シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「自由の暴力(代償)」(1975年 西ドイツ)

2024年11月27日 | 映画の感想・批評
 「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選2024」の中の1本。1975年に西独で公開され、わが国では翌年に公開されたこの映画の邦題「自由の代償」が今回「自由の暴力」と改題されて再公開されました。少なくともファスビンダーを知る者の間ではすっかり定着していた題名をわざわざ変更する必要があるのかよくわかりません。因みに原題を直訳すると「自由の権利」であり、英語題名を調べると「フォックスとその友人たち」です。
 第二次世界大戦下にゲッペルスによって完全に統制されたドイツ映画界はフリッツ・ラング、ヴィルヘルム・ディターレ、ロベルト・ジオドマク(シオドマク)や若き日のビリー・ヴィルダー(ワイルダ-)、オットー・プレミンガー(プレミンジャー)など多くの逸材を国外に流出させ、戦後の衰退ぶりは目を被うばかりでした。同じ枢軸国でもイタリアや日本の映画が戦後すぐに世界を席巻したのと対照的でした。戦後25年を経て70年代にさっそうと現れたのがファスビンダーを代表とする西独の若き旗手たちで、ニュー・ジャーマン・シネマの幕開けでした。
 1982年に37歳という若さで急死したファスビンダーはなんと44本もの作品を精力的に発表していて、完全燃焼のうちに燃え尽きたのかもしれません。
 ぼくは公開時に見逃していて長らく見たいと切望していた作品なので期待に胸膨らませて見た結果、想像に余りある秀作でした。
 フォックスという芸名で見世物小屋の怪しげな生首男を演じる青年フランツをファスビンダー自身が喜々として演じます。下層階級に育ったこの男は姉の家に居候しているのですが、宝くじで大金を当てて意気揚々です。フランツが家の前で大型車に乗るちょっとイカした中年男に誘惑されてついていく先が豪邸です。そこでは同じ性的指向をもつ男たちが蟠踞している。かくして、フランツの運命はただならぬ方向に進んでゆくのです。このイカした中年男を演じるのはカラヤンと並ぶ名指揮者カール・ベームのせがれです。若い頃はけっこうな美男子でしたが、その名残を感じさせます。
 教養と品位をまとった男たちは無教養で品性に乏しいフランツを最初は見下している。かれらが総じて美男子だから、どちらかというと不細工なフランツは分が悪い。なぜ若いイケメンたちが醜男に群がるのか。それは、フランツが大金をもっているからです。
かれのボーイフレンドとなる製本会社の社長の御曹司などテーブルマナーのひとつひとつをうるさく注意するものだからフランツも食べている気がしない。「太陽がいっぱい」の中で、金持ちのお坊ちゃんフィリップが貧しい青年トム(アラン・ドロン)の魚料理を食べるナイフの持ち方が違うと注意する場面を思い出しました。あるいはまた「暗黒街の女」という映画ではロバート・テイラー扮する孤児から弁護士に登りつめた男が顧問を務める暴力団のボスに食事を誘われて「あんたとは食事をしたくない。食べ方が下品だから」というし、「荒野にて」ではスチーヴ・ブシェミ扮する厩舎経営者が孤児の若者を雇って食事に誘いますが若者のガツガツ食べる姿を見て「二度と俺の前でそういう食い方をするな」と叱る場面があります。食べ方が育ちや品性にあらわれると見るのでしょう。日本映画ではあまりお目にかからない描写です。
 特殊な性行をもつ男たちの世界を舞台に階級問題を痛烈に描いて見せたファスビンダーという異能の天才監督に改めて拍手を送りたいと思います。(健)

原題:Faustrecht der Freiheit
監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
脚本:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、クリスチャン・ホホフ
撮影:ミヒャエル・バルハウス
出演:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ペイター・カテル、カール・ハインツ・ベーム、アドリアン・ホーフェン、クリスティアーネ・マイバッハ

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」(2024年アメリカ映画)

