的に、香は抗がん剤で髪の抜けた頭に赤いニット帽をかぶり漣と娘をみつめながら静かに微笑む。
 まるで観音様のようなその微笑みは慈愛に満ちあふれている。香は幼い娘にこう教える。「泣いている人がいたら、うしろから抱きしめてあげてね」と。こども食堂で泣いている葵の背中に抱きつき、娘はこの言葉を母親から教えられたと呟く。葵の母親は娘を守りきれなかったが、香は幼い娘の未来に人に寄りそう優しさと強さを遺していったのだ。
 劇中で流れる「糸」がこの物語と観客をも暖かく包みこむ。中島みゆきの歌声はもちろんだが、菅田将暉の歌唱が心に染みいる。この歌声にのせて二つのラブストーリーが一つに融け合うラストが胸をうつ。
中学生の漣と葵が絆創膏を手渡す場面がある。
絆創膏がアップで写り「サビオ」と書かれていた。西日本限定の物と思っていたが、北海道でも流通していたのだ。子どものころに傷口を癒してくれた恩人にこの作品のなかで巡りあえたことが、ちょっぴり嬉しい。(春雷)

監督:瀬々敬久
脚本:林民夫
原案:平野隆
撮影:斉藤幸一
出演: 菅田将暉、小松菜
奈、倍賞美津子、斎藤工、榮倉奈々、成田凌、山本美月

「バニー・レークは行方不明」(1965年 イギリス)

2021年06月02日 | 映画の感想・批評
 まだ高校生のころに日曜洋画劇場でこの映画を見て感心した。実は現在DVDが流通していない。それを先週NHKのBSが放映してくれた。
 オーストリー出身のオットー・プレミンジャー監督はナチを嫌ってハリウッドへ逃れた。同郷渡米組のビリー・ワイルダーが独墺の大先輩エルンスト・ルビッチの薫陶を受けたのに対して、プレミンジャーは同じ大先輩でもフリッツ・ラングの影響を受けて、生来の反骨から映画倫理コードすれすれの問題作を連発し、お騒がせ男となった。社会派の一面を見せるかたわら、フィルム・ノワールにも才能を発揮してラングばりの陰影のある秀作を残している。
 この映画はフィルム・ノワールの残り香ともいえる後期の代表作である。
 冒頭、ロンドンの借家で兄が引越業者にあとを指示して仕事に出かける。妹は4歳になる娘バニー・レークをひとまず保育園に預け、午後に迎えに行くが、娘が一向に出てこない。担任にきこうとすると、園児を送り出したあと歯医者に行ってしまっていないという。苛立ったアンは兄を呼ぶが、要領を得ない園の説明に我慢も限界となった兄が警察に通報する。
 そこで、さっそうと登場するのがロンドン警視庁の警視、ローレンス・オリヴィエである。兄妹とバニーはニューヨークから船でロンドンに越してきたらしい。アンは未婚の母で、つき合っていた男の子の子どもを身ごもってしまったが、兄が別れさせたのだという。
 警視は兄妹に事情を聞くうちに、ある疑惑を抱く。ここがこの映画のうまいところで、たしかに、バニーという名は何度も台詞に出てくるけれど、映画が始まって以来ずっと、いっさい画面に登場しない。しかも、自宅からバニーの持ち物が忽然と消え失せ、存在の痕跡すらつかめないのである。果たしてバニー・レークは実在するのか。
 アメリカの心理サスペンスを主眼としたミステリの映画化にあたって、舞台がニューヨークからロンドンに変えられた。霧の都の、ちょっとかび臭いような佇まいが深まる謎と馴染んで成功したと思う。失踪が狂言なのか事実なのか、空想か現実かという興味を喚起するために、わざとロンドンの人形修理屋に並ぶおびただしい数のセルロイド人形を見せたり、思わせぶりな演出で観客を煙に巻くあたりはみごとだ。
 配給のコロンビアは、神経症的な主人公アン役にジェーン・フォンダを推薦したそうだが、プレミンジャーはキャロル・リンレーに強く拘った。その兄役も無名に近いケア・デュレアを起用した。スタンリー・キューブリックがこの映画を見て「2001年宇宙の旅」の主役にデュレアを抜擢したのは有名な話だ。 
 DVD化されたときには是非ご覧いただきたい。(健)

原題:Bunny Lake Is Missing
監督:オットー・プレミンジャー
原作:イヴリン・パイパー
脚色:ジョン・モーティマー、ペネロープ・モーティマー
撮影:デニス・クープ
出演:ローレンス・オリヴィエ、キャロル・リンレー、ケア・デュレア、ノエル・カワード