シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」(2019年アメリカ映画)

2021年12月29日 | 映画の感想・批評
 主題はきわめて深刻で重たい。環境への関心が高まるなかで、年末年始だからこそ、ちょっと考えてみる機会をもつのもいいことだ。
 トッド・ヘインズは奇しくもこの事件の発端となった1998年に何とも妖艶な「ベルベット・ゴールドマイン」によって瞠目され、近年は米国を代表する心理派ミステリ作家パトリシア・ハイスミズ女史の自伝的小説「キャロル」を映画化して「女同士だって描けるんだぞ」とドヤ顔して見せたのは微笑ましい限りであった。前者も後者もかれが得意とする耽美的・倒錯的エロティシズムによって大向こうを唸らせたが、今回は打って変わったリアリズム描写で見る者の心の琴線にふれた。映画作家としての関心が社会問題にまで広がりつつあるというのは一段と成長した証しであるとすれば、かれを長年見守るファンとしては言祝ぎたい。
 さて、実話の映画化である。
 その1998年のことだ。将来を嘱望され大手法律事務所の役員に昇格したロブ(マーク・ラファロ)を祖母の知人だという農民が訪ねてきて、巨大化学メーカー、デュポンのせいで敷地近くの水源を汚染され、牛が次々に変死していると訴えてくる。役所や地元の弁護士に相談しても、いわばデュポンの企業城下町だから相手にしてもらえないという。ロブのほうだって、もっぱら大企業をクライアントにかかえる法律事務所なので、それを敵に回して闘うなどできないと一旦は断ろうとするのだが、男の農場に行ってみて190頭の牛が変死したと聞かされ、しかもその変質した内臓の冷凍保存された証拠を見せられて俄然正義心が頭をもたげる。そうして訴訟準備に取りかかるのである。
 同社の内部資料等を大量に取り寄せて精査するうちに、たいへんな事実に突き当たるのだ。焦げないフライパンの発明。いわゆるテフロン加工の工程で発がん物質(ペルフルオロオクタン酸=C-8)が生成され、製造ラインの工員たちがガンを発症していたことがわかる。社内調査によって発がん性物質の存在が実証されたにもかかわらず、デュポンはこれを握りつぶして秘匿しつづけていた事実が判明するのである。したがって、有害性を知らない他社ではこのテフロン加工の技術を応用して、いろいろな撥水性の商品を生んで行くのである。何とも恐ろしい話だ。
 妻(アン・ハサウェイ)は元弁護士だが男の子を3人もかかえ、環境問題の訴訟に忙殺されて家庭を顧みなくなった夫に苛立ちを覚えて夫婦仲が悪くなる。
 儲け役は法律事務所のトップに扮したティム・ロビンス。ロブがデュポンを訴えると聞いて当初は及び腰になる。しかし、本格的に訴訟を起こすか否かの経営会議で、保守的な役員連中が大企業を相手に訴訟など非現実的でプラスにならずもってのほかと猛反対するなか、最初黙って聞いていたロビンスが激昂して「話を聞け!」と机を叩く。「不正を見逃すわけにいかん」とロブのサイドに立って承認してしまう場面は圧巻だった。
 この闘いは20年以上もかけて今もまだ続いているという。それにしても、社名を実名で映画化するあたりはいかにもアメリカ的だと妙なところで感心した。(健)

原題:Dark Waters
監督:トッド・ヘインズ
脚本:マリオ・コレア、マシュー・マイケル・カーナハン
撮影:エドワード・ラックマン
出演:マーク・ラファロ、アン・ハサウェイ、ティム・ロビンス、ビル・プルマン、ビル・キャンプ

「梅切らぬバカ」(2021年 日本映画)

