ここあコテージ

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私の信仰決心日

2012-06-16 13:36:12 | 回想
今日も晴れ。

最近、よく晴れが続く。
明日あたりからくもりと雨らしいです。




明日は「父の日」ですよね。
今年は6/17。


実は17日というのは、
ちょうど30年前に、
私がキリスト教会に行って、
信仰の決心をした日なのですよ!


1982年なので、ちょうど30年!
早かった~






私は、それまで、家で、一人で聖書を読み、
自分なりの祈りをしていたんです。

つまり、教会には行っていなかったの。


どうしてかっていうと・・・


私は教会に行く前に、「エホバの証人」で
勉強していた、いわゆる「研究生」だったわけ。
(教会で言うと「求道者」かな。)


話が前後してややこしくなるけれど、
私は、エホバの証人に加わる前に、
「塩狩峠」の映画を観て、
それから聖書や信仰書を読んで、
信仰が与えられていたんです。


でも、教会がどういう所かわからないし、
一人では行きたくないし、不安。

家に誰か来て、聖書を一緒に読んで欲しいなって、
勝手な事を思って、祈っていたら・・・


エホバの証人の訪問。


わかります?その時の私の気持ち・・・


まさに、神様に祈りが聞かれたって
思いましたよ。


それで、私はエホバの証人と、個人的に
聖書研究をすることになりました。
定期的に、その団体の女性の方は、娘さんとともに
自宅に来て、熱心に教えてくれました。





それから数ヶ月・・・


私は、エホバの証人の方の親切さや丁寧さ、
感じ良さには、とても好感が持てましたが、
それと反比例するように、教会批判のすごさには
何か違和感を感じ始めていました。


でも、そこを去る決定的な要因には
なりませんでした。


更に数ヶ月学びを続けるうちに、
私が聖書の内容の意図するところと、
彼女たちの言う教理の間に、
何かとても隔たりを感じ始めました。


それは、救いというのは、人間の活動や努力に
よるべきものであって、単に神様の恵みだけでは
救われない・・・というものでした。

だから、自分がいくら必死に神様を求めて、
信仰心を燃やしたところで、
たとえば伝道活動や奉仕をたくさんしないと、
天国に入れるとは言えないと言われました。


では、どのくらい私は活動をしなくては救われないのか、
この質問に対しては、彼女たちは、こう言いました。
「自分たちでさえ、天国に行ってみないと、
救われているのかわかりません。」と。


私がエホバの証人をやめる
決定的な理由の一つになりました。

そして、輸血の禁止、武道の禁止、
誕生日を祝うことの禁止、クリスマスを
祝うことの禁止、投票の禁止・・・・
ありとあらゆる禁止の数々。




私は、エホバの証人をやめたとき、
その女性に、気を遣って言いました。

「私はこの団体をやめますが、
また機会があったら、お尋ねするかも
しれません・・・」


ところが、この方は、
「私たちはそんなに暇じゃないから、
もうここには来ません。教会に行くのならどうぞ。
教会はステンドグラスがあるし、きれいですよね・・・」

皮肉られたと思いました。


でも、そのせいか、
すっきりして離れることができました。




私はそこからもうどうしていいか
わからなくなり、夜も祈っていました。


教会はエホバの証人から聞いたとおりだとすると
偽善的で、聖書には全く従ってなくて、
悪魔の手先・・・





そんな時、私の大学にもクリスチャン達が
数人いたことを思い出しました。

彼女たちは、私とは親しい関係ではありませんでしたが、
ちょうどその頃、私に、教会の集会案内を
渡してくれました。


彼女たちが、どうして私にチラシをくれたのか、
未だにわかりませんが、神様的には、
まさに「時」でしたね。




私が行った教会の集会は、なんと「婦人会」です。

どうしても大学の講義の時間が都合悪くて、
そこしか行けなかったんです。


でも、これを逃せば、もう二度と教会の門を
くぐれないと思ったので、
勇気を振り絞って、一人で行きました。


そして、当時30年前の6/17午後12時頃、
ダビデ・マーチン宣教師の促しに応えて、
信仰の告白と祈りをしました。

(信仰に至った詳しい内容は今回は省略。)


あれから30年。


あの日、教会に行った午前の不安と、
教会から出て来たお昼の時間の気持ちの高揚感の差。


私は、講義の都合で、婦人会のおいしいごちそうをよそに、
さっさと教会を出て、友人達(ノンクリの)のいる
教室へと戻りました。


そして、友人の一人は言いました。
「あなたいつもとちょっと違うね・・・」って。


それもそのはず、私は友人に事の次第を話しました。
友人はきょとん・・・でしたが、
私を理解して、その後はクリスチャンとして
見てくれました。




聖書に出会い、イエス様に出会い・・・

そして、すぐに教会につながるなんていうことは、
意外と奇蹟に近いのかもなと思います。


だって、みんながみんな、
教会に行ってから救われるのではないし、

私のような経路をたどる人はいますよね。
途中、異端の宗教に間違えて行く人は多いのよ。


気づかないからね。
しらないからね。


だから祈りの一つに加えて欲しいと思う事は、
イエス様に出会った後、確実に正統的な教会に
導かれるようにという祈り。



ここあでした。











































8月も終わり

2011-08-30 16:24:34 | 回想
明日で8月もおしまい。
暑かった日半分、涼しかった日半分。

この1ヶ月はあっという間でした。

とうとう夏休みもとらないうちに(あくまでもとらなかったんです。)8月は去ろうとしています。でも、そんなに疲れていないのは、暑さにも慣れ、それなりに楽しく過ごせたせいですね、きっと。