2024年11月20日 | 映画の感想・批評
 架空のアメリカ内戦の話。独裁主義的な大統領に反発して19の州が分離独立を表明し、内戦が勃発したアメリカ合衆国。「西部勢力(WF)」と「フロリダ連合」は政府軍を次々と撃退してワシントンD.C.に迫り、首都は陥落寸前の状態となっていた。戦場カメラマンのリーと記者のジョエルは、大統領に直撃インタビューを行うために、老記者サミーと駆け出し写真家ジェシーを連れてニューヨークからワシントンD.Cに向かう。一行は幾多の困難を乗り越えてワシントンD.Cに到着し、銃撃戦の中、大統領にインタビューすることに成功するのだが・・・

 アメリカ大統領選でトランプが勝利し、分断の危機に瀕しているアメリカを世界は固唾を呑んで見守っている。これからのアメリカはどうなるのか、ウクライナ戦争やガザの虐殺は終息するのか、パリ協定は? NATOは? 人々がトランプの一挙手一投足に注視している今日この頃、この映画に現在のアメリカ社会を見ようとすると期待は外れるかもしれない。良い意味でも悪い意味でも予想を裏切られる映画だった。この作品の構図はアメリカで実際に進みつつある保守VSリベラルという対決ではなく、専制君主のような大統領率いる政府軍VS州連合の反乱軍というもので、両者の対立軸がいま一つはっきりしない。南北戦争(The Civil War)のときは奴隷制度と自由貿易に対する北部と南部の認識の違いが背景にあったが、本作では何が争いの原因になっているのかがわかりにくい。大統領の横暴に反旗を翻しただけなら、必ずしも分断とは言えない。人種的、民族的、社会的、宗教的対立が根底にあるのかどうか。大統領側に黒人がたくさんいることを考えると、白人VS黒人、白人VS有色人種の闘いではないようだし、保守VSリベラルの対立とも言い切れない。アメリカ公開は大統領選の真っ只中である2014年3月14日なので、さすがに現在をリアルに描くことは問題があったのであろうか。対立軸をあやふやにしてリアリティを追求しなかったおかげで、一般公開できたのかもしれない。
 それでも現代のアメリカを描写しているシーンはあった。無政府状態となっている街や村を通過する時、リー達は死体の山や私刑を受けた兵士たちを目撃する。ある村で赤いサングラスをかけた白人の兵士と遭遇する。「What kind of American?(どんな種類のアメリカ人か?)」と詰問され、リー達はそれぞれ出身地であるミズリーやフロリダと答えるが、途中で合流したアジア系のトニーが「香港」と答えると即座に射殺された。ここには中国に対する嫌悪、敵意が露骨に表れていると同時に、白人の有色人種に対する差別感情があるように思う。特に近年増加するヒスパニック系やアジア系に対する嫌悪感が表れている。ミズリーやフロリダ出身のアメリカ人も元々は移民の子孫なのだが、先に来た移民が後から来た移民を締め出そうとする。ヒスパニックの間でも先に来た人たちが後から来た人たちを差別する。アメリカ社会のダークサイドがこのシーンには映し出されている。
 この映画は見方を変えると、駆け出しカメラマンのジェシーの成長物語とも言える。ジェシーは尊敬するリーの後について銃弾が飛び交う戦場に入っていく。興味深いことにジェシーはフィルムカメラを使っていて、現場で現像できるように工夫している。リーは最初から現像の必要がないデジダルカメラを使っている。陰影がより豊かに表現できるフィルムを使っているということは、元々ジェシーは芸術的な写真家を目指していたのだろう。そんなジェシーにリーは現場での自分の姿を見せることにより、戦場カメラマンとは何であるかを無言で教えていく。ジェーシは何度も死ぬような目にあいながらホワイトハウスに突入し、大統領が殺される現場に立ち会うことができた。しかしジェシーの命を守ろうとしたリーは命を落とした。戦場カメラマンの苛酷な現実を端的に描いている。
 この作品は兵士たちがジェシーの構えるカメラに向かって笑うカットで終わる。監督・脚本はイギリス人のアレックス・ガーランドで、ガーランドはアメリカ人が自国の大統領が殺されるストーリーに反感を抱くのを恐れたのではないか。特に外国人が作った映画の場合はなおさらだ。アメリカが見くびられているという反発があるだろう。それ故ラストカットでは「この映画はフィクションです」と言わんばかりに大統領を殺した兵士たちが記念撮影のようにカメラに向かって笑う。劇中で使われている音楽もカントリー&ウェスタンのようなポピュラーソングで悲壮感はまったくない。リアリティを追求しすぎない配慮がここにも施されている。(KOICHI)