2021年12月22日 | 映画の感想・批評


 題名を見てまず思った。この作品はおそらくよく耳にすることわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に由来するものだろう。我が家にも梅の木がある。確かに花が咲く前に思い切って剪定をしておくと、花芽がしっかりついて大きな実ができるように思うが、“梅切らぬ”にはきっと何か訳があるに違いないと。
 やっぱり出てきた大きな梅の木。しかし、庭から枝が大きくはみ出して、道路を塞ぐような格好に。これは切らないと問題になるでしょう。と、その横で散髪をしている母と息子の姿が。息子と言ってももういいおじさんだ。子どもの頃からの習慣なのだろうか。自分も小学生の頃は父親に散髪をしてもらっていたことを思い出す。何とも微笑ましい光景だ。
 息子には自閉症という障がいがあった。毎日決まった時刻に起きて分刻みの行動をとる。この「毎日同じ」ということが大切で、心を落ち着かせるのだ。馬が大好きで、可愛いぬいぐるみを手放せなかったり、近くにある乗馬クラブのポニーが気になったり、体は大きくても、やっていることはまだまだ少年のよう。そんな50歳になる息子を作業所の仕事に送り出した後母親が思ったのは、このまま共倒れになってしまう前に、何とかして息子を自立させてやりたいということ。まずは作業所のオーナーが勧めるグループホームへの入所を試みたのだが・・・。
 母親の珠子を演じるのは、自らも自閉症の家族を抱えているという加賀まりこ。珠子は占い師。何ともいかがわしい感はあるのだが、そのストレートなものの言い方にかえって客は安心するのか、結構流行っているようだ。加賀まりこだからこそできたと思われる強くて優しい母親像。「生まれてきてくれて母ちゃん幸せだよ、ありがとう。」という言葉には、苦労はしたけれども、生きていく上で大切なことを貴方にいっぱい教えてもらったよ、という気持ちがひしひしと伝わってきて胸を打つ。
 忠(ちゅう)さんこと息子の忠男を演じるのはドランクドラゴンの塚地武雅。俳優としても活躍著しい彼は、役作りに非常に熱心で、今回も実際に自閉症の方や家族と接し、あの細やかな演技に活かすことができたという。隣に引っ越してくる里村家との関わりも面白い。庭からはみ出た梅の木や、忠さんのあり得ない行動に困惑する両親と、純真な心で接する小学生の息子・草太。初対面の家族なら当然感じてしまうマイナス方向の感情が、珠子や忠さんと関わるうちにプラスに転じていく様子が小気味よくつながれていく。誰もがそうそう、あるあると思われる日常が、忠さんと関わる作業所やグループホーム、近隣住民たちの言動からも飾り気なく感じ取れ、同じく自閉症を扱ったドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」の編集に関わったという新鋭和島香太郎監督の「障がい」ということに対する真摯な思いが、じわじわと伝わってくる。
 路上にまではみ出す梅の木があってもいいじゃない。ちょっと気をつければ、何も不自由なことはない。毎年美しい花を咲かせ、薬にもなる実をいっぱいつけてくれるのだもの。
(HIRO)
 
監督:和島香太郎
脚本:和島香太郎
撮影:沖村志宏
出演:加賀まりこ、塚地武雅、渡辺いっけい、森口瑤子、斎藤汰鷹(たいよう)、林家正蔵、真魚、高島礼子

「気まま時代」          (1938年 アメリカ映画)

