今日も晴れ。
最近、よく晴れが続く。
明日あたりからくもりと雨らしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d3/e8f57ace2d00213be19c3fb545483feb.jpg)
明日は「父の日」ですよね。
今年は6/17。
実は17日というのは、
ちょうど30年前に、
私がキリスト教会に行って、
信仰の決心をした日なのですよ!
1982年なので、ちょうど30年!
早かった~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hawaii_rainbow.gif)
私は、それまで、家で、一人で聖書を読み、
自分なりの祈りをしていたんです。
つまり、教会には行っていなかったの。
どうしてかっていうと・・・
私は教会に行く前に、「エホバの証人」で
勉強していた、いわゆる「研究生」だったわけ。
(教会で言うと「求道者」かな。)
話が前後してややこしくなるけれど、
私は、エホバの証人に加わる前に、
「塩狩峠」の映画を観て、
それから聖書や信仰書を読んで、
信仰が与えられていたんです。
でも、教会がどういう所かわからないし、
一人では行きたくないし、不安。
家に誰か来て、聖書を一緒に読んで欲しいなって、
勝手な事を思って、祈っていたら・・・
エホバの証人の訪問。
わかります?その時の私の気持ち・・・
まさに、神様に祈りが聞かれたって
思いましたよ。
それで、私はエホバの証人と、個人的に
聖書研究をすることになりました。
定期的に、その団体の女性の方は、娘さんとともに
自宅に来て、熱心に教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/0a/23c15c404ea5c256a8a24a9316cf9dab.jpg)
それから数ヶ月・・・
私は、エホバの証人の方の親切さや丁寧さ、
感じ良さには、とても好感が持てましたが、
それと反比例するように、教会批判のすごさには
何か違和感を感じ始めていました。
でも、そこを去る決定的な要因には
なりませんでした。
更に数ヶ月学びを続けるうちに、
私が聖書の内容の意図するところと、
彼女たちの言う教理の間に、
何かとても隔たりを感じ始めました。
それは、救いというのは、人間の活動や努力に
よるべきものであって、単に神様の恵みだけでは
救われない・・・というものでした。
だから、自分がいくら必死に神様を求めて、
信仰心を燃やしたところで、
たとえば伝道活動や奉仕をたくさんしないと、
天国に入れるとは言えないと言われました。
では、どのくらい私は活動をしなくては救われないのか、
この質問に対しては、彼女たちは、こう言いました。
「自分たちでさえ、天国に行ってみないと、
救われているのかわかりません。」と。
私がエホバの証人をやめる
決定的な理由の一つになりました。
そして、輸血の禁止、武道の禁止、
誕生日を祝うことの禁止、クリスマスを
祝うことの禁止、投票の禁止・・・・
ありとあらゆる禁止の数々。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book2.gif)
私は、エホバの証人をやめたとき、
その女性に、気を遣って言いました。
「私はこの団体をやめますが、
また機会があったら、お尋ねするかも
しれません・・・」
ところが、この方は、
「私たちはそんなに暇じゃないから、
もうここには来ません。教会に行くのならどうぞ。
教会はステンドグラスがあるし、きれいですよね・・・」
皮肉られたと思いました。
でも、そのせいか、
すっきりして離れることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/win_night.gif)
私はそこからもうどうしていいか
わからなくなり、夜も祈っていました。
教会はエホバの証人から聞いたとおりだとすると
偽善的で、聖書には全く従ってなくて、
悪魔の手先・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ea/fa41ae9ec5b6a264cf137fbc211fd9dc.jpg)
そんな時、私の大学にもクリスチャン達が
数人いたことを思い出しました。
彼女たちは、私とは親しい関係ではありませんでしたが、
ちょうどその頃、私に、教会の集会案内を
渡してくれました。
彼女たちが、どうして私にチラシをくれたのか、
未だにわかりませんが、神様的には、
まさに「時」でしたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
私が行った教会の集会は、なんと「婦人会」です。
どうしても大学の講義の時間が都合悪くて、
そこしか行けなかったんです。
でも、これを逃せば、もう二度と教会の門を
くぐれないと思ったので、
勇気を振り絞って、一人で行きました。
そして、当時30年前の6/17午後12時頃、
ダビデ・マーチン宣教師の促しに応えて、
信仰の告白と祈りをしました。
(信仰に至った詳しい内容は今回は省略。)
あれから30年。
あの日、教会に行った午前の不安と、
教会から出て来たお昼の時間の気持ちの高揚感の差。
私は、講義の都合で、婦人会のおいしいごちそうをよそに、
さっさと教会を出て、友人達(ノンクリの)のいる
教室へと戻りました。
そして、友人の一人は言いました。
「あなたいつもとちょっと違うね・・・」って。
それもそのはず、私は友人に事の次第を話しました。
友人はきょとん・・・でしたが、
私を理解して、その後はクリスチャンとして
見てくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eto_hitsuji.gif)
聖書に出会い、イエス様に出会い・・・
そして、すぐに教会につながるなんていうことは、
意外と奇蹟に近いのかもなと思います。
だって、みんながみんな、
教会に行ってから救われるのではないし、
私のような経路をたどる人はいますよね。
途中、異端の宗教に間違えて行く人は多いのよ。
気づかないからね。
しらないからね。
だから祈りの一つに加えて欲しいと思う事は、
イエス様に出会った後、確実に正統的な教会に
導かれるようにという祈り。
ここあでした。
最近、よく晴れが続く。
明日あたりからくもりと雨らしいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d3/e8f57ace2d00213be19c3fb545483feb.jpg)
明日は「父の日」ですよね。
今年は6/17。
実は17日というのは、
ちょうど30年前に、
私がキリスト教会に行って、
信仰の決心をした日なのですよ!
1982年なので、ちょうど30年!
早かった~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hawaii_rainbow.gif)
私は、それまで、家で、一人で聖書を読み、
自分なりの祈りをしていたんです。
つまり、教会には行っていなかったの。
どうしてかっていうと・・・
私は教会に行く前に、「エホバの証人」で
勉強していた、いわゆる「研究生」だったわけ。
(教会で言うと「求道者」かな。)
話が前後してややこしくなるけれど、
私は、エホバの証人に加わる前に、
「塩狩峠」の映画を観て、
それから聖書や信仰書を読んで、
信仰が与えられていたんです。
でも、教会がどういう所かわからないし、
一人では行きたくないし、不安。
家に誰か来て、聖書を一緒に読んで欲しいなって、
勝手な事を思って、祈っていたら・・・
エホバの証人の訪問。
わかります?その時の私の気持ち・・・
まさに、神様に祈りが聞かれたって
思いましたよ。
それで、私はエホバの証人と、個人的に
聖書研究をすることになりました。
定期的に、その団体の女性の方は、娘さんとともに
自宅に来て、熱心に教えてくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/0a/23c15c404ea5c256a8a24a9316cf9dab.jpg)
それから数ヶ月・・・
私は、エホバの証人の方の親切さや丁寧さ、
感じ良さには、とても好感が持てましたが、
それと反比例するように、教会批判のすごさには
何か違和感を感じ始めていました。
でも、そこを去る決定的な要因には
なりませんでした。
更に数ヶ月学びを続けるうちに、
私が聖書の内容の意図するところと、
彼女たちの言う教理の間に、
何かとても隔たりを感じ始めました。
それは、救いというのは、人間の活動や努力に
よるべきものであって、単に神様の恵みだけでは
救われない・・・というものでした。
だから、自分がいくら必死に神様を求めて、
信仰心を燃やしたところで、
たとえば伝道活動や奉仕をたくさんしないと、
天国に入れるとは言えないと言われました。
では、どのくらい私は活動をしなくては救われないのか、
この質問に対しては、彼女たちは、こう言いました。
「自分たちでさえ、天国に行ってみないと、
救われているのかわかりません。」と。
私がエホバの証人をやめる
決定的な理由の一つになりました。
そして、輸血の禁止、武道の禁止、
誕生日を祝うことの禁止、クリスマスを
祝うことの禁止、投票の禁止・・・・
ありとあらゆる禁止の数々。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book2.gif)
私は、エホバの証人をやめたとき、
その女性に、気を遣って言いました。
「私はこの団体をやめますが、
また機会があったら、お尋ねするかも
しれません・・・」
ところが、この方は、
「私たちはそんなに暇じゃないから、
もうここには来ません。教会に行くのならどうぞ。
教会はステンドグラスがあるし、きれいですよね・・・」
皮肉られたと思いました。
でも、そのせいか、
すっきりして離れることができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/win_night.gif)
私はそこからもうどうしていいか
わからなくなり、夜も祈っていました。
教会はエホバの証人から聞いたとおりだとすると
偽善的で、聖書には全く従ってなくて、
悪魔の手先・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ea/fa41ae9ec5b6a264cf137fbc211fd9dc.jpg)
そんな時、私の大学にもクリスチャン達が
数人いたことを思い出しました。
彼女たちは、私とは親しい関係ではありませんでしたが、
ちょうどその頃、私に、教会の集会案内を
渡してくれました。
彼女たちが、どうして私にチラシをくれたのか、
未だにわかりませんが、神様的には、
まさに「時」でしたね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
私が行った教会の集会は、なんと「婦人会」です。
どうしても大学の講義の時間が都合悪くて、
そこしか行けなかったんです。
でも、これを逃せば、もう二度と教会の門を
くぐれないと思ったので、
勇気を振り絞って、一人で行きました。
そして、当時30年前の6/17午後12時頃、
ダビデ・マーチン宣教師の促しに応えて、
信仰の告白と祈りをしました。
(信仰に至った詳しい内容は今回は省略。)
あれから30年。
あの日、教会に行った午前の不安と、
教会から出て来たお昼の時間の気持ちの高揚感の差。
私は、講義の都合で、婦人会のおいしいごちそうをよそに、
さっさと教会を出て、友人達(ノンクリの)のいる
教室へと戻りました。
そして、友人の一人は言いました。
「あなたいつもとちょっと違うね・・・」って。
それもそのはず、私は友人に事の次第を話しました。
友人はきょとん・・・でしたが、
私を理解して、その後はクリスチャンとして
見てくれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eto_hitsuji.gif)
聖書に出会い、イエス様に出会い・・・
そして、すぐに教会につながるなんていうことは、
意外と奇蹟に近いのかもなと思います。
だって、みんながみんな、
教会に行ってから救われるのではないし、
私のような経路をたどる人はいますよね。
途中、異端の宗教に間違えて行く人は多いのよ。
気づかないからね。
しらないからね。
だから祈りの一つに加えて欲しいと思う事は、
イエス様に出会った後、確実に正統的な教会に
導かれるようにという祈り。
ここあでした。