原題:Civil War
監督:アレックス・ガーランド
脚本:アレックス・ガーランド
撮影:ロブ・ハーディ
出演:キルスティン・ダンスト  ヴァグネル・モウラ  ケイリー・スピーニー

「アイミタガイ」(2024年 日本映画)

2024年11月13日 | 映画の感想・批評
 式場でウェディングプランナーとして働く梓(黒木華)と、写真家である親友の叶海(藤間爽子)は大の仲良し。そんな中、叶海が海外で事故に巻き込まれ命を落とした。親友の突然の死を受け入れられない梓は、変わらず、叶海にLINEメッセージを送り続ける。一方、叶海の両親の朋子(西田尚美)と優作(田口トモロヲ)は、とある児童養護学校から娘宛てのメッセージカードが届いていることを知る。何かの間違いかと、連絡を取ってみると、生前の娘が取っていた行動に対する返信と分かり、驚きつつも、嬉しく想う。
 ある日、金婚式を担当することになった梓は、ピアノ演奏者探しに苦労していた。叔母の稲垣範子(安藤玉惠)に相談したところ、自分がヘルパーに行っている93歳の小倉こみち(草笛光子)に依頼してみようとなり、自宅に行ったところ、中学時代にいじめから救ってくれた叶海との思い出が蘇ってきた。
 前半は、別軸の話が交互に繰り広げられ、どう繋がるのかが気になっていたが、後半、すべての話が繋がり始める。こみちが弾くピアノの音色は、梓が中学時代にいじめから救ってくれた叶海が、密かに案内してくれた家から奏でられる音色だったのだ。こみちは、戦地に送る隊員を鼓舞する目的でピアノを弾かされていたことを悔やみ、それ以来、弾かなくなったことを伝える(この部分の話だけでも映画が1本出来るかも)が、梓は、自分は、隠れて聞いていたが、その音色に救われた、他の人も同じだと想うという強い気持ちを真正面からぶつけ、こみちを一歩前進させるのである。そして、自分自身も、突然のプロポーズを受け、小山澄人(中村蒼)との結婚を迷っていたところ、朋子からの後押しで、一歩前進していくのである。
 タイトルの「アイミタガイ」は、「相見互い」ということで、“持ちつ持たれつ“となるそうだ。すべての出来事がラストまで細かく繋がり、泣けて楽しめた。人の温かみを感じさせる良質の映画とはこういうことかと思った。
黒木華が役柄にピッタリ。「凛とした姿」という表現が合う。以前の出演作「日日是好日」の印象と重なった。突然のプロポーズにも一度保留し、自分の中で納得いくまで考えるその姿には軸がしっかりしているように思えた。親友の両親役の田口トモロヲと西田尚美も、滅茶苦茶上手かった。娘を突然失った悲しみを抱えつつ、少しずつでも前向きなろうとする姿が印象的だった。また、設定では93歳、実際は91歳の草笛光子の元気な姿にも感動した。未見だが、つい最近の「九十歳。何がめでたい」も観たくなった。
 鑑賞後、元々は、2020年に亡くなった佐々部清監督が準備していた作品と知った。佐々部清監督作品は、ほぼ未見だが、人に優しい監督のように思える。そうでないと、遺志を引き継いでやろうと言い出す人は現われないだろう。作品の中身以外でも、人の繋がりを感じられる作品だった。
(kenya)

