シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「太陽と桃の歌」(2022年 スペイン・イタリア映画)

2024年12月25日 | 映画の感想・批評
 スペインで3世代に渡って桃農園を営んでいる家族の物語。ある時、突然、地主から夏の終わりに土地を明け渡すようにとの連絡を受ける。その土地を使用してソーラーパネルの事業を始めるというのである。驚く家族だが、農園を始めた当初、土地を使用するにあたっては、口頭での話のみで、“契約書”は存在しない。それに対抗すべく方法策も見出せず、時間だけが過ぎていく。オロオロする祖父。イライラする2代目父親。心配する家族。無邪気に遊ぶ子供達。と言いつつも、それぞれの方法で、桃園を取り戻そうとするが、嚙み合わず、纏まらなく、そのまま、明け渡しの日が近づく。果たして、どうなることやら。。。
 第72回ベルリン国際映画祭金熊賞(最高賞)受賞。全体的に抑揚が少なく、接写が多く、ドキュメンタリー風の映像。演者はプロの俳優ではなく、地元の人々を起用したとのこと。確かに、その土地、その仕草に足は付いている感じはする。なので、ドキュメンタリーと感じたのか。その狙いは、ドンピシャだが、商業映画として、もう少し抑揚がほしいところである。ただ、人間の日常は、毎日抑揚がある訳ではなく、淡々と過ぎていくもの。3世代の大家族のやりとりが、淡々と綴られていく静かな作品。父親は常にイライラしている。明け渡しの日が近づくが、何も対策が打てない自分への苛立ちと、この仕事しか知らず、新しい仕事への恐怖があると思う。その気持ちは分かるような気がした。ラストシーンは、明るく前向きになりたいものだが、本作は、その逆で、暗い気持ちになった。この先、この大家族はどうしていくのか。全員が不安な目をしてカメラを見つめて(その先にはショベルカーでの伐採が進む農園)いるので、こちらまで気持ちが沈んでしまった。近代化の波が押し寄せる地方農園の現実と捉えると、よくあるケースなのか。
 大家族のエピソードの中で、息子が一晩遊び惚けて明朝帰ってきた時の、母親の行動には愛情を感じた。演出ではなく、俳優の地の演技のように感じた。父親から子供への叱責対応を諫める一撃も頼もしい。一瞬のシーンだが、見応えがあった。
 映画は、言葉の説明は極力避けるというのが定石かと思うが、創作でも良いが説明や抑揚があった方が、商業的にもヒットするかもと思った。ただ、ベルリン国際映画祭は、社会派が取り上げられる傾向があるとのこと。選出されるタイプの作品かもしれない。
(kenya)

原題:Alcarras
監督・脚本:カルラ・シモン
撮影:ダニエラ・カヒラス
出演:ジョゼ・アバット、アントニア・カステルス、ジョルディ・プジョル・ドルセ、アンナ・オティン、アルベルト・ボッシュ、シェニア・ロゼ、アイネット・ジョウノ、モンセ・オロ、カルレス・カボセ、ジョエル・ロビラ、イザック・ロビラ、ベルタ・ピボ、エルナ・フォルゲラ、ジブリル・カッセ、ジャコブ・ディアルテ

「正体」(2024年 日本映画)

2024年12月18日 | 映画の感想・批評
 藤井道人監督と主演の横浜流星は、長編劇場映画では「青の帰り道」(2018年)「ヴィレッジ」(2023年)に続き3度目のタッグとなる。既に数年前から準備を進めてきた企画で、共に思い入れのある作品だという。中学時代には空手で世界王者となり、昨年はボクシングのプロテストに合格した横浜流星の、身体能力の高さがこの作品では十二分に生かされている。原作は10万部を超えるベストセラーとなっているが、残念ながら未読である。
 一家3人を惨殺した事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)がある決意を持って脱走する。逃亡を続け日本各地に潜伏する鏑木と出会った、和也(森本慎太郎)沙耶香(吉岡里帆)舞(山田杏奈)。鏑木を追う刑事の又貫(山田孝之)は彼らを取り調べるが、各々が出会った鏑木は全く別人のような姿だった。顔を変えながら逃走を繰り返す343日間。鏑木の真の目的がやがて明らかになっていくのだが……。
 横浜流星の変身が鮮やかである。工事現場の作業員やフリーライター、介護施設のスタッフと全く別人のように見える。かつて顔を整形して逃亡を続けた殺人犯がいた。2年7ヵ月という長期にわたり逃亡を続け、その後逮捕され無期懲役の判決が下っている。日本の警察は優秀である。とは言え誤認逮捕、冤罪もある。その冤罪により長年苦しめられてきた人々も少なからずいる。「鏑木には動機がない」という警察情報が、サスペンスの要素も孕んで観客を最後まで引っ張っていく。
 俳優陣が各々に奮っている。なかでも山田孝之の存在感が際立っている。台詞は少ないが、警察組織内での圧力と戦いながら職務を全うしようとする使命感が、身体全体から滲み出ている。怖いが、どこか信頼出来る人物だとも感じられる。鏑木の逮捕時には右肩を狙って撃つ場面にホッとする。鏑木の働いていた水産加工工場では責任者役の遠藤雄弥を発見する。小路紘史監督の「辰巳」で、主人公の辰巳役が素敵だった。その他にもetc.俳優陣の層が厚い。
 「信じたかったんです、この世界を。」ラストシーンで鏑木が法廷で放つこの言葉は、生きたいと強く願うことが希薄な時代だからこそ、胸に染み渡る。思いがけない状況に追い込まれたことで生きる力を得た一人の青年の成長物語として観ると、藤井道人監督の作家性を保ちつつ、エンタメ作品としても楽しめる作品になっている。
 エンドロールで流れる主題歌、ヨルシカの「太陽」がとてもいい。ちょっと文学的な歌詞と透明感のある歌声に、ラストシーンの余韻にいつまでも浸っていたくなる。(春雷)