最近赤とんぼをやっと1匹見かけて、やはり秋が来たんだと思いました。

夏はかなり苦手です。
でも、去っていくと何故か後ろ髪を引かれる思いでいるのです。毎年のように。
何でなのかわかりません。人間の身勝手な部分ですかね。

それとも、これから涼しくなるから、安心感が増して、心が夏に対して寛容になるんでしょうかね。不思議です。

はぎです。

きょうは、昨日までの礼拝の学びで悔い改めさせられたせいか、朝いちの祈りの中に、「今日の一日を神様から頂いた時間として、主のために過ごさせて下さい。」って祈っていたんです。

そのせいでしょうか?
午前中、ある方にたまたま事務的用で電話をかけたら、そこから2時間半以上話し込みました。(長電話が好きです、わたし。あれ?それは神様の時間を盗んでいる?)

いえいえ、今日の場合、結果的にその方の心の中に整理されずにいた事柄を、ご自身が語る中で整理されて、私はただ「ふん、ふん」と聴いていただけでした。
後で受話器を置いた時、ふと朝の祈りを思い出して、これは神様から出ていたんだ、と確信しました。
私もまた、その方からいろいろな神様のなして下さった事を聴いて、本当に嬉しかったし、共に主に感謝したんです。

きのうの講義の中で印象的だったのは、夫婦で夕日を眺めながら、共に主を仰ぎ、同じ時間を共有するのも礼拝だと教えられた事です。


なかなか毎日の忙しさの中で、夫婦でゆっくりと過ごす時間すらない事が多くて、たぶんどこの牧師夫婦も似たような感じがあると聞きます。

まして、夕日を眺められるのはごく数分の事。(ま、朝日でもいい。それに太陽に限らないけれど。)

そんな貴重な時間を過ごせたらと、ある種詩的な感じのする風景を想像して見るも、相手にその気がなければ、それも成り立ちませんよね・・・。

そこがお互いの譲り合いなのでしょうか。それとも受け入れ合いなのでしょうか。はたまた献身の心なんでしょうか。

結婚生活23年。夕日がきれいだとうわさの西海岸が見たいと最近リクエストしたけれど、あっさり断られ、焼きイカに取って代わってしまった連れには、やはり花より団子なのでした・・・。とほほ・・・。

まあ、いつか必ず西海岸の夕日を見よう!と相手から誘われる日を待ちつつ、過ごすことにしましょうかねえ。(主、許したまわば運転ができているうちに、ね。)

だらだらと書きました。
明日は8月末日の水曜です。
お花の教室と祈祷会があります。

ここあでした。










10年前のカプセル掘り

2011-08-13 08:43:46 | 回想
12日のきのう、娘が帰省しました。
忙しい中の帰省なので、来週早々には帰っていきます。

この日、娘は、10年前に小学校に埋めた「タイムカプセル」を掘り出す行事に参加。
娘は、小学校3年の時、北海道から転校してきて。卒業まで在籍。その後は、みんなと別の中学へ入学。娘は転校の多い人生でした。

10年前と小学校のたたずまいは変わらず、古くて、懐かしかったけれど、子供も減り、小動物も減り、活気もなくなっているとのこと。がっかりしています。








タイムカプセルの中身は、10年後の自分への「手紙」、ポケモンカードと本、なぜか習字の作品、それと両親からの「手紙」など。

(この両親からの手紙は、私も連れも、とても恥ずかしくて見ていません。私も覚えていないのですが、4枚も書いたそうですよ、訓示を垂れて・・・。ひゃ~、捨ててくれ~。そしたら、娘が曰く「お母さんは昔「ようちえんのせんせい」だったんだからしようがないよ」だって。」うっ・・・。)

ひさしぶりに会った友人達としばしの交わりを楽しんで帰ってきました。

これから娘は就活や卒論などにいそしみ、暑い夏を乗り切ります。
どうぞ就職が与えられるようにお祈りを!