監督:草野翔吾
原作:中條てい『アイミタガイ』
脚本:市井昌秀、佐々部清、草野翔吾
撮影:小松高志
出演:黒木華、中村蒼、藤間爽子、安藤玉惠、近藤華、白鳥玉季、吉岡睦雄、松本利夫、升毅、西田尚美、田口トモロヲ、風吹ジュン、草笛光子

「若き見知らぬ者たち」(2024年 日本・フランス・韓国・香港映画)

2024年11月06日 | 映画の感想・批評
 自主映画として制作した「佐々木、イン、マイマイン」(2020年)が国内のみならず海外の映画祭でも評価を得た内山拓也監督の、商業長編デビュー作である。フランス・韓国・香港との共同制作で、各々の国や地域での配給が決まっている。
 風間彩人(磯村勇斗)は亡父の亮介(豊原功補)が遺した借金を返済するために、昼は工事現場で、夜は両親が開いたカラオケバーで働き、自宅と仕事場を自転車で往復するのがほぼ総ての毎日を送っている。自宅では難病を患い、認知機能が衰えている母の麻美(霧島れいか)の介護が待っている。同居の弟・壮平(福山翔大)も借金返済と母の介護を担いながら、総合格闘技の選手として日々練習に明け暮れている。彩人の恋人・日向(岸井ゆきの)は看護師として夜勤もこなしながら、彩人の家に通っては家事や介護をサポートしている。
 ヤングケアラーという言葉に接する機会が最近増えている。この言葉に法律上の定義はないが、日本ケアラー連盟では「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポート等を行っている18歳未満の子ども」と定義。ヤングケアラーは家族の問題を隠そうとするため、周囲の人々はその存在に気付きにくい。ましてや行政や福祉に頼れない頼らない生活は、日々困窮の度合を増していく。本作は、ヤングケアラーにスポットを当てるという内山拓也監督の強い意志を感じる作品である。
 冒頭、タイトルが出る直前のシーンに驚く。自転車で通勤中の彩人が自らのこめかみを拳銃で撃ち抜く。彩人の心象風景なのか、或いは未来の予兆なのか、青空をバックにしたこのシーンは強烈だ。彩人の親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う会の夜、理不尽な暴力と公権力の暴力によって、このシーンは呆気ないほどに現実となる。
 内山拓也監督と主演の磯村勇斗、岸井ゆきの、染谷将太は共に1992年生まれである。偶然だろうか、同世代の仲間が集まって熱量があふれる現場だったのではと想像がふくらむ。
 磯村勇斗は数々の作品で振れ幅の大きな役柄に挑戦し、作品毎に新しい魅力をみせてきた。彩人の腫れぼったい疲れた顔と佇まいは、自らの運命を引き受けて生きてきた人物そのもの。感情を表に出さない岸井ゆきのの静かな存在感も素敵だ。
 作品全体を通して、残念ながら説明不足で分かり辛いところがあるのは否めない。一方で大和の言葉「人間なんて不確かなもの、だから信じるんです」は作品全体を包み込んでいく。彩人亡き後、弟の壮平はタイトル戦で勝利し(この試合場面は迫力満点のシーン)日向は変わらず彩人の家に通っている。ある日の食卓で、母の麻美がほんの微かに笑ったように見えた。傍らの日向もそっと自分のお腹に手を置き、静かに微笑む。食卓に飾られた彩人の写真は見たことのない笑顔である。(春雷)

監督・原案・脚本:内山拓也
撮影:光岡兵庫
出演:磯村勇斗、岸井ゆきの、福山翔大、染谷将太、伊藤空、長井短、東龍之介、松田航輝、尾上寛之、カトウシンスケ、ファビオ・ハラダ、大鷹明良、滝藤賢一、豊原功輔、霧島れいか