民主主義というのは、
共通の幸福を求めて、
足の弱い者も強い者も一緒に、
手をとりあっていくことです。
しかし、
それではじれったい気がして、
他をだしぬいて人の先へ出ようとする者が多い。
そしてそれが幸福を手に入れる手段であると考えている人も多い。
人の邪魔をするからみんなに憎まれる。
憎まれるほどでなくてもよくは思わない。
「あいつ、要領よくやっていやがる。」とか
「ずる賢い奴」などとかげ口をきかれる者が、
どの学級、どこの職場にも一人や二人はいるものですが、
そういうことをしてみても、
どれだけ得をするか疑問です。
人からそねまれたり憎まれたりするだけ、
結果において損をすることが多いのではないでしょうか。
競争は競争でしないわけにいかないが、
それは努力や工夫によってするもので、
人を出しぬいたり
人をおしのけたりしてまで先を争うべきではないと思います。
そういう行き方は人のうらみを買うばかりでなく、
人の先に出ることをいそぐあまり、
計画もなしに先走るとか、
自分の能力も考えないでやり過ぎるとかして、
つまずいたり失敗したりしやすいように感じます。
それよりも、
人が先をいそぐなら、
そのいそぐ人たちに一歩をゆずり、
道をあげて人を通してやって、
そのあとから堅実な歩みを進めるほうがまちがいがなく、
生きやすい生き方です。
「どうぞ、お先へ。」と道をゆずる方が、
よく踏みかためられた道をいくことになって、
茨と思われた道も楽に通れることがあります。
人にゆずってばかりいたら、
いつも人に負け、
自分を伸ばす生き方ができないと思うかもしれませんが、
人生は先を争うことによって決まる勝負ではありません。
本当に実力があれば
人と先を争ったりする必要はありません。
先とかあととかいうことなしに、
実力は実力相応の美を結びます。
その実力を養うにも堅実に生きることで、
先を争うような生き方では実力が培われません。
「どうぞ、お先へ。」といって、
人に一歩をゆずるのは、
まぬけた生き方に見えても、
実力はかえってそれを効果的にするし、
実力があってこそ人に一歩をゆずることができ、
それは人の好感を得ないでいないから、
人に好かれて毎日を楽しく生きる生き方です。
共通の幸福を求めて、
足の弱い者も強い者も一緒に、
手をとりあっていくことです。
しかし、
それではじれったい気がして、
他をだしぬいて人の先へ出ようとする者が多い。
そしてそれが幸福を手に入れる手段であると考えている人も多い。
人の邪魔をするからみんなに憎まれる。
憎まれるほどでなくてもよくは思わない。
「あいつ、要領よくやっていやがる。」とか
「ずる賢い奴」などとかげ口をきかれる者が、
どの学級、どこの職場にも一人や二人はいるものですが、
そういうことをしてみても、
どれだけ得をするか疑問です。
人からそねまれたり憎まれたりするだけ、
結果において損をすることが多いのではないでしょうか。
競争は競争でしないわけにいかないが、
それは努力や工夫によってするもので、
人を出しぬいたり
人をおしのけたりしてまで先を争うべきではないと思います。
そういう行き方は人のうらみを買うばかりでなく、
人の先に出ることをいそぐあまり、
計画もなしに先走るとか、
自分の能力も考えないでやり過ぎるとかして、
つまずいたり失敗したりしやすいように感じます。
それよりも、
人が先をいそぐなら、
そのいそぐ人たちに一歩をゆずり、
道をあげて人を通してやって、
そのあとから堅実な歩みを進めるほうがまちがいがなく、
生きやすい生き方です。
「どうぞ、お先へ。」と道をゆずる方が、
よく踏みかためられた道をいくことになって、
茨と思われた道も楽に通れることがあります。
人にゆずってばかりいたら、
いつも人に負け、
自分を伸ばす生き方ができないと思うかもしれませんが、
人生は先を争うことによって決まる勝負ではありません。
本当に実力があれば
人と先を争ったりする必要はありません。
先とかあととかいうことなしに、
実力は実力相応の美を結びます。
その実力を養うにも堅実に生きることで、
先を争うような生き方では実力が培われません。
「どうぞ、お先へ。」といって、
人に一歩をゆずるのは、
まぬけた生き方に見えても、
実力はかえってそれを効果的にするし、
実力があってこそ人に一歩をゆずることができ、
それは人の好感を得ないでいないから、
人に好かれて毎日を楽しく生きる生き方です。