いうまでもなくゼウスとはギリシャ神話に登場する万能の神である。映画では司法の審判者たる裁判官を象徴している。個々の案件をきめ細かく調査・分析することなく、判例主義によって画一的・効率的に判決を出す現行司法制度に鋭く切り込んだ力作である。
高橋玄監督は、警察を内部告発して行き場を失う末端の警官を描いた「ポチの告白」という3時間あまりに及ぶ問題作があった。社会派のテーマを正面に掲げて正攻法で勝負する人で、たとえば現在公開中の中村義洋監督「白ゆき姫殺人事件」の舌を巻くほどうまい話術の妙には遠く及ばないのだが、ところどころもたつきながらも、ぐっと惹きつけて離さない何かがある。
しがない食料品店の倅が現行司法に疑問を抱いて勉学に勤しみ司法試験に合格する。裁判官に任官するころにはすっかり牙を抜かれて、上司にも気に入られ、家柄のよい地方の娘(小島聖)と婚約しているという設定だ。これを塩谷瞬が演じていて、役柄がそういうこともあってずいぶん感情のこもらない物言いだなあと思っていたら、クレジット・タイトルで吹替だと知った。撮影中に二股交際のスキャンダルが発覚したこともあり、塩谷のイメージを払拭するために急遽吹替にしたと、ネットで監督が語っていたのには失礼ながら吹き出してしまったが、いや塩谷瞬はよく健闘している。
ところで、塩谷の婚約者は、かれが多忙にかまけて相手にしないので大学の同窓会で再開した男と浮気を始めるが、過って男を転落死させてしまう。ここまでが少し長いのだけれど、このあとが映画のハイライト。塩谷の上司は裁判所始まって以来の不祥事だと息巻くし、司法を改革しようと退官した先輩判事(野村宏伸)が弁護士を引き受け、対する検事は元の同僚判事という中で、塩谷は自分を裏切った婚約者の法廷で彼女に審判を下す役割を申し出るのだ。
果たして裁判の行方はどうなるのか。周囲が固唾を呑む中で粛々と審理は進んで行く。 (けん)
監督:高橋玄
脚本:高橋玄
撮影:石倉隆二
出演:小島聖、野村宏伸、塩谷瞬、出光元、宮本大誠
高橋玄監督は、警察を内部告発して行き場を失う末端の警官を描いた「ポチの告白」という3時間あまりに及ぶ問題作があった。社会派のテーマを正面に掲げて正攻法で勝負する人で、たとえば現在公開中の中村義洋監督「白ゆき姫殺人事件」の舌を巻くほどうまい話術の妙には遠く及ばないのだが、ところどころもたつきながらも、ぐっと惹きつけて離さない何かがある。
しがない食料品店の倅が現行司法に疑問を抱いて勉学に勤しみ司法試験に合格する。裁判官に任官するころにはすっかり牙を抜かれて、上司にも気に入られ、家柄のよい地方の娘(小島聖)と婚約しているという設定だ。これを塩谷瞬が演じていて、役柄がそういうこともあってずいぶん感情のこもらない物言いだなあと思っていたら、クレジット・タイトルで吹替だと知った。撮影中に二股交際のスキャンダルが発覚したこともあり、塩谷のイメージを払拭するために急遽吹替にしたと、ネットで監督が語っていたのには失礼ながら吹き出してしまったが、いや塩谷瞬はよく健闘している。
ところで、塩谷の婚約者は、かれが多忙にかまけて相手にしないので大学の同窓会で再開した男と浮気を始めるが、過って男を転落死させてしまう。ここまでが少し長いのだけれど、このあとが映画のハイライト。塩谷の上司は裁判所始まって以来の不祥事だと息巻くし、司法を改革しようと退官した先輩判事(野村宏伸)が弁護士を引き受け、対する検事は元の同僚判事という中で、塩谷は自分を裏切った婚約者の法廷で彼女に審判を下す役割を申し出るのだ。
果たして裁判の行方はどうなるのか。周囲が固唾を呑む中で粛々と審理は進んで行く。 (けん)
監督:高橋玄
脚本:高橋玄
撮影:石倉隆二
出演:小島聖、野村宏伸、塩谷瞬、出光元、宮本大誠