監督:藤井道人
脚本:小寺和久、藤井道人
原作:染井為人「正体」
撮影:川上智之
出演:横浜流星、吉岡里帆、森本慎太郎、山田杏奈、前田公輝、田島亮、遠藤雄弥、宮﨑優、森田甘路、西田尚美、山中崇、宇野祥平、駿河太郎、木野花、田中哲司、原日出子、松重豊、山田孝之

「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」(2024年 日本映画)

2024年12月11日 | 映画の感想・批評


 今年も残すところ1ヶ月足らずとなり、改めて1年間が早く過ぎたように感じるのは年をとったせいだろうか。アラン・ドロンに西田敏行、中山美穂と、今年亡くなられた有名人もたくさんいらっしゃるが、4月に92歳で亡くなった世界的に有名なピアニスト、フジコ・ヘミングもその一人。本作は2018年に公開され、ロングランヒットとなった「フジコ・ヘミングの時間」以降の彼女がどのように生きてきたかを、前作と同じ小松荘一良監督が温かいまなざしで描いたドキュメンタリー作品だ。
 フジコ・ヘミングについて、資料をもとに少し説明を加えると、本名はゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。ベルリン生まれで、父はスウェーデン人の画家で建築家のジョスタ・ゲオルギー・ヘミング。母は日本人のピアニスト、大月投網子。フジコが5歳の時、一家で日本にやってきたが、第二次世界大戦が起き、父は祖国スウェーデンに帰されてしまい、その後は弟の大月ウルフと共に母親のもとで育てられる。フジコはその父との思い出を映画の撮影中に一枚の絵に描いている。蓄音機にダンス音楽をかけて2人で踊っているところの絵なのだが、何とも楽しそうで、フジコの父親への思いが自然と伝わってくるようだ。東京芸術大学を卒業後、ストックホルムの大学に入ったのも父を意識してのことだろうし、父が描いたポスターが、横浜にある日本郵船歴史博物館に保存されているということも、口では父のことをあまりよく言わない割には、まんざらでもない様子。昨年開催されたその思い出の地ともいえる横浜でのコンサートは、フジコが一番理想としていたコンサートに仕上がったようだ。フジコと言えば「ラ・カンパネラ」をドラマティックに演奏する姿が印象的なのだが、『赤いカンパネラ』と名付けられたそのコンサートでは、青~紫~赤と変わっていく美しい照明のもと、さらにそこに色を付けていくように弾くピアノの音色を体感できるように構成。その模様は天井からのアングルや手元のクローズアップなど、4Kシネマカメラ17台で捉えた迫力の映像となって現れる。もちろんこのコンサートを演出したのも小松監督だ。
 とにかくフジコが弾くピアノを聴くと、どんな曲でも独特の世界に引き込まれてしまい、陶酔してしまうから不思議。音楽には全く素人の自分でもそれが感じられるのだから本物だ。それはいつの時代でも、どこに暮らしていても、自分らしく生きたフジコだからこそ生み出せる技なのかもしれない。その生き方が様々なエピソードで綴られていて楽しい。世界各所に住む家を持つフジコだが、サンタモニカの家で自然と動物に囲まれて過ごす穏やかな休暇の時期から一転、コロナ禍に入り、フジコは動き出す。まずは東京の阿佐ヶ谷教会での無観客ライブで悲しみに暮れる人々の心を癒やし、続いて戦時中を過ごした疎開先の岡山の小学校で演奏会を開催。77年ぶりに当時自分が練習したピアノを使って子どもたちの前で披露。このピアノ、よくぞ残っていたものだ。さらに横浜でのコンサートを成功させた後は、ついに夢見たパリのコンセルヴァトワール劇場へ。ここは世界の名だたるピアニスト達が目指した劇場。そこでの演奏は、まさに人生の集大成のような趣に満ちていた。ショパンの『幻想即興曲』、ドビュッシーの『月の光』など、聞き慣れた曲だけれどフジコが演奏しているというだけで特別に聴き入ってしまう。90歳を超え、歩くのが不自由になってきたとはいえ、ピアノの前に座った途端見事に動き出す大きな手と長い指。そこには5歳から始めたというピアノの練習を一日も休まず続けているという自信と、それを温かく見守った母親の愛情が重なって見えた。
 “恋する”ピアニストはいくつになっても少女のようなときめきを忘れない。子どもの頃に習ったピアノの先生から始まり、コンサートで一緒になった指揮者や演奏家達をすぐに好きになってしまうのだから・・・、フジコにはピッタリのタイトルかも。演奏会は生の音楽を楽しむ至高の場所。しかし、残念だけれど、音楽はその場で消えてしまうはかないものでもある。もうフジコ・ヘミングの生の演奏は聴くことはできないけれど、映画として残った!!これから先もきっとこの映画を観てフジコ・ヘミングの魅力に浸れる方も多いことだろう。
(HIRO)