2021年12月15日 | 映画の感想・批評
 フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの共演第8作。大恐慌下のアメリカ人に夢と希望を与え、RKOに莫大な利益をもたらした2人のミュージカル映画は前作「躍らん哉」(37)あたりから興行収入に陰りが見え始め、両人の希望もあり一時的にコンビを解消する。アステアは単独で主演し、ロジャースはミュージカル以外の映画に活路を見いだそうとした。アステアの新しい相手役はダンス経験がほとんどなかったため、興行的にはあまり成功せず、RKOはロジャースとのコンビを再結成して本作「気まま時代」(38)を制作する。巨匠アーヴィング・バーリンが歌曲を担当したが興行成績が芳しくなく、2人の決別は決定的となった・・・というのが映画史家の見方であるが、筆者には本作の脚本は過去の共演7作のどれよりもすぐれているように思える。これまでのアステアとロジャースの映画はどちらかというと歌とダンスを披露することを最優先し、ストーリーは単調でご都合主義的なものが多かった(ミュージカルとは往々にしてそういうものであるが・・・)。ところがこの作品は人物造形やストーリー展開が巧みで、ミュージカルというよりも30年代に流行したスクリューボール・コメデイに近い。
 ちなみに興行収入に陰りが見え、2人が一時的にコンビを解消するきっかけとなったと言われている共演7作目の「躍らん哉」(37)も、脚本は全盛期の「トップハット」(35)「有頂天時代」(36)よりも秀でていると筆者は思っている。ミュージカルの評価は必ずしもストーリーの完成度とは一致しないようだ。
 本作でも歌とダンスのシーンは相変わらず素晴らしいのだが、ミュージカルナンバーは4曲しか入っておらず、上映時間も83分と短く、パフォーマンス・シーンをコンパクトに凝縮した印象がある。それでもアステアがゴルフボールを打ちながら踊るコミカルなダンス、2人が夢の中で踊るロマンチックなダンス、テーブル越えのアクロバチックなダンス、催眠術をかけられたロジャースのエレガントなダンスetc.・・・見どころは満載である。

 精神科医のトニー(アステア)は友人のスティ―ブから婚約者のアマンダ(ロジャース)の診察を頼まれる。ラジオ番組の歌手であるアマンダはスティ―ブから何度もプロポーズを受けているが、どうしても決断ができない。トニーはアマンダの潜在意識をさぐるために夢判断を試みるが、アマンダは本当のことを話さない。実はアマンダは主治医であるトニーを好きになってしまい、夢の中でトニーとキスしたことを言えないでいる。でたらめな夢の内容を告げると、トニーは深刻な精神病であると勘違いしてしまい、麻酔をかけて潜在意識を解明しようとする。事情を知らないスティ―ブはアマンダを病院から連れ出してしまうが、麻酔がかかったままのアマンダはガラスを割ったり、警官を蹴っ飛ばしたり、ラジオ番組でスポンサーの商品をけなしたり・・・とやりたい放題のハチャメチャぶり。
 翌日、落ち着いたアマンダはトニーへの愛を告白するが、トニーは主治医への信頼を愛と勘違いしていると冷たく突き放す。そしてアマンダに催眠術をかけて「私(アマンダ)はスティ―ブを愛している。トニーはひどい人。犬のように射殺されればいい・・・」と潜在意識に刷り込んでしまう。「トニーは私(アマンダ)を愛していない」と吹き込んだ時に、トニーははたと立ち止まり鏡の中の自分と対話する。トニーの潜在意識はトニーにアマンダを愛していることを気づかせる。アマンダは催眠術をかけられたまま診察室から逃げ出してしまい、今度はライフル銃をもってトニーを追い回すのだが・・・