それにしても10年なんて、「あっ」という間ですよね。

そういえば、10年後の自分への手紙の中に「10年後、わたしは主婦になってますか?それとも放浪生活をしてますか?」ってありましたよ。

来年は是非放浪してませんよーに・・・。

ここあでした。




弘前の喫茶「ひまわり」

2011-01-29 14:24:55 | 回想
きょうもマイナス日で寒いです。
でも、大雪ではないので助かります。
朝のブルの音は失望感を漂わせてしまいますが、少しは慣れたのか、
「来るなら来い!」という気持ちです。
(ま、でも、ブルを朝早くから動かしている人たちにとっても大変だしね。)

突然ですが、先月に行った弘前の喫茶「ひまわり」。
ここは私が高校生の頃から通っている、クラシックの曲がかかる喫茶店で、
今でも当時と変わりなく、少し薄暗い店内に、静かにゆっくりした時間が
流れてました。

若い頃からここに来ては、一人でお茶して、読書して、時には友だちと
長くだべって。
変わらないっていいですね。
なにか当時に戻った感じ。

ここは1階、2階があります。
メニューは比較的安くておいしいものばかり。
特に甘味は昔から変わらず、和洋あります。
ここのシュークリームが名物。買って帰ってます。大きいんです。

今回はあんみつを食べました。
シロップは白か黒を選べます。私は白が好き。

夫は相変わらず「おしるこ」をオーダーしました。
日本茶と漬け物付きでした。

ここのお客さんは古くからの人たちが多くて、年代も若者からご老人
まで様々です。長く愛される店って、世代を超えるんですね。
その日のお客さんは、大声で万葉集から政治学まで講釈なさってた・・・。
狭い店内だから聞こえるのよね。
たぶん、聞いているとどうやら某大学の先生らしい。
・・・とまあこんな風に、主婦もいれば、大学の先生もいる、学生もいる、
そんな古風な喫茶店です。

「ひまわり」に来たとき、必ず行くのが、近くにある「Home works」。
有名なので皆さんよくでかける雑貨店です。
見ているだけで楽しい。
時々、ここから花瓶だとか、キッチン小物だとか買います。
カントリー風雑貨を集めるのも趣味の一つなんです。

街はどんどん変わっていっても、変わらない店があるのはほっとしますね。
私がおばーちゃんになっても残ってますように・・・。
ここあでした。

はじめてのおつかいを思い出して

2011-01-10 19:34:27 | 回想
日曜日の夜、日テレの「はじめてのおつかい」をひさしぶりに見ました

見終わって感じたのは、どれも、まるで絵本の材料になりそうなお話ばかりと
いうことです。
私の好きな絵本作家さんの一人、林明子さんの絵本のよう。


どの子の姿も林さんの絵本に出てくるような、まん丸顔のピンクのほっぺ
三等身のからだに大きなリュックなど。

子供たちは、いい意味で大人の期待を裏切って(いや、大人は鈍くなっているので
感じられなくなったのかも。)、あんなこと、こんなことを言ったり、したりして
くれます。意外性に富んでいます。

そういえば、娘にも「プチ はじめてのおつかい」をさせたことがありました。
北海道にいたとき、娘がだいたい3歳か4歳だったと思います。幼稚園入園より
前でした。

いつものスーパーへ行って、「板麩を買って来てちょうだい」というのが親の指令
親というか、正確には、父親の指令です。
私は不安があり、見守ることに。

それにしても、なんで「板麩」?私にもようわからんのです。
たぶんすき焼きの材料だったんですかね???忘れてしまいました。

あくまでも「プチおつかい」なので、娘をスーパーの近くまで車で送り、
スーパーの駐車場で私たちは待つという簡単なモノ。
でも、幼い子にはかなりの冒険です。
なんたって、お金を持って、自分で買い物をするのは初めてですから。

・・・・しばらく待っても娘は戻らず。おかしいなー?と思っていたら
ようやく戻りました。
買って来たのは確かに「麩」。「麩」は「麩」でも、「板麩」じゃなくて「車麩」。
娘によーく話を聞いてみたら、お店の人に、漠然と「麩」と告げたらしいので、
お店の人が困って、あれこれ麩をみせたんだけど、娘は把握できてないので、お店の
人の言われるままに「車麩」を買ってしまったらしいんです
まちがえて買った娘に、父は何も言わず、「よく買えたなあ。ありがとう。」と言いま
した。

おかげで、私たちは初めて車麩なるものを食べました。結構おいしかったです。
娘ははじめてのおつかいで勇気をもらったのでしょうか?
慎重な娘で、人のするのを確かめてから自分もする子でした。
ジャングルジムも、一日に一段ずつ制覇していく子でした。

それ以降は、一人で何かをすることは少し積極的になったのかなと感じます。
4歳の初めてのピアノの発表会では、にたにた、にたにたしながら最後まで笑って
ピアノを弾きこなして?いましたっけ・・・。
(このピアノの発表会のニタニタは、小学生のあいだ中続いてたけど。)

テレビの「はじめてのおつかい」を誰か絵本にしたらおもしろいのに・・・

絵の才能がないのが残念なここあでした~。