監督:小松荘一良
撮影:藤本誠司
出演:フジコ・ヘミング、陣内太蔵、ヴァスコ・ヴァッシレフ、吉永真奈 

「海の沈黙」(2024年 日本映画)

2024年12月04日 | 映画の感想・批評
世界的な画伯田村(石坂浩二)の大々的な回顧展で、一作品が贋作であると画家自身が言い出す。主催者などからはその発表を止められるが、本人が事実を公にしてしまう。その結果、「贋作を市の美術館に高額で買わせた」と汚名をきせられた画商は自死を選んでしまう。そこからこの話が始まる。サスペンスのようだが田村画伯の贋作の犯人はすぐにわかる。周囲から語られるばかりで、その人、津山竜次(本木雅弘)はなかなか登場しない。
田村、津山、田村の妻安奈(小泉今日子)は芸大時代の同期。津山と安奈はかつて恋人同士であった。津山が師である安奈の父の作品に上書きするという事件を起こし、画壇から追放され、今は贋作制作でインターポールからも手配される身。安奈は小樽に潜んでいる津村に会いに行く・・・・・。

配役の実年齢からくる人間関係の不整合さは残念。石坂と本木が師弟関係にしか見えなくて、話に入りづらい。中井貴一が「番頭」として津山に献身的に仕えるのもわかりにくいが贋作を描かせて儲けていたからなのだろう。ただ彼の料理はおいしそうだった。津山のもう一つの仕事である刺青の彫り師、清水美沙の役どころなどなど、?もいっぱい。

安奈の創るろうそくに描かれる顔、病の床につく津山の横で、まさしく涙を流すようにロウが溶け出てくるシーンにはしびれた。本題の絵画以外の小道具にも引き付けられる。本題の絵画は圧巻だ。幼い津山が、荒れ狂う海から戻る両親の為に焚く迎え火、それを海から見つめる幻想のシーン。ようやくその色をキャンバスに描き出し、津山は絶命する。冒頭の田村が回顧展で贋作と自身が判断した作品も素晴らしかった。

「美は美であってそれ以上でもそれ以下でもない」
私自身は美術を鑑賞するしか能のない人間なので、創作者の苦悩は想像だにできないが、これが本作の一番のテーマなのかと、そこは大いに共鳴できた。
大家である田村が贋作を「自分には出せない色、敗北として認める潔さ」も、ある種の心地よさがある。しかし、周囲は大混乱に陥り、死者までだしてしまうのだから、恐ろしい世界だ。

脚本家の巨匠倉本聰が長年にわたって構想した物語、同期デビューの本木雅弘と小泉今日子の共演というのも大きな話題、宣伝になっていた。
事前にチラ見したキネノートレビューに、「倉本聰版の幻の湖か」とあり、「え、これは失敗作なのか?」と逆に興味もわいた。
体調不良の身で観るレイトショー、それでも寝落ちすることなく引き込まれたのはさすが。
滋賀が舞台の「幻の湖」(橋本忍監督、脚本作品、1982年)、よくわからない映画だったなあ。私の見方がおかしかったのではなかったのだと、そっちをまず納得。

清水美沙がロシア風バーで飲むカクテル。砂糖が一つまみ載ったレモンのスライスをほうばり、ブランデーを一気に飲む!お酒とはまったく縁がないけれど、とてもカッコよくて憧れる。あとで調べたら「ニコラシカ」というショートドリンクらしい。
バラライカの生演奏が流れるお店、いかにも北海道、小樽のイメージ。この設定だけでも、十分に大人の世界、昭和のにおいの濃厚な映画だった。
(アロママ)

監督;若松節朗
脚本:倉本聰
撮影:蔦井孝洋
出演:本木雅弘、小泉今日子、石坂浩二、中井貴一、清水美沙