 アステアはこれまでの作品ではそそっかしくて惚れっぽく、ロジャースを追いかけまわす調子のよい男の役が多かったが、今回は仕事一途で女心のわからない堅物の精神科医を演じている。それに対してロジャースはいつもの自立した意志の強い女性と違って、優柔不断で壊れやすい患者の役でアステアに一途な愛を告白する。2人の役柄が入れ替わったかのような感があるが、堅物の精神科医がアマンダへの恋心に気づくところは、この作品のハイライトであり分岐点でもある。これを機に事態はドタバタを交えながら、ラスト・ミニッツ・レスキューに向かって一気に進んでいく。
 興味深いのはフロイトの精神分析がストーリーの底流をなしていることだ。ヒッチコックの「白い恐怖」(45)や「マーニー」(64)、増村保造の「音楽」(72)では精神分析を使ってミステリーの謎解きをしているが、本作は精神分析を揶揄しているようなところがあり、夢判断や潜在意識、催眠術がドタバタ喜劇のネタになっている。アマンダに本当に精神分析が必要であったかどうかも疑問だ。いずれにしても精神分析はエンターテインメント映画との親和性が強いようで、心を病んだ主人公は不安定で危うく、ミステリアスな魅力がある。
 本作はまたアステアとロジャースが初めてキスした映画として知られていて、” I Used to Be Color Blind ”に合わせて踊るダンスの最後でアステアはのけぞるロジャースの体を抱きかかえたままキスをする。このダンスシーンはスローモーション(4倍速の高速度撮影)で撮られているので、唇が触れる程度のものが長いキスになっている。長いと言っても数秒ぐらいで、引きのショットなので表情はわからない。濃厚なキスとはとても言えないのだが、このシーンは2人が初めてキスしたシーンとしてすっかり有名になってしまった。アステアは何故か相手役の女優にキスすることを頑なに拒否していて、アステアとロジャースは本作以前に7作のミュージカル映画にカップル役で出演しているのに、一度もラブシーンがない。当時始まったヘイズコード(映画界の自主規制)のためではなく、あくまでもアステアの意向からである。アステアの妻が共演女優との抱擁シーンをとても嫌がったからだと言われているが、アステア自身はこの噂を強く否定している。本当のところはわからない。ただアステアとロジャースの映画はラブシーンがなくても恋愛映画として何の遜色もない。なぜならダンスを通して2人は愛し合っているからだ。ダンスそのものが愛情表現なのだ。感傷的で月並みなラブシーンは傑出したダンサーには不要だ。(KOICHI)

原題:Carefree
監督:マーク・サンドリッチ
脚本:アラン・スコット アーネスト・パガノ
撮影: ロバート・デ・グラッセ
出演: フレッド・アステア ジンジャー・ロジャース  ラルフ・ベラミー






「モーリタニアン 黒塗りの記録」(2021年 イギリス映画)

2021年12月08日 | 映画の感想・批評
 本作は、無実ながら、アメリカ同時多発テロ9・11の首謀者の一人として、長年、キューバのグアンタナモ収容所で拘束されたタハール・ラヒム演じるモハメドゥ・ウルド・スラヒが書いた手記を基にされている。彼の弁護士役にジュディ・フォスター、軍の弁護をする中佐役をベネディクト・カンバーバッチが演じている。ベネディクト・カンバーバッチは、製作にも名を連ねている。先日、取り上げた「クーリエ 最高機密の運び屋」と似通っている気もする。
 副題の“黒塗りの記憶”にもあるように、2015年に出版されたこの本は、アメリカ政府によって、黒く塗りつぶされていたことから、大ベストセラーになった著作(恥ずかしながら知らなかった)が黒塗りしてあったという事実が、当時何が起こっていたのかを物語っている。政府や軍にとって都合が悪いことであることは容易に察しが付く。
 本作では、その事実を再度知らしめることがメインだと思うが、それ以上に、本作では、ジュディ・フォスターとベネディクト・カンバーバッチの、敵同士でありながらも、どこか通じる部分を感じる、その人と人との温かみを描いているところがとても良かった。ラストの二人の表情もとても良かった。グアンタナモでの人間として扱われない状況との対比で、映画全体をドキュメンタリー要素が強くせず、バランス良く仕上がっていたと思う。
 と、少し前置きが長くなったが、なんといっても、私はジュディ・フォスターがスクリーンで観られたのが嬉しかった。映画の中身も面白そうと思ったが、それ以上に、一番の目的は彼女だった。私が学生の頃、映画を観始めた頃に、何度も観た記憶がある。プロフィールでは来年還暦。監督もやって、まだまだ衰えない。初めて、グアンタナモ収容所に行った際のサングラス姿は颯爽としつつも幾分かの不安があり、とうとうここに来てしまった、もう後戻りは出来ないといった覚悟を感じて、その姿に身震いした。
 モハメドゥ・ウルド・スラヒの手記を発刊した時の気持ちを代弁していたのかも。飛躍し過ぎかもしれませんが。
(kenya)

原題:The Mauritanian
監督:ケヴィン・マクドナルド
脚本:M・B・トラーヴェン、ローリー・ヘインズ、ソフラブ・ノシルヴァン
撮影:アルウィン・H・カックラー
出演:ジュディ・フォスター、タハール・ラヒム、ザカリー・リーヴァイ、サーメル・ウスマニ、シェイリーン・ウッドリー、ベネディクト・カンバーバッチ

「ミュジコフィリア」(2021年 日本映画)

2021年12月01日 | 映画の感想・批評
 京都を舞台にした作品である。これまでにも京都を舞台にした数多の作品が生まれているが、今回初めてロケ地に選ばれた泉涌寺仏殿と無鄰庵が見ものである。近年は観光地として知られているが、地元の人が愛し頻繁に足を運ぶ場所である。この地を選んだ制作者の判断がいい。
 京都の町と学生、この組合せは定番だ。「京都の町で石を投げたら学生に当たる」と昔から言われてきた。改めて聞くと物騒な表現だが、全国から多くの学生が集まり学生に愛され、町の人も学生を大切にしてきた喩えである。学生と京都の町は相性がいい。 
 原作はコミック本の音楽シリーズ三部作の完結作。京都の芸術大学に入学した朔(井之脇海)が現代音楽研究会というちょっと風変りなサークルに入ったところから物語は始まる。サークルには個性的な教授や学生達が集まり、その中には著名な作曲家の息子で将来を期待されている大成(山崎育三郎)がいた。大成と朔は異母兄弟で、子どもの頃には仲良く遊んだ間柄である。しかし、朔は父と兄へのコンプレックスから、自分の才能や音楽からも遠ざかろうとしていた。そんな朔の傍らにはピアノ科の凪(松本穂香)がいた。
 今作が長編映画初主演の井之脇海は京都弁も違和感なく安定感がある。ピアニスト役の経験もあり演奏はなめらかだ。撮影中も宿泊先にピアノを入れ練習したと聞き、意気込みも半端ではない。山崎育三郎はミュージカルのみならず俳優としての活躍も目覚しい。ピアノは勿論のことオーケストラの指揮場面も堂に入って、この役にはまっている。演者が自ら演奏し、かつ水準も高く本物への拘りが強い。松本穂香も初めて歌声を披露。彼女の声には不思議な透明感があり、自転車を漕ぎながら歌うシーンに、彼女は朔だけでなく、この作品のミューズ(女神)なのではと思わせるものがあった。
 京都ゆかりの出演者の顔ぶれが嬉しい。北山修を筆頭に、かつてドラマで土方歳三のイメージを定着させた栗塚旭や、ミュージシャンの大塚まさじ等が若い俳優達を温かく包み込んでいる。制作側も京都色が濃い。監督は寺町三条という中心部の生まれ育ち。脚本家は大阪出身だが大学から京都に移り住み、以来チャップリンの研究を続けている。作品中にチャップリンが隠れていないかと探す面白さがあった。京都市の全面協力のもとに制作されており、門川大作市長が恒例の着物姿で1カットだけ出演というおまけも付いている。
 ラストシーンが清々しい。賀茂川の中洲で即興演奏をする朔の顔が晴れ晴れとし、その姿に生命の輝きが...。この時、大成の言葉「人は死ぬけど音楽は残る」が蘇り、この映画の主人公は他でもない賀茂川だと気づいた。悠久の昔から、生老病死、人々の営みを見守り続けてきた賀茂川こそが真の主人公ではないかと。
 グランドピアノをクレーンで吊り上げ、大人5人がかりで中洲まで運んだという、その発想と労力に敬意を表したい。(春雷)

[付記]かも川は市街を南北に流れる川。場所によって表記が変わる。上流は賀茂川と高野川の2本に分かれており、出町柳で合流し鴨川となる。この作品は主に上流で撮影されていると思われるので、賀茂川の表記で統一した。ちなみに地元の人は加茂川と表記することがある。

監督:谷口正晃
脚本:大野裕之
原作:さそうあきら
撮影:上野彰吾
出演:井之脇海、松本穂香、川添野愛、阿部進之介、石丸幹二、濱田マリ、神野三鈴、山崎